家が近いということもあって、財前君と一緒に登校するようになった。彼氏が出来たと言うのは中々恥ずかしかったけれど、お母さんにだけ話した。お父さんは仕事で朝は早くから家にいないし、多分財前君が来ても会うことはないだろう。家まで迎えに来てくれる財前君を、お母さんは気に入っているみたいだった。
そんなんで登校中は一緒にいられる時間がそれなりに長いのだけれど、その反面、下校は大会が近いから部活に強制連行される財前君。元々面倒くさがりでサボリがちな彼は、朝練習には参加しなくてええの? と私が聞くと、「出るだけ無駄や」と答えた。白石先輩は確かに無駄が嫌いだと聞くけれど、果たしてそれは本当に無駄なことだろうか? それは顔に出ていたらしく、財前君は小さな声で「一緒に居れんやろ」と言った。恥ずかしかったけど、嬉しかった。
財前君が図書当番の日は図書室に通った。遅くなるから早よう帰りと促されて当番が終わるまで待たせてはもらえなかったが、意外とマメで現代っ子な財前君は毎日メールをくれた。ああ、彼氏彼女って、これが当たり前なのかなって、そんな風に考えた。
「最近楽しそうやなぁ」
「へ?」
「財前君と付き合うとるんやろ? 何で先ずあたしに報告せんのや」
「ご、ごめん……私、浮かれてて。まさかその、本当に財前君が……えっとな、」
「もーええわ。良かったな。……末永く爆発したらええねん」
「爆発?」
意味がよく理解できなかったが、そういや財前君も前に電車でいちゃつくカップルを見て「リア充爆発しろ」とか呟いていたっけ。それと同じような、何かの俗語なのだろうかと考えてすぐに止めた。
私を半ば強引に放送委員に推薦した、それが財前君と話すきっかけになったので感謝をしているおせっかいな友人に問い詰められて思い出したのは、そういえば私は彼女に一切の話をしていないことだった。友達なのに悲しいわと両手で顔を覆い泣き真似をする演技派女優に、ごめんなともう一度平謝りをした。
「せや、がほんまに財前君のカノジョになったらいろいろ聞いてみたい思っとったんやけど」
「い、いろいろって?」
「そら――二人きりになったらどうなん? とか?」
「やっ、そんなん言えるわけ」
「めっちゃすきーとか言われるん? ふっ、あの財前に?」
財前君がテニス部のミーティングで教室にいないのを良いことにからかい半分に囁かれる。財前君の名誉のためにすぐに否定しようと口を開いたが、はたと気付く。気付いてしまった。
「……言うてへん」
「え?」
「好きとか、いっかいも……言われてへんわ」
友人も目を丸くして私を見る。信じられん、と呟いたが、私の方が信じられなかった。私も財前君も、そういえば一度も互いにきちんと口にしたことがなかったのだ。
「そら、あかんで」
「わ、わかっとるわ……でも、今更どう言えばええんやろ」
「今日の帰りは?」
「最近は部に強制連行されるから、先帰れって」
財前君はどう思っているのだろうか。彼のことだから、「言わなくても態度でわかれや」とか言いそうなものだけれど。一人悶々としていると、友人に肩を叩かれる。
「ま、頑張りや」
「他人事だと思って……」
「そら他人事やもん」
そう言ってスキップで玄関へと向かう友人に溜息を吐きつつ、後を追う。頑張れといわれても、何をどうすればええんやろか。あまり積極的というタイプではないし、自分の場合いつもと違う行動に出れば裏目に出るのは解っていた。財前君に引かれるのはやだなあ、と思う。
「もう……付き合うゆうんは、こんなに難しいことなんやなぁ」
独り言を呟きつつ、鳴りもしない携帯電話を握り締めた。
「さん、明日暇か?」
「え、うん。予定はなんもない、けど」
翌日、中庭でお弁当を食べながら財前君が尋ねて来たので、口の中の卵焼きを飲み込んでから答える。そうかと安堵した財前君の優しい横顔にドキドキしつつ、次の言葉を待った。
「練習試合が、あんねんけど。見に」
「行く! 絶対行く。雨が降っても槍が降っても行くわ」
財前君の言葉を遮ってそう言えば、財前君に「流石に槍が降ったら家出ない方がええで」なんて笑いながら返された。
「ほんなら、明日十時、校庭」
「うん、お弁当持ってく」
頑張ってるなあ、テニス部。この間委員会で忍足先輩が「ザボり魔の財前が真面目に部活出るようになったって部長の白石は喜んどるけど、あれはさんに格好ええとこ見せたいからやで、絶対」とか言っていて、まさかと笑って返したけど、少しは自惚れてもいいのだろうか。私に、テニスをしているところを見せたいと思ってくれている? 私は財前君が背中を押してくれたおかげで最近は噛まないでカンペを見ながらアナウンス出来るようになってきたし、少しは進んでいると思いたい。明日は財前君の試合を見て、それからお弁当食べて、ちゃんと気持ちを伝えよう。曖昧なままじゃ、きっと駄目だと思うから。
