Story

    もう一度呼んで





     死者何百――いや、何千にも上っただろうか。もうどれだけ人死にを出したかわからないほど、無意味と思われる攻防は続いている。ただの兵志願者だった自分がこのような地位に就いたのは、死に急いだ部下たちのおかげとも言えるだろう。しかし、別に死者を出したいとは思ってはいない。元々の人相の悪さから、それ相応のイメージがつきやすいものの、決して心無い人間ではないのだ。それでも、下の兵士はそうは思わない。宿舎の廊下ですれ違う度に直立不動で挨拶をされ、流石に息が詰まってしまいそうになる。

    「……ふん」

     誰に聞かれるでも無いのに、漏れるため息を誤魔化すために鼻を鳴らしながらドアを閉める。自室の机の上に詰まれた紙切れを見て、今度こそ浅いため息が唇の端から漏れた。
     嫌気が差すほど、書類が多い。行動型の自分にとって、出来ない訳では勿論無いが、面倒極まりない。山積みになっていく書類を見て、部屋が汚れることにまたストレスを感じる自分がいる。それを片付けるために机に向かって、三徹して、溜まったストレスを発散するために部下に当たる自分にまた嫌気が差す。まるで餓鬼のような悪循環だ。

    「兵長、兵長ー」

     考え事を終え、ようやく真面目に取り組もうと机に向かうと同時に現る来客者に、今度は大きく吐かれる溜息。
     一方、入室と同時に不遜な態度を取られたは、嫌々顔を上げた上司の、眉間に寄った皺を見てびくりと肩を震わせた。それは決して上司の人相が悪いからではなく、突如向けられた視線のせいである。

    「……何だ。煩ぇな」
    「ごめんなさい。次回壁外遠征の資料をペトラから持っていくように、頼まれ……て」

     次第に言葉が尻すぼみになって声にはならなかった。その理由は、目の前の上司がの持つ書類を見て、相当嫌そうな顔をしたためである。これ以上書類を増やしてたまるかと、持って帰れと言わんばかりの眼圧である。が、書類を持ってきた部下には通用しなかった。持って行くようにと言ったペトラも、それを解ってのことだろうが。
     は訓練兵時代の後輩だ。後ろをついてきては立体機動や刃の使い方の指導をせがんで来た。口には出さないが、可愛い後輩だったのである。

    『リヴァイさん、次の試験、頑張るから見ていてくださいね!』

     笑った顔が可愛いと、同期からも評判だった。しかしどういうわけか、他の先輩兵ではなく彼女は自分のところへとやってくるのだ。どれだけ小ばかにしたような態度をとられても、早く自分の宿舎に戻れと追い返されても。めげずに何度もリヴァイの元へとやってきていたのだ。
     それは今も変わらない。訓練兵の先輩後輩という関係から、調査兵団特別作戦班――リヴァイ班に着任して、上司と部下という間柄になった現在も、リヴァイがに対する言動も、のリヴァイに対する態度も変わらないのだが、それでもひとつだけ、変わったことがある。

    「そんな顔したってダメですよ、兵長。エルヴィン団長が、しっかり目を通しておけ! って仰ってましたからね」

     その呼び方だ。リヴァイさん、と呼んでいた彼女の口から聞けるのは「兵長」という役職だけ。団長のエルヴィンでさえ名前をつけて呼んでいるのに、自分は役職だけだ。それがいつだって面白くなくて、まるで自分が嫌う子供のように幼稚な態度で彼女を突っぱねる。

    「知るかよ。さっさと持って帰れ。俺は忙しい……」
    「そうですか? でも、私が持ち帰ったところで今度はエルヴィン団長が直々にいらっしゃいますよ?」
    「……もういい。さっさとそれを寄越して、出ていけ」

