Story

    自分への手紙





    「……拝啓、」

     夏の猛暑も過ぎ去り、過ごし易くなった今日この頃。訓練兵の宿舎での暮らしもだいぶ慣れて、こうやって筆を執ることもできる。
     宛先は、故郷の母親。訓練はとてもきつくて、赤裸々に語るにはヘビーな内容が多いから、どう濁して書くべきかを迷ってしまう。それでも自分は書くべきだ。自身が無事であることを彼女に知らせるために、これを投函しなくてはならない。
     先に旅立たれた父と、その真偽を確かめるべく訓練兵となった自分は違うのだと、証明するために。

    「……友達は、できた。腹割って話せる相手は……いないけど。まず最初の心配は、なくなったわ」

     人見知りの娘に、母は心配事を繰り返した。食事はきちんと摂るように。最初の印象は良く、挨拶はハッキリしなさいとか。全てがすべて、上手くいっていたわけじゃない。彼女の心配したとおり、最初の一ヵ月で三キロは体重が落ちたりもした。それでも兵団を辞めようと思わなかったのは、ただひとつ。
     父親の消息を、その有無をハッキリとしたかったから。その結果、巨人に喰われていたとしても、それは仕方が無いと言える。だって彼は、自ら望んで戦場に向かったのだ。そんな人の敵討ちなんて、考えちゃいない。ただ自分は、やはりあの人の娘なのだ。巨人のことを知りたい。倒したい。ただ怯える毎日ではなく、輝ける未来を、この手で創りたいのだと。
     父の手紙を読むたびに、そう想い続けたのだ。

    「? 夕食の時間だけど……行かないとご飯抜きになっちゃうよ?」
    「! クリスタ……ごめんなさい。今行くわ」

     同室ではないものの、それなりに親しくしてくれているクリスタがわざわざ呼びに来てくれた為、一度筆を置いて食堂へ向かう。あまり自己主張の強いほうではないが、それはお互い様でもあるので、彼女のまとう雰囲気は、私にとって居心地の良い存在といえる。それはクリスタも同じなのか。最初の頃よりも、打ち解けて話せるようになっていた。クリスタと常に一緒にいるユミルも、自分のことは気に入ってくれているようだとは思っていた。
     食堂へ向かうとそこは既に空腹の訓練兵であふれていて。ユミルがクリスタの席は取っていたが、さすがにが入れそうなスペースは無い。一度申し訳なさそうな顔で自分を見たクリスタへ、は気にしないでと伝えて辺りを見回す。まだあまり話をしたことが無い同期もいる中、自分から入っていくことも出来ずに困ってしまう。そういうところはまだ、慣れない。

    「おーい、!」
    「……エレン。ミカサに、アルミン?」

     この人たちは、いつも一緒にいる。同郷の、たしか幼馴染とか言っていた気がする。エレンがまずに気がつき、それに倣って二人も、配給された食事を持って立ち尽くしているを見上げていた。よく見れば、ミカサの対面……アルミンの隣が一席空いている。声をかけられずに困った視線を投げかけていると、察したのか、アルミンからの一声。

    「……座る? 他、席ないんでしょ?」
    「あ……はい。ごめんなさい」

     どうして謝るの? アルミンは困ったように笑顔で返した。ミカサとエレンも食事を続ける。食べながら、ミカサがどうでも良いことのように、今から食べ始めようとしていたに向かって――視線はスープに向けられたまま、言った。

    「自分から、何でも言わないと。いつも誰かが助けてくれると思ったら大間違い」
    「……ええ。ごめんなさい」

     恐らく、ミカサの発言は、これは助言だ。嫌がらせや悪意の類ではないのは明白である。のほうも、それは当然わかっているのである。それでも。これまで十余年もの間に培われてきた""という人格が、簡単に変わることが出来ないのも事実なのだ。

    「でも、僕だってエレンやミカサにいつも助けてもらってる……ここでだって、僕は座学しかみんなについていけてないし」
    「それも十分すごいわ」

     ミカサの言葉にが傷ついたと思ったのだろうか。アルミンが助け舟を出してくれたが、は別に落ち込んだりはしていなかった。ミカサは何でもはっきりしているし、不得意なことがないくらいに器用な人だ。エレンは見ていて先走りすぎるところがあるが根性はずば抜けている。アルミンは自分でも言っていたとおり勉強が得意で周りをサポートしてくれている。他にも皆、短所と長所を持っている。それが人間だ。欠点がないと思われているミカサだって、エレンのことになると周りが見えないという穴がある。
     は、それらもひっくるめて個々の人間だと思っている。

    「私には、関係のないこと……ご馳走様。エレン、食べ終わったのならもう行こう」
    「え? でもアルミンがまだ……」
    「いいよ。僕はまだ食べているし、他の人の席も空けてあげないと」

     アルミンが言って、エレンはそうかと納得するが早いか、ミカサに引っ張られるようにして席を立った。二人を見送って、残された二人は暫し沈黙の中で食事を進めた。

    「あのさ、ごめん」
    「え?」

     何口目かのパンを飲み込んで、アルミンが謝罪の言葉を口にする。その意図がわからず、は疑問で返した。

    「ミカサ……言動が、僕ら以外には少し冷たいところが、あるから」
    「ああ……いいの、そんなことは。彼女が私を心から嫌っているわけではないということはわかっているし、もう慣れたもの」
    「そう。良かった」

     アルミンはふっと微笑んで、それから水を飲んで喉を潤してから、

    「そういえば、最初からそうだったよね」
    「? 最初……?」
    「入団式のとき。僕、隣だったんだよ。覚えてない?」
    「そういえば……そうだったかも、知れないけど」

