

またね

※ これの続き。
青八木一君は私のたったひとりの読書仲間。中三のあの日に出会って、素敵な時間を共有した。だけど私と彼を繋いでいたのは書籍ひとつで、互いのことはあまり語ることはなかった。私は青八木くんの名前と所属している部活と同い年ってことしか知らないし、その逆も然り。卒業式の日、いつもと同じように待ち合わせて本を読んだ。いつもとは違ったのは、似たようで若干色が違う細い花束を持っていたことと、祝卒業が書かれた紙が安全ピンで胸元にとめられていたことくらい。それは、私たちのこれからが変わるという紛れもない事実をあらわしていて、ちょっぴり寂しくなった。
青八木くんは、総北高校に受かったらしい。高校でもロードは続けると言っていた。総北高校は毎年インターハイに出場している高校らしいので、中学よりもその練習は過酷なものかも知れない。青八木くんはまだ一度もレースで入賞したことがないと言っていたから、とっても頑張らなくちゃインターハイには行けないみたいだ。でも、青八木くんならきっと大丈夫だよと私が言うと、青八木はさんに言ってもらえると出来そうな気がしてきたって、そんな風に言うなんてずるいと思った。
私が通うことになったのは総北高校とは少し遠い女子校で、量に入ることになっているから此処へはあまり来れないと伝えると、青八木くんはあまり表情を変えないまま、そっかと頷いた。私たちはそれだけの関係で、互いに連絡先も聞いていない。何故だか、それはしてはいけないような気がしていて、どちらからも言い出すことはなく、その日も別れた。いつものように、またねじゃなくて、じゃあ元気でと言って。
高校に入って、仲の良い友達が出来た。私や青八木くん程ではないけれど本が好きで意気投合して、一緒に遊ぶようになった。もともと群れるタイプの人間ではないので、校内の移動は一人で行くことも珍しくはない。それで対立した子もいるけど、別にいじめに発展するようなこともなくそれなりに楽しくやっている。
私はあれから何度か例の公園に行ったけれど、青八木くんとは出会うことなく時間だけがイタズラに過ぎていった。もう、三年だ。私も青八木くんも、互いに過去の人となって記憶から薄れていくんだろうなあと最近になってぼんやりと思う。
私は長く重たかった髪を切って、眼鏡からコンタクトにした。きっと今、どこかで青八木くんに出会ったとしても、きっとわからないんじゃないかなあ。一年の秋以来、公園には行っていないし、だからもう、本当にあれが「じゃあね」だったんだ。お別れだったんだ。
『……ごめん、。そういう訳だから、ちょっと遅れる』
「うん、わかった。本読んで待ってるからいいよ」
待ち合わせ時間が迫っているのに中々現れないなあと思っていたら、電車の時間を間違えていて乗り過ごしたらしい。寮生でない彼女の地元は電車の本数も何本もあるわけではないので、最悪一時間くらいは待ちぼうけかも知れないなと思いながら、先日買った新書を取り出した。まだ序章しか読んでいないが、あまりページ数も多くはないので一時間もあれば読めるだろうか。退屈はしないだろう。
「って、何だ本買うだけですか!」
「……何でお前達が一緒に来るんだ。俺は純太にしか聞いてない」
「まあまあ無口先輩、ええやないっすか。親睦が深まるっちゅーもんや」
近く、数人の男の子の声。賑やかだなあと思いながら、それでも今は本の方が大事なので、視線はそのままに、しかし大きな声はしっかり耳に届いてくる。
「鳴子の言うとおりかもな。それじゃあ、久々にカラオケでも行くか! なあ、青八木?」
「……別に、俺はいいけど」
ページをめくる指が止まる。聞き間違えかと思って、ゆっくりと顔を上げる。同じ苗字なだけかも知れない。珍しい名前だけど、親戚とかさ。だってあんな人私は知らないし。金髪で、肩まである長い髪。きっと人違いだ。たぶんどこかの青柳さんだ。読み方が同じだけだ。日本語は奥が深いから。
ぐるぐると思考するなか、青柳さん(仮定)の前にいたパーマの人がガン見していた私に気づいて青柳さん(仮定)の肩をつついた。ん? と、不思議そうに振り返ったその人の顔を見て、私は息をのむ。長い前髪で、顔が半分しか見えてなくて、大きな三白眼。
