

黄昏に誓う

※ これの続き。
調査兵団に配属になってから、一番最初にやってみたかったことは、他の皆みたいに、「兵長」って呼んでみたかった。それから彼と肩を並べて戦えるようになりたくて、討伐数を伸ばした。いつの間にかベテランって言われるようにもなったけれど、心はずっと昔のまま。彼に憧れて、軽い気持ちで調査兵団を志願しただけの小娘だ。
自分の命の重さなど、これっぽっちも考えたことなんてなかった。ただ、あの人の側にいたかった。今までも、これからも……そう思ってた。けれど、そんな毎日がきっともうすぐ終わるんだということも、何となく解っていた。だって、私はベテランだから。潜り抜けた修羅場の数が多いほど、そういった勘というのは働くのだから。
この壁外遠征で、私はもう戻ってくることはない。そう確信していた。
「……おかしいな。震えるなんて」
死にたくない、なんて思ったこともないのに。調査兵団を志願して、多くの死を見てきた。隣で同期が喰われるのも見た。けれど、心のどこかでまだ自分の番ではないと思っていたのだ。そして、とうとう、巡って来た――私の番。
どうして、怖いなんて思うんだろう。あの人に会えないから?
どうして、死にたくないなんて思うんだろう。……あの人に想いを伝えてないから。
「……」
マントを羽織って、兵舎の外へ出る。兵長はエルヴィン団長や幹部の数名と明日の打ち合わせ会議に出席しているから、会議室の外で話し合いが終わるのを待った。
一時間ほど、経っただろうか。冷えてきたなあ、などとぼんやり考えつつ空を見上げたら、背後から声をかけられた。
「……何やってんだ」
「兵長」
「こんな時間に何やってんだ、てめぇは」
「何って、貴方を待っていたんです」
呆れながら兵長が歩いてくる。一度寒さに身を震わせれば、兵長が怪訝そうな顔を向け私を見た。
「……いつからそこにいた」
「一時間ほど、でしょうか」
「馬鹿か、お前は」
「せっかく会いにきた後輩にその言い草、ひどい……わっ」
罵声とともに頭上から降ってきたのは、自分のものではないマントだった。ないよりはマシだろう、と言ってそっぽを向く兵長に、ありがとうございます、と笑顔を向ける。
「何の用だ。またエルヴィンに雑用でも押し付けられたか?」
「いえ、明日の作戦決行前は二人で話をすることもできないと思って」
少しだけ、お話したかったんです。
正直にそう伝えると、兵長は何も言わずに黙った。どこにも行かないところを見ると、それは了承してくれたということなのだろう。兵舎の手摺にもたれて、空を見上げる。明日の遠征に備えて、本日は早めに休むようにとエルヴィン団長のお達しで、時刻はまだ日没前で薄ら明るい。
もう、いっそ明日なんかこなければいいのに。そう呟けば、兵長がこちらへと顔を向けた。「何を言っているんだ」と目で言われたが、私は顔を上へ向けたまま、視線を合わせることはしなかった。ただ、小さく「冗談ですよ」と撤回の言葉を口にする。
「死にたくないなぁ」
「……」
ぽつり、呟いた言葉に、兵長は息をするのを止めた。そして、静かに言うのだ。
「俺は言ったはずだぜ。お前は憲兵になれと」
「そう、ですね」
でも、それだけは嫌だった。誰が何と言おうと、私は、
「あなたの選んだ道で、ともに、歩みたかったんです」
「……チッ。相変わらずてめぇは、俺の言うことをちっとも聞きやがらねぇ」
面白く無さそうに吐き捨てる兵長に、悪びれた風でもなく「ごめんなさい」と謝罪する。
「エレンのやつはもう少し従順だ」なんて、彼はあの巨人さんが割とお気に入りのようだ。
小さく笑みを浮かべてから、それじゃあ、とある提案をした。
「もし生きていたら、兵長の言うこと、ひとつくらいは聞いてあげますよ」
生きていたら、なんて、まるで死ぬ前提の物言いに兵長はかなり憤慨した様子で「馬鹿野郎」と言った。そんな風に壁外に臨めば、生きて帰ってこれるものも帰って来れなくなってしまうだろう。そんな彼にもう一度小さな謝罪をすると、兵長はやや暫く考えてから、その返事を口にした。
「そうだな……じゃあ、その呼び方をいい加減改めろ。お前にそう呼ばれたら気持ち悪くて仕方ねぇんだ」
「了解です」
本当に、生きていたら、ですけどね。
おどけた調子で言って、また睨まれる。そんな日常的なやり取りをして、少しは軽くなった心で、明日は頑張れますなんて、心にもないことを言ってみる。それから少しして、エルヴィン団長やハンジ分隊長らがぞろぞろと会議室から出てきたのを見て、兵長はチッと舌打ちを残して面倒事から避けるかのように去っていった。
明日、しくじるんじゃねぇぞって、右手を上げながら。
「……頑張ります」
通り過ぎる上司たちに会釈をして、一人残された宿舎前で茜の空を見た。そして、先ほどのやり取りを思い出す。
『もし生きていたら、兵長の言うこと、ひとつくらいは聞いてあげますよ』
『そうだな……じゃあ、その呼び方をいい加減改めろ。お前にそう呼ばれたら気持ち悪くて仕方ねぇんだ』
そう、生きていたら。私は貴方の名前を呼んで、貴方にこの想いを伝えるでしょう。
受け入れられようが、拒絶されようが、数年間抱えたこの気持ちを、貴方に打ち明ける決心がつくでしょう。
だから、私はまだ。
「……死にたく、ないなぁ」
そう後悔に身を焦がして、明日の作戦を迎えるのでしょう。
「女型の巨人が……!!」
「なんで、兵長は!?」
「グンタさん!!」
「あいつはここで……仕留める!!」
ああ、ここなんだ。
「……その中身、ズタズタに切り裂いてやるッ」
私は、私達は、ここで死ぬんだ。
エレンに逃げるよう告げて、エルド、オルオ、ペトラと共に剣を抜く。幾人もの仲間を無残に殺し、目の前で班員を惨殺、人類の希望であるエレンを狙う目の前の女型を、放っておくわけにはいかなかった。
けれど、心の底ではわかっていたんだ。こいつは、本物の化け物だって。
「くそ……せっかく、目の前に――のにっ!」
悔しい、悔しい、悔しい。手を伸ばせばもうそこに、欲しいものはあって。皆幸せになれるはずなのに。それなのに、世界はやっぱり残酷に、我ら人類を嘲るばかりだった。
女型の巨人の腕が、手が、眼前に迫り来る。兵長と合流するという目的もかなわず、再び現れた女型にあっという間に壊滅させられてしまった特別作戦班の面々。仲間であるペトラやオルオの死に姿を視界に捉えながら、唇をきつく噛んだ。
(兵長。最後まで、可愛げない後輩でごめんなさい……)
巨大な手のひらを見つめながら、視界が暗黒に覆われてゆくのを感じながら、走馬灯のようなものを視た。
訓練兵時代の他愛もない思い出が多く占める。中でも浮かぶのは、あの人の顔ばかりだった。
思えば私はいつも、彼の背中を追い続けていたんだなぁ。
「リヴァイさん……」
生きているうちに、もう一度。
私だって貴方の名前、呼びたかった。
きのうあの黄昏の中で、そう約束したから。
だいすきと、伝えたかった。
遠のく意識のなか、それだけを思う。
リヴァイさん、私は貴方の中でどれほど有能な兵士でいられましたか?
End.

