「なあ財前ー」
「……なんですか」
購買で死守した焼きそばパンを食いながら、謙也さんが口を開く。口の中に物を入れて喋らないでくださいよ、と言ったところで意味などないので、とりあえず謙也さんの言葉に耳を傾けることにした。
「まださんに告白してへんの?」
「っ、げほ……はあ!? 何言うてんねんアンタ」
「先輩にアンタはないやろ」
「いきなりKYな発言するからや」
喉に詰まりかけたメロンパンを紙パックのコーヒー牛乳で流し込む。唐突過ぎる発言に、謙也さんをしばきたくなるのを堪えた。
「財前飯行くでー!」と有無を言わせず屋上に連れて来られたから不思議だったが、本題はそれか。
「いきなり何言うてんですか」
「やって、あれから時々一緒に昼飯食ってるやろ。ネタは上がってんで」
小春とユウジも見たって言うとったしな。あとさん本人から聞いてんねんで。
謙也さんがにやつきながらそんなことを言って、「で、どうなん?」と詰め寄ってくる。さんから聞いたというより、言わせたという方が正しいだろう。あの人が自分から言うとは思えないからだ。
「どうも何も……別に。さんが作りすぎたゆーから」
「そんなん口実に決まっとるやんか」
そんなこと、謙也さんに言われなくてもわかってはいる。勿論今の状況にいつまでも甘んじているワケにはいかないし、そのつもりもない。しかし、ここで俺が押して、以前のように彼女を怯えさせてしまうのは本末転倒と言うもので。
だから、まだ
「今はまだ……様子見っちゅーか……」
「……へーぇ?」
「……謙也さんキモイっすわ」
しまった、つい口が滑った。ニヤニヤしてこっちを見てくる謙也さんの鼻に飲み終わったコーヒー牛乳のストローを突っ込んでから立ち上がる。これ以上付き合ってられんわ。
「ぐへぇ、何すんねん財前!」
「ほっといてくださいよ……」
せめて、今は。周りに騒ぎ立てられて、彼女が逃げてしまわないように。
「……ま、頑張りや」
俺の背に向けて謙也さんがそうエールを送る。
正直、鼻からストロー出したまま格好つけられても超ダサいっすわ。
もうすぐ休み時間が終わると思って教室に入ればさんは既に席に座っていて、早々と次の授業の準備をしていた。
「早いな、ジブン」
「え? あ、うん」
「昼、誰と食ったん?」
「え? えっと、友達……今日は、放送委員の当番もなかったから」
「そ」
そんなにやる気があるわけでもないけど、さんの机にあるノートを見て俺も鞄の中から無造作に数学の教科書とノートを出して机に広げる。俺のその様子を眺めながら、さんは控えめに尋ねてきた。
「財前君、は……忍足先輩と?」
「あー、うん。急に呼び出されて」
「やっぱり仲、ええね」
まあ、悪くはないけど。でも、今更あの人と仲良くしたって意味はない。俺がもっと仲良くなりたいのは――
「……あんたや」
「え、何?」
「何でもないわ」
さんが俺に、何を望んでいるのか。そんなこと到底わからない。でも、俺が何を望んでいるのかはハッキリとしている。この気持ちは俺自身のものだから。
「……あのな、財前君」
「ん、何や」
「えっと……あっ、先生来たから、また後でっ」
何かを言いかけたさんは、教室に入ってきた教師の姿を見て慌てて教科書を開いた。別に慌てなくても、すぐに授業が始まるわけでもないのに。
けど、五時限目の授業が終わって休み時間に入っても、さんが話しかけてくることはなかった。さっきのアレは俺の聞き間違いか? そんな筈はないと思うが、どうにも自信がなくなる。テニスでは自信家で天才プレイヤーと言われている俺が。
とうとう放課後になって、部活の時間になった。今日は図書当番もないし、このもやついた気持ちを払拭するために偶には顔を出してみようかと部室へ足を向けたときだった。机の中に携帯を忘れたことに気がついて教室へ向うと、さんがいたのだ。
「お疲れさん」
「あ、財前君。これから部活?」
「あー、偶には顔出しとかんと部長がうるさいしな」
あまりにいつも通りの彼女に、昼休みに言いかけた内容が一体何かは聞けなかった。帰り支度中の彼女は、机の中に入れた教科書やノートを鞄にきっちりとそろえて入れていた。面倒で机の中にはほとんど物を入れない俺とは大違いだとも思いながら、その様子を見ていると、ふと違和感を感じる。
あれ、弁当箱、さっきも見た気がするな。
「……あっ」
さんは弁当箱を鞄に入れようとしたが、手が滑って床に落としてしまう。ちょうど立っていたこともあって俺がそれを拾い上げたのだが、持ち上げて驚いた。中身が入っている。
「昼、食わんかったん?」
「え、ううん……ちゃんと、食べたよ」
「じゃあなんで」
そう言いかけて、俺は言葉を詰まらせた。赤面症のさんの顔が、いつもよりもずっと赤かったから。
「……ざい、ぜん……くんの、それ」
「は?」
「つ、作ってきたんや……今日はちゃんと、ふたつ」
昼を一緒に食べるのを、約束したことはない。たださんの当番が無くて、俺が購買でパンを買えなかった時なんかに、彼女は俺に弁当のおかずを分けてくれるようになった。作りすぎたから、おにぎり二つあるから、そう理由をつけて。いつも美味い弁当をくれる。けど、弁当箱を二つ持ってくることなんてなかったのに。
「やっぱ重い……かなって、思てんけど。でも、財前君に食べてほしくて……忍足先輩に呼ばれてったから、お昼に誘えなくて……今日はダメなんやって、勝手に思っとった」
さんがこんなに続けて喋るのは珍しい。俺に喋らせたくないみたいに話し続けるその姿に、俺は明らかに無理をしているなと思った。
「前に俺が、足りんって言ったからやろ」
「そ、それだけやない! 私、財前君にご飯美味しいって言ってもらえて、その、嬉しかったから……」
だから、と前置きをしてさんは、深呼吸をひとつ。それから、これ以上ないくらい真っ赤な顔で言った。
「こっ、これからも、私と一緒にお弁当食べてくれたら……うれしい、な」
「……それって、」
「は、初めてやねん。こんな気持ちになるんも……財前君だけや。私のこと、こんなに見とってくれるんは」
昼休み、謙也さんに言われた言葉を思い出す。
『そんなん口実に決まっとるやんか』
気付かないフリをして、いつまでも微妙な関係を続けていたのは俺の方だった。
「……」
俺は無言で、弁当箱を巾着袋から取り出した。蓋を開けようとすると、さんが慌てて止めにはいる。
「な、何ー!? 財前君、だめやって!」
「何って、その弁当俺のやろ」
「今の季節、夏……食中毒とか、怖いし……」
さんは俺から弁当を取り返して、さっさと袋に入れて鞄に仕舞ってしまった。勿体無い気持ちもするけど、弁当食って腹壊して学校休むとか、考えたらダサすぎて笑えたから諦めた。
「……なら、また作ってや」
「えっ」
さんは目を丸くして、俺を見た。そして、珍しく顔を上げて笑うのだった。
「財前君、顔赤いと目立つなあ」
「うっさい。いつも赤いあんたに言われたないわ」
結局この日も俺は、部活をサボった。