「楽しみに、しとるわ」
その日は学校が終わるのが待ち遠しかった。学校帰りにスーパーに寄って食材を買って、夜のうちに下ごしらえをした。夏場で痛んではいけないので、朝は六時に起きて身支度を整えてからお弁当を作った。平日は迎えに来てくれる財前君だったけれど、今日は試合の前にミーティングがあるから早めに家を出るらしい。練習試合の相手はあまり強くはないが、大会を見据えての話もあるのだろう。だから私は、いつも以上にお弁当に力を入れた。土曜日で休みだったお父さんが「朝から気合入っとるな」と驚いていたけれど、何とか誤魔化した。お父さんには悪いけれど、こういう話は、男親には言いづらいものなのだ。
九時過ぎに家を出て、一番近いバスに乗った。十時に相手の学校が到着予定で、財前君の試合は真ん中くらいだから、焦らず来いと言われた。それでも少しでも早く、会いたいと思った。
「あ、あれや」
校庭へ向かって、フェンス越しに財前君を見つけた。ベンチに座って、いつものような仏頂面で辺りを見回して何かを探すような素振りをしていたが、不意に私と目が合って、彼はふっと安心したように微笑んだ。もしかして、私を探してくれていたん? そう思うと心があったかくなるのを感じた。めっちゃ好きや。心の中で叫んだ。
試合は、一番手が遠山金太郎君。元気が有り余っている一年生の男の子。隣で叫んでいる先輩らしき人は、彼のファンなのだろうか。本当に楽しそうにテニスをするんだなあ、と思っていたら、勢いよくボールが飛んできて、フェンスにはまった。私の目の前で。
「!? ……っ!!」
シュウゥ、摩擦で白い煙を上げながら回転を止めるテニスボールに、私は絶句した。これ、もし顔に当たったら整形したみたいに顔の骨格が変わってしまうのではないかと、そんなことを思った。
「うわああああ、ねーちゃん大丈夫か!?」
やってもた、と遠山君が頭を抱えて、白石先輩に怒られていた。当たっていないから大丈夫と手を振ったら安心したようで、試合が再開される。正直とても怖かった。
二試合目、一氏先輩と金色先輩のダブルス。テニス部の試合を見るのはどれも初めてだったけれど、先輩達のお笑いライブは何度か見たことがある。とても面白くて印象に残っている。テニスのスタイルもそれと違わず、奔放なそれに相手も翻弄されつつ、私もくすりと笑ってしまった。
三試合目で財前君がベンチから立ち上がって、コートに入る。その全ての所作を、私は見逃さないように目で追った。財前は天才、と先輩たちは言っていた。だから、部活にたまにしか顔を出さなくても強いのだと。私はテニスのルールもあまり知らない初心者だけれど、それでも財前君のプレーは綺麗だと思った。
練習試合が終わり、昼休憩を挟んでミーティングをしてから部活をするらしい。試合をしたのに、この後にまだ練習があるのかと思うと脱帽する。校庭から出てきた財前君にお疲れ様を言って、一緒にいつもお弁当を食べている中庭へ向かった。
「大丈夫だったか?」
「え? 何が?」
「遠山の、ボール。びびったやろ」
財前君の言葉に、ああ、そういえばと思い出す。正直、財前君の試合に見惚れていてすっかり忘れていたのだ。
「大丈夫や。当たってへんし、皆試合すごかったわ」
「皆、ね」
「も、勿論、財前君が一番かっこよか、ったし……あの」
真っ直ぐに顔を見れなくて俯く。いつまで経っても慣れないのだけれど、彼と話そうとするといっつも顔が熱くなる。財前君は「ええって、別に」なんて言うけれど、私は取り繕うとして言っているんじゃないって解って欲しくて。
「ちゃ、ちゃうねん。私、ほんまに……財前君が一番格好ええって思ったし、それから」
見惚れて、惚れ直したわ。
小さくそう言うと、ちゃんと聞こえたらしい財前君は目を丸くして「は?」そんな間の抜けた声を出した。彼が食べようとしていたミートボールが、ピックから抜けて転がり落ちた。
「……好きやねん。付き合うとか初めてでどうしたらええかもわからへんけど、私な、財前君のこと好きや」
赤いであろう顔を、もう上げられない。恥ずかしくて泣きそうになる私に、財前君の少し日に焼けた手が伸びてきた。
「なんや。俺の一方通行かと……けど、嬉しいわ」
顔上げや。頭をぽんぽんと叩かれて、促される。ゆっくりと顔を上げたら、本当に嬉しそうな財前君の顔が見えた。
「俺もちゃんと好きやで」
かゆくなるからよう言えへんけど。
財前君はそう茶化して、今度こそお弁当を食べ始めた。