ハンターとは、この世界の全ての人間が憧れる職業で、最も需要がある職種でもある。と、前に誰かが言っていたのをぼんやりと思い出していた。
需要があるから誰でもなれる、というのは間違いだ。むしろ全くの逆で、ハンター試験は生と死を彷徨うほど危険で難しいものだ。
そんなハンターを目指す若者で溢れかえり、殺伐とした空気漂う船の中。ギスギスしていていやだなあ、と思いながら、隣で読書に耽る少年を見た。
「どうした、」
「……別に、なんでもないよ」
視線に気づいた少年は詮索を嫌がったをさして気にも留めない。そうかと呟き、手元の本に視線を落とした。この揺れる船の中で、よく酔わずに読書に勤しめるものだと感心しつつ、は辺りの人間観察を続行する。
人間観察といっても、ほとんどの人間は皆この船の揺れに耐え切れず嘔吐したり蒼い顔でうずくまっているばかりで、然して面白くもなかった。が、その中で数名、全く別の動きをとる人間がいた。
我関せずといった様子で自分の世界に入り込んでいる者――それには隣の少年を含まれる――が二名。そして一人、船内をバタバタと駆け回り、気分の優れない者の介抱をしている少年に視線を移す。
(あんな子も、いるんだ……ハンターって、自分勝手な連中ばかりかと思っていたけれど)
自分が知っているハンター連中を思い浮かべながら、彼らと全く似ていない少年に感心する。それ以上に比べる対象がそもそも間違っている。彼らは一般人と比べていい職業ではないのだから。
少年が客室から操縦室へ向かうのを見送りながら、その際に開かれた扉から覗いた不穏な空に、は少年へと再び口を開く。
「それよりクラピカ、そろそろ読書は止めた方がいい」
「?」
「今よりもっと大きな、津波がくるよ。この海域は大荒れになる」
が言った言葉を聴いて、クラピカと呼ばれた少年は静かに読みかけの書に栞を挟んだ。
「そうか。お前が言うのなら、そうなのだろうな」
クラピカは、一見神経質で堅物という印象を与える。初めて見たときからそうであったし、一緒に旅をしている今でさえそうだとは思っている。が、そんな彼がのことをここまで信用しているのは、これまでに何度かそういった状況が訪れていたからであった。
一人旅をしていた二人が出会い、ある日を境に共に歩むことを決めた。それだけで、クラピカはという娘を信用するに値する人物だと判断したのだ。
「それ、もっとしっかり被っておけ。激しい揺れに耐えられるとは思えん」
「……平気よ。髪だって切ったんだし、どこからどう見ても男の子でしょう?」
女性の旅人は何かにつけ危険だと聞く。現に出会い頭に彼女が野党に襲われていたのを思い返しながら、浅く被ったキャスケット帽にクラピカが呆れて溜息を吐いた。彼女は気づいていないのだ。髪を切ったところで、自分自身が少年と呼ぶには美しい容姿をしていることに。
「不要な揉め事は持ち込まないで欲しいが……」
「揉め事が起きる前提? ――私だって、慎重さは持っているつもりなんだけど。それに、外見を言うならクラピカの方が……いや、なんでもない」
軽口を叩こうとして睨まれたため慌てて口を噤む。少女と見紛うほどの美しい容姿を気にしているのは実はクラピカ自身の方なので、彼にとって外見のことは禁句なのであった。
それから間も無く、船内にアナウンスが流れる。今までの倍近い嵐の中を航行するという船長の言葉に、船酔いしていた男達は冗談じゃないと救命ボートで近くの港へと引き返していった。
残ったのは、とクラピカを含むたった四名。初老の船長が一人ひとりの顔を見渡しながら名を尋ねた。
「俺はレオリオという者だ」
「俺はゴン!」
「私の名はクラピカ」
「……」
長身で黒スーツとサングラスの、一見柄の悪そうな男がレオリオ。
ツンツンと癖のある黒髪の少年がゴン。船内で船酔い連中の看病に当たっていた子である。
そしてクラピカと。
「お前ら、何故ハンターになりたいんだ?」
次いでそう質問をした船長に、ゴンという少年が即座に答えた。ハンターをしている父親の仕事に興味を持ってやってみたくなった、そうだ。
しかし長身の男は「勝手に答えるな」とゴンを咎める。クラピカも同様の意見らしく、眉間に皺を寄せている。
「いいじゃん、理由を話すくらい」
「いーやダメだね、俺は嫌なことは決闘してでもやらねぇ」
大の男がそれでいいのかと思ったが口にはしなかった。しかし、隣のクラピカがすっと前に出て、話し出した。
