Story

    salvador−救われたのは私か僕か−




    ※ これの続き。
    ※ 進撃の巨人夢企画「libertas」様に提出させて頂いた作品です。


     この世界において希望とは、生きることに非ず。
     人類のためならば命を投げ出すことも厭わない兵士達にとっての希望とは、訓練兵時代から植えつけられてきた「巨人に対する新たな情報」というものなのだろう。
     しかし、だ。いざその強敵を前にして、教えを忠実に守って死ねる兵士というのはそう多くはない。どれだけ、人類のため世界のためという大儀を以ってしても、誰だって実際には自分ほどかわいいものはない。死を覚悟した瞬間、それまで希望に満ちていた兵士達の口から零れる「助けて」「死にたくない」を何度聞いたことだろう。

    「助けて――!!」
    「……」

     はそう叫びながら巨人の口の中でもがいている班員をじっと見つめた。命乞いをしたところで巨人に情などは通じないし、今更ほかの人間が飛び込んだところで第二の犠牲を生むだけだと何故わからないのだろう。待ってろ、今助けると言って無謀にも巨人へ向かって行き、案の定同じように喰われる兵士を見て馬鹿な人たちと心の底から思う。
     は冷静だった。特別関係の深くない人間が食われようが知ったことではない、と。ただこれ以上被害が拡大しないよう周囲の状況を分析し、巨人の数を減らすことこそ重要視すべきだからだ。訓練兵上がりの下っ端兵に巨人が群がっている間、彼女はこの状況をどう切り抜けるか、そればかりを考えていた。
     上位十番内に入ったわけではない。極々普通の成績で訓練兵を卒業しただが、彼女の一番の長所は何事にも全く動じない"冷静さ"であると彼女は自分で理解していた。それ故、今自分が何をすべきか、はっきりとした目的を持って剣を抜く。つまらない友情ゴッコに興じて命を捨てる義理はない。そう思いながら、いつか自分は人間としての心をも失くしてしまうのではないかと、はその様にも思っていた。冷酷で、冷徹な、人の死を何とも思わない"巨人"のように。
     やがては呑み込まれて消えた、断末魔すら聞こえなくなった兵士と張り付いた笑顔のままの巨人目掛けて剣を振り翳したの耳に、聞きなれた声が届く。

    「!!」
    「! ……アルミン!?」

     聞きたくなかった、けれども本当は求めていた温かいひとの声。

     アルミンは、同期兵の異性の中では幼馴染であるミカサを除いて比較的仲の良かったの姿を遠くに見つけて立体機動を発進させた。その向こうに巨人の姿も見えたが、獲物に夢中であったためすぐには襲ってこないと踏んでの行動だった。
     民家の上に降りたアルミンに声をかけられたは、一瞬剣を構えたままの姿で停止した。そのすぐ後に"食事"を終えた巨人が自分の方へとゆっくり向きを変えたことで、は即座にアンカーの狙いを後方へ変え、距離を測った。あのまま動きが鈍っている状況で剣を振り下ろしたところで、もあの巨人に無様に喰われていたに違いない。
     巨人から距離をとり、アルミンを視界におさめたは信じ難い表情で叫んだ。

    「アルミン、どうして!?」
    「どうしてって……」

     勿論、君が心配だったからだよ。
     恐怖に震えながらもそんな風に格好つけているあたり、彼の幼馴染で死に急ぎ野郎の異名を持つエレンに毒されているのではないかと思う。無論そんなことはなくて、きっとアルミンが強く成長しただけのことなのだろうけれど。
     しかし、の言葉の真意はそんなことではない。彼は冷静さが長所と自負している自身の、心を乱すことの出来る唯一の人物なのだ。

    『私のことは、私が覚えてる。死ぬまでそれは、変わらないわ』

     訓練兵時代。周りに馴染めずにいたがアルミンに言ったことがある。他の誰が自分のことを忘れてしまっても、いつか死ぬそのときまで、自分の存在した証は自分が覚えているのだと。
     更に立ち去ろうとしたの背に向けて、アルミンは叫んだ。

    『僕も、覚えてるよ!』

     誰が忘れても、覚えているから。だから、不安と戦う必要はないのだと、教えたくて。知ってほしくて。自分にはエレンやミカサがいるように、にとって自分がそうなれればいいと、そんな風にアルミンは思った。
     それからの兵士生活の中、少しずつエレンやミカサ、アルミンらと行動を共にすることが増えていったことで、はアルミンに惹かれていったのもまた必然だったのだろう。
     は手に汗を握り、震える唇を必死に動かした。