     苛立ちを隠せないリヴァイとは反して、はへらへらと笑って書類を持ってくる。受け取って、リヴァイの言葉の通りに部屋を出て行く。

    「くそが……」

     誰もいなくなった部屋で悪態を吐いて、リヴァイはエルヴィンからだという書類を数ページめくる。
     今回の壁外遠征では、団長のエルヴィンが考案した長距離索敵陣形をとる。それは、隣のグループが常に見える位置で等間隔に兵を展開させることで、危険を全兵に知らせることが出来るからだ。
     特別作戦班の面々は、エレンを中心として五列中央に位置する。無論、リーダーのリヴァイやもそこに含まれる。リヴァイのページをめくる手が、止まった。

    「ちっ……嫌な予感しか、しねぇ」

     胸騒ぎがする。それが何故だかはわからない。しかし、作戦は実行するだろう。たとえ、どんな結末が待っていようとも。リヴァイもも、調査兵団の一員なのだから。
     本当は加わってほしくない。優秀だった訓練兵時代、彼女には憲兵団を志望してほしかった。内地で安全な暮らしを送ってほしかったが、本人はそれを望まなかった。リヴァイと同じように、死線で戦うことを選んだのだ。
     当初、言うとおりにしない後輩に苛立ちながら、顔には出さないが嬉しくも思っていた。しかし、今は少しだけ後悔している。



    「絶対生きて帰るよ、みんな!」
    「元気だな、」
    「当然でしょ? いつだって笑顔が私の信条よ」

     地図を広げて、エルドやオルオが新兵のエレンに今回の壁外遠征の主旨を説明する。そんな中、重々しい雰囲気にそぐわない明るい声を張り上げたにメンバーが呆れる。

    「そんなこと言って、巨人に出くわして小便ちびるんじゃないだろうなぁ」

     それはお前だろ、とは思ったが言わなかった。かわりに、ニヤニヤ顔のオルオの頭に肘を落とす。

    「馬鹿言わないで。……私はね、オルオ」

     痛がるオルオに、はまた笑顔を向ける。リヴァイ班の中でも信頼の厚い彼女の笑顔以外の表情を、彼らは見たことがなかった。
     いつだったか、冗談交じりには言った。笑顔のないリヴァイのかわりに、二人分笑顔でいるのだと。

    「死ぬときも笑顔でいるのよ」

     そう笑って作戦に臨んだは、心の奥で理解していた。今回の作戦は、兵団にとって大きな損害となることを。そして、自分もその一駒になるであろうことを。
     心の奥底で、後悔に身を焦がしながら。



     ――もし生きていたら、兵長の言うこと、ひとつくらいは聞いてあげますよ。

     作戦前夜。悪戯に微笑んで言った後輩の頭を小突きながら、リヴァイはふんと鼻を鳴らしながら答えた。

    『そうだな……じゃあ、その呼び方をいい加減改めろ。お前にそう呼ばれたら気持ち悪くて仕方ねぇんだ』

     了解です。そう敬礼をして、もう一度「生きていたら、ですけど」と言った。そう死ぬことを仮定してしまったら、それは仮定ではなくなってしまうだろう。そう睨みつけて咎めたら、困ったように眉尻を下げて、それでも笑いながら「そうですね」と言った。
     絶対に生きて。もう一度名前を、呼んでほしいと思った。
     あの声で、あの笑顔で。絶対に、生きて――

    「俺が……選択を間違ったから、みんなが……さんがっ」

     悔しさで涙を滲ませながらエレンが俯いた。ペトラの遺体のすぐ傍で、彼女は目を瞑って絶命していた。まるで眠っているように、口元には薄っすらと笑みを浮かべて。
     死ぬときも、いつでも笑顔だと。そう言っていたの頬には涙の痕がくっきりとあった。彼女は最期に、何を想っていただろう。

    「お前のせいじゃねぇ」

     いつもなら口にはしない言葉。悔しそうに卓上で握り拳を作るエレンに言って、ぼんやりと茶を啜りながら考える。

     ――もし生きていたら、兵長の言うこと、ひとつくらいは聞いてあげますよ。

    「ひとつ、か……」

     もしも、生きていたら。ひとつだけ願うとしたら、それはきっと。

    「帰って来い……馬鹿野郎」

     だから、憲兵になれって言っただろうが。心底思ったが、リヴァイは口にはしなかった。
     かわりに、冷め切って不味くなった茶をもう一口啜った。

    End.





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