「あ、お、やぎ、くん……?」
「…………もしかして、さん?」
私も青八木くんも、お互いにお互いを見て固まった。自分たちの思い出の中の相手と違いすぎていて驚いたのだ。更に、私は一人だったけど青八木くんの周りには仲良しそうなお友達や後輩くん達もいて、何だか楽しそうだ。
「なんだ、やっぱり青八木の知り合いだったのか」
「……知り合い」
一番仲の良そうなパーマの男の子が、そう言って笑った。部活はと聞くと、今はテスト期間で早めに授業が終わって、部活も禁止なのだそうだ。そのため、こうして皆で街に繰り出してみたらしい。
「そっちは、違うのか?」
「うちは、開校記念日」
明日からテストが始まること、友達が電車に乗り遅れたので待っていることを告げた。
「友達、出来たんだな」
「青八木くんもね」
互いに微笑むと、後ろでニヤニヤしている男の子たちが目に入る。赤い髪の関西人ぽい子が、口に手を当ててわざとらしく「ええ雰囲気やないですか」と言った。だけど私たちの関係は、簡単に言い表せないものだと思う。彼の言葉はお互いに流して、私は尋ねる。
「さっき、本買うって言ってたよね。何買うの?」
「……」
私の言葉に、青八木くんは無言で私が持つ本を指した。私はまだ読み始めて序章から本編に入りかけたところだったが、青八木くんはまだ購入してすらいないようで、私は昔を思い出して嬉しくなった。
「私の方が、進んでる!」
「……すぐ、追いつくよ」
互いに顔を見合わせて笑う私たちを、置いてけぼりの彼の連れ達は首を傾げていた。
それから私は友達から今し方駅についたという連絡が入って、スマートフォンを確認してからすぐに鞄にしまおうとしたが、何やら青八木くんが言いたげにこちらを見てきた。
「連絡先、教えて」
まさか、そんなことを言われるなんて思わなかったのだ。今まで何度も会っていたのに、一切触れてはこなかったから。後ろの彼らも青八木くんの行動力に驚いているようだ。そうだよね、いくら変わったと言っても、青八木くんは青八木くんだ。私にとって彼は消極的なイメージしかないのだ。
困惑した私に、青八木はもごもごと呟くように言った。
「一年の時は、練習がきつくて中々行けなかった。純太とチームを組んで練習して、それでも去年はまだ足りなくて選外だった」
何度か公園に行ったけど、会えなかった。青八木くんは確かにそう言って、更に「また会えて良かった」と言った。もちろん私もそう思う。だけど、その先を彼は望んでくれるのだろうか。私が、望んでも良いのだろうか。
「今年は、インターハイ出るから……見に来て欲しい」
「おい青八木、彼氏いたらどーすんだ」
「え」
小さな声で、純太くん(青八木くんに呼ばれていた)がそう言って、確かに彼氏がいたら他の男の子と連絡先を交換しりとか勝手な約束したらダメだよなあとか居もしないもののことを考えた。それを聞いた青八木くんが、眉尻を下げて「……いる?」と聞いてきたので、私は思い切り頭を振って否定した。
「女子校だし。それに、私が交友狭いの知ってるでしょ?」
そう言って、電話番号を記したメモを青八木くんの手に握らせて、だからと前置きする。
「見に行っていい? ロードレース、私まだ一度も見たことないの」
もちろん、と青八木くんが頷くのに被さるくらいの大声で、後ろの子たちが沸き上がる。目立つのが大好きな子で、観客が増えると気合いが入るらしい。
やがて、人垣の向こうから待ち人がやってくる。じゃあ俺たちも行くかと純太くんが言って、私たちは「またね」と言葉を交わした。
「お待たせー、本当にごめんね! ……って、どうしたの? 嬉しそうね」
「うん、ちょっとね」
ねぇ、ロードレース見に行かない?
私の問いかけに、彼女は何それ、と首を傾げた。
「何難しい顔してんだよ、青八木」
「……あれから何度かラインしてるんだけど、さん、俺のことは青八木くんで純太を純太くんって呼ぶんだ」
「それ、単にお前がそう呼ぶからじゃねーの」
「……」
「知らないんだろ、俺の苗字」
「俺も名前がいい」
「そっちなのかよ。……お前が良いならどっちでもいいけどさ、まあ頑張れ」
End.