    「来ないで、アルミン。はやく、ここから逃げて……!」

     必死に訴えるに、しかしアルミンは決して引こうとはしなかった。

    「逃げるならも一緒だよ!! もうすぐエレンやミカサもこっちに来るから……だから早く、こっちへ!」

     そう手を差し伸べるアルミンの手を取ることも、にはできない。冷静さを装って、自分を奮い立たせながら巨人と対峙していたにとって、アルミンの登場は最大の誤算であった。頭の回転が速く、しかし少し臆病なところがある少年は、決して巨人との戦闘には勝てない。だから早く逃げることを勧めたのだが、それでもアルミンは頑なに首を縦に振ろうとはしなかった。
     他の誰が危険な目に遭っても動じなかったのに、巨人の視線がアルミンへと移った瞬間。の全神経が逆立った。

     ――アルミンが、喰われる。

     そう確信して、想像して、ぞっとした。まるで生きた心地がしなかった。
     全くの他人や、ただの同期生が死んだところでの目には留まらない。ただ、それがアルミンなら話は別だ。
     自分を認めて、傍にいてくれて、居させてくれた彼だから、ずっと守りたいとは思ったのだ。

    「お願いだから……っ、はやく逃げてよ――!!」

     冷静さのカケラなど、今の彼女には微塵も感じられない。
     大口を開けた巨人がアルミンへと迫る。アルミンは方向転換して回避を試みたが、アルミンの機動よりも巨人の移動速度の方が明らかに早かった。
     はるか後方に巨大化したエレンと殺気立ったミカサの姿を確認しただったが、きっと間に合わないだろうと踏む。ミカサであれば恐らくはアルミンが喰われるより前に巨人へと辿りつき、そのうなじの肉を削ぎ落とすことも可能だろうが、しかしそれはアルミンの命が尽きる前の話であって、それでもコンマ数秒の遅れで彼の手足どちらかが消え失せることになるだろう。
     そんな姿は絶対に、見たくない。

    「……ッ!!」

     立体機動は得意ではないし、腕力もクリスタやアルミンと同レベル。一撃で巨人の急所を捉えられるとは思っていない。が、それでも時間は稼げるはずだ。アンカーを巨体の首筋に突き刺し、既に構えていた両手の剣を勢いよく振り下ろす。一度地面に膝をついた巨人は、を一瞥すると何でも無かったかのようにのっそりと立ち上がり、再度アルミンへと手を伸ばした。
     巨人の指がアルミンの身体を掠めた瞬間。追いついたミカサが力強く剣を振り抜くのと、エレンが巨人の頬を殴るのが同時だった。
     うなじの肉を削がれ、更に数十メートルはるか彼方へ吹き飛ばされた巨人は、焦げ痕を残し、やがて蒸発して消えた。その周りに居た三メートル、五メートル級の巨人も、巨大化したエレンが大暴れを始めたことで数を減らすことができた。
     エレンの暴れっぷりを呆れた様子で眺めながら、ミカサが二人の方をちらりと見て声をかける。

    「大丈夫? アルミン、」
    「み、ミカサ……ありがとう」
    「……」

     来てくれると信じていた様な、アルミンはホッと息を吐いて礼を言う。黙ったままのに対して心配そうに「どうしたの」と顔を覗き込むアルミンだが、はそんな彼の横面を引っ叩いた。

    「……、?」
    「逃げろって、言ったのに……ほんと、馬鹿」
    「うん、ごめん……」

     助けてくれて、ありがとう。
     続けてそう言ったアルミンに、は嗚咽交じりに首を振った。だが謝罪も感謝も、本当は必要ないのだ。

    「違う……違うの。ほんとは、私が、」

     次から次へとあふれ出る涙の理由を明確に理解し得ないまま、はアルミンの無事を心から安堵していた。
     絶対にアルミンを助けたいというの気持ちは本物だ。それは確かで、剣を抜いた彼女の決意も偽りではない。
     ただ、もしもそこに彼がいなければ。あのままは一人で数体の巨人相手に剣を振り続け、ようやく一体倒せるかもわからない実力で、先に死んでいった班員達と同じように奴らの胃の中でもがいていたに違いない。
     アルミンが声をかけたから。ミカサとエレンという強力な応援を呼んでくれたから。時間を稼いでくれたから、は生き延びることが出来たのだということを、彼女は痛いほどに理解していた。

     助けてくれてありがとう。
     その言葉は、誰よりもがアルミンに伝えたかった言葉だった。

    End.





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