「私もレオリオに同感だな」
「おい、お前年いくつだ。人を呼び捨てにしてんじゃねーぞ」
明らかに年下のクラピカに、しかも初対面で呼び捨てされたことに憤りを隠せないレオリオという人物。あまりいざこざは起こして欲しくないは「ちょっと、」と小さく声をかけるが理屈っぽい答えを並べ立てるクラピカに二人の声は届いていない。
「ほーお、そうかい。それじゃお前らもすぐ船を降りな」
「……何だと?」
「まだわからねーのか? 既にハンター資格試験は始まってるんだよ」
船長の男は、ハンター協会に雇われたハンター試験を受けるための"資格試験"の試験管のようなものだった。
そう言われては、従わないわけにはいかない。クラピカは、渋っていた己の動機を静かに語りだした。
「私は、クルタ族だ」
4年前、同胞を皆殺しにした幻影旅団というA級首の盗賊団を捕らえるため、ブラックリストハンターを志望している。
反してレオリオは、金が目的であるということを堂々と告げた。
金があれば何でも手に入る、と言い切ったレオリオに、クラピカは呆れたように言い捨てる。
「品性は金で買えないよ、レオリオ」
その言葉に、というよりも何度目かの"呼び捨て"に、彼の堪忍袋の緒はもう限界だったのだろう。
「……表に出な、クラピカ。その薄汚ねぇクルタ族とやらの血を絶やしてやるぜ」
「!! ……取り消せ、レオリオ」
「"レオリオさん"だ」
クラピカの顔が険しくなる。互いに睨み合いながら二人は、雨が吹き荒れる甲板へと向かった。
「あ、待ってよ……!!」
「お前ら、俺の試験を受けない気か!!」
「ほっときなよ」
慌てると船長に、ゴン少年が静かに告げる。
「"その人を知りたければ、その人が何に怒りを感じているかを知れ"。ミトおばさんが教えてくれた、俺の好きな言葉なんだ」
二人が怒っている理由は、とても大切なことのように思える。
確かに、と頷いたに船長は「お前は」と志望動機を尋ねようとするが、突如乗組員の一人が飛び込んできた。
「船長!! 予想以上に風が巻いています」
「!!」
最早試験どころではない。この船自体が転覆しそうな勢いで雨と風が横に吹きつける。その中で対峙するレオリオとクラピカの二人。
ゴンと甲板へ出たは、その雨の強さに薄ら目を開けるのがやっとだった。
「全く……頭に血が昇ると周りが見えなくなるんだから」
仕方のない人。揉め事を持ち込んでいるのは自分の方じゃないか。呆れながらも不満を口にすることはなく、は事の成り行きを見守っていた。
乗組員が総動員でマストの補強にあたっている中、クラピカがレオリオへと向かって剣を振り上げた。その直後。
「うわああああっ!?」
折れたマストが乗組員の一人にあたり、気を失った青年は船外へと弾き出された。それをいち早く助けに向かったのは、レオリオだ。クラピカも一歩遅れて走り出したが、手を伸ばしたところで青年には届かない。もう無理だ、と諦めかけたとき、
「え!?」
ゴンが何のためらいもなく、大荒れの海の中、飛び出して青年の足を掴んだ。咄嗟に二人もゴンの足を掴むが、強い風にそれすらも危うい状況だ。
「……全く、しょうがないなあ」
面倒ごとは起こさないでほしいのにと思いながら、が小さく呟いた。
真横に吹き荒れていた豪雨が小さくなるのを、クラピカは見逃さなかった。確か以前にも似たようなことがあったなどと思いを巡らせながら、力いっぱいにゴンの足を引き寄せる。
無茶をするやつだ、と思う。レオリオと共に詰め寄って責め立てれば、ゴンは至って平然と「でも二人とも足を掴んでくれたじゃん」と言ってのけたことで、クラピカとレオリオは互いに顔を見合わせて脱力した。争っていたことが、馬鹿らしく思えてきたのだ。
「……非礼を詫びよう。すまなかった、レオリオさん」
「何だよ水くせぇ。レオリオでいいよ、クラピカ。俺もさっきの言葉は全面的に撤回する」
和解した二人を見ながら、はやれやれと嘆息した。先ほどのゴンたちのやり取りを見ながら船長はもうどうでも良くなったと言って舵取りに向かう。元気な少年ゴンと共に。
「良かったね、落ちなくて」
「不吉なことを言うな。……いや、礼を言うべきだな」
ありがとう、と口にするクラピカに、は悪戯っぽく笑う。
「クラピカが素直だと、きもちわるい」
「……前言撤回する」
いえいえ、どういたしまして。
明るみはじめた空を仰ぎながら、が呟いた。
「こんなことで、お役に立てるならね」