     アルミンの言葉に、はその時の情景を思い起こした。
     キース教官に名前を聞かれて、ことごとく罵声を浴びせられ、それにただ耐えるという苦痛の数時間。アルミンはの隣。はアルミンの次に、教官に家畜だ何だと馬鹿にされた。げっそりとした志願者が多い中、自分がどんな顔をしていたのか、覚えてはいない。

    「なんか、嬉しそうだったよ。あんなに酷い言葉を言われたのに」
    「本心じゃないのだから、なんとも思わない。むしろ、それくらいの覚悟や根性がないとやっていけないんだってことを、教官は教えてくれたんだと思う」

     愛の鞭というやつよ。
     なんて笑えば、アルミンは噴出して笑った。もちろん、パンを噴出したりなんて汚いことはしない。

    「確かにそうだよね。僕らの教官なんだから、僕らを嫌いとか、そんな風な決め付けはしないだろうね」
    「そう、それはミカサも同じ。あの人の世界はエレンを中心に回っているけれど、だからといって他はどうでもいいなんて思っていない」
    「!」
    「エレンと同様に幼馴染のアルミンのことは、友人として大切にしているように思う。そして、一見周りに対する態度が冷たいように思えるけれど、言動はいたって普通」

     ただ、「エレンに害為す存在はすべて排除せよ」と脳が激しく信号を送っていることくらいだろうか。その他は、警戒することはないように思う。

    「短い付き合いなのに、ミカサのことをそんなに理解しているなんて、すごいな」
    「そう? アルミンこそ、長い付き合いだけあって二人のことをよく理解しているみたいね」
    「え、うん。幼馴染……だしね」

     アルミンが肯定を口にして、の顔を覗き見て不思議そうな顔をした。が、どこか寂しそうな表情でアルミンを見つめていたからだ。

    「うらやましいな」

     それがどういった意味か、アルミンは更に眉をひそめた。全くわからないわけじゃない。彼女に心から信頼できる友人がいないことは、見ていればわかることだから。しかし、何もそれだけが理由ではないように思える。
     少し沈黙が戻ってきて、あまり心地よくないそれを打開すべくアルミンが口を開く。

    「あの、さ。自由時間、何してたの?」
    「? 何って?」
    「べ、別に変な意味はないよ!? ただ、クリスタが『が来てない』って心配して、様子を見に行ったから」
    「ああ」

     そうか、とは頷く。
     いつもはもう少し早い時間から食堂に行っていたから、心配をかけてしまったのか。入団当初に拒食で倒れた事故もあったから、優しいクリスタにとっては衝撃的だったということもあるのだろう。
     母親に手紙を書いていただけだと伝えると、アルミンは安心したように微笑んだ。

    「書くことは、残すことだから。私が生きた証を、私が死んだ後も誰かが伝えてくれる。覚えていてくれる、証になるわ」
    「証を、残す……か」

     そんな風に考えたことは無かった、とアルミンは素直に感心する。は手紙が執筆途中であったことを思い出して、食事を再開させた。

    「訓練兵、駐屯兵団、調査兵団、憲兵団……」
    「……?」

     アルミンの呟きに、は持ち上げたスプーンを口に運ぶ行程で止めた。そして、視線だけを彼に送り、次の言葉を待った。

    「そう、だよね。呼び方は一緒くたにされるけど、確かに僕らは生きていて、個々の人間なんだ。誰かわからないまま、誰の記憶にも残らないなんて……そんなの嫌だもんね」
    「……当然よ。私は、物じゃないから」

     は言いながら、思った。自分は物ではないが、自分の意思は誰かに操られていやしないかと。進路を決めたのは確かに自分だけれど、そうなるように、生まれながらに誰かに決められているのではないだろうかと。

    「自分が望んだ選択なのに、私はよくわからないの。いつだってそれが失敗じゃないかと、怖くて、たまらない」
    「そんなの僕だって一緒さ」

     僕たち似ているかもね、なんてアルミンが笑う。決して自虐的でも、嘲笑的でもない。しかし周りが強者ばかりの中で、自分は弱者なのだと思い込んで。には「決してそうじゃない」と、包み込んでくれる友人もいない。そこがアルミンと決定的に違うところなのだが。
     は最後に口に入れた乾いたパンを流すために水を一気に呷った。それからアルミンに向き直って言う。

    「私には、決めていることがあるの」
    「え?」
    「私のことは、私が覚えてる。死ぬまでそれは、変わらないわ」
    「!」

     死んだ後のことは死んでから考える。ただひとつわかっているのは、"今、自分は生きている"ということ。
     今までも、これからも。生きている内は、自分の生きた軌跡は、自分が大切に守っていこうと思うから。
     手紙を書くというのも実は建前で、自戒である意味が強いかもしれない。"私は戦っている。生きている"と、実感したくて。
     呆けるアルミンには微笑んで、席を立った。

    「変な話をしてごめんなさい。それじゃ、もう行くね」
    「あ、待って――」
    「ん?」

     呼び止めてしまってから、アルミンはほんの数秒ためらった。言葉にするのを悩んで、

    「僕も、覚えてるよ!」

     そう叫んでいた。ここは若い訓練兵で賑わう食堂で、そんなことを堂々と宣言したアルミンを冷やかす野次は飛んでは来なかった。は目を見開いてぽかんと呆けていたが、先ほどの会話のやり取りを思い出して――

    「……ありがとうっ!」

     満面の笑みでそう応えた。誰が忘れても、覚えているから。だから、不安と戦う必要はないのだと、教えたくて。知ってほしくて。
     自分にはエレンやミカサがいるように、にとって自分がそうなれればいいと、そんな風にアルミンは思った。
     それから一ヵ月後には、エレン、ミカサ、アルミンに続いて食堂ではの姿が度々目撃され、彼女を心配していたクリスタは母親の心境で見守っていたとか。

    End.





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