図書室へ通うのを止めてから、気がつけば二週間が経っていた。課題用に借りた本も返せないまま、そろそろ図書委員からの警告を受けるのも時間の問題だろうなどと思っていたら、案の定、至極面倒そうな顔をした財前君が席に座っていた私のことを見下ろしていた。
「貸し出し期間、だいぶ過ぎてんで」
「……ごめんなさい。英語の課題が難しかったんや」
「嘘やん。自分、誰よりも先に提出しとったやろ」
だって財前君があんなこと言うから。図書室へ行きづらくて、借りた本は自分の机に入れっぱなしだ。更に前回のノートを提出する際、財前君に迷惑かけた挙句に周囲にからかわれて、とても恥ずかしい思いをしたから、次の提出は我先にと教卓の上に課題プリントを置いたのだった。まさかそれを見られていたなんて思わずに、「知っとったんか」と呟いた。財前君は何食わぬ顔で「当たり前やろ」と答える。でも私は、そうは思わない。
「当たり前ちゃうよ、ただのクラスメイトの行動を一々把握なんてせぇへんやろ」
そう言ったところで、彼はそんなこと、と意に介さぬ様子で私から本を受け取った。これでもう、新たに借りることも無いだろう。私はもう図書室には行けない。いや、行かない。
「すまんな」
私の心を読んだのか、財前君が小さく言った。しかし何を謝っているのか、私の頭ではいまいち理解できなかった。
「泣かせるつもりはなかったんや。いつもの癖っちゅうか、部活のノリで……」
別に泣いてはいないのだけど、彼にはそう見えていたのだろうか。それにしてもいつもの彼らしくないしおらしさに、私は目を丸くして財前君を見つめた。
「もういらんこと言わん。せやからまた、来たってや」
「え?」
「図書室。さんくらいしか、あない本読む人はおらんで。仕事もないし、暇やねん」
財前君は「ほな、また」と挨拶を残して自分の席へと戻っていった。いつもどおりイヤホンを耳にして、周りの声など気にしていない模様。それなのに、彼は私のことを見ていたというのだろうか。
何故? 問いかけにも答えはないまま。
「、おはよー」
「……」
「、どないしたん? めっちゃ顔赤なってんで」
登校時間ギリギリで教室に入ってきた友人は、私の顔を覗き込んでそんなことを尋ねた。
「これ、貸してください」
「……ん」
パイプ椅子をギィギィ鳴らしながら、毎度ながら面倒そうに手続きをする財前君。
いらんこと言わん、って彼は言ったけれど、何も言わないというのは少し違う気がした。何か、喋ってや。ほとんど声になっていない小さな音だったのに、イヤホンをしていたはずの財前君が顔を上げて私を見た。
「口開いたら、また傷つけてしまうかも知れん」
「図書室に来いゆうたの、財前君やろ。顔のこと言われんのは嫌やねんけど、他の事は別に、構へんもん……ちゃんと私と、喋ってや」
俯き気味の私の顔は、きっと前よりも赤い。でも、財前君は今度はそれをからかったりはしなかった。
「……適わんなぁ」
「え、何?」
「いや、べつに。何もないわ」
財前君がふいと視線を反らして、手続きを終えた書籍を私のほうへぶっきらぼうに差し出してくる。
静かに受け取って、傷や折れ目がつかないように丁寧に鞄へとしまう。その様子を見ながら、財前君はまたも不意に口を開くのだった。
「さん、甘いもん好きか?」
「え? あ、うん。嫌いやないよ」
「和菓子派? 洋菓子派?」
「どっちかっていうと、和菓子やね」
けど、なんで?
疑問を口に出せば、財前君は「俺も和菓子の方が好きやねん」と心なしか嬉しそうに言うのだ。そういえば、同じ放送委員会の忍足先輩から、財前君は善哉が好きなのだという情報を耳にしたことがあった気がした。別に知ったところで意味のない情報であったため特に気にも留めていなかったのだけど、こうやって本人の口から聞くと、何だか嬉しいなあと思う。財前君も同じ気持ちなのだろうか。だから、小さくても私との共通の好みがあったことを、喜んでくれているのだろうか。
「この前、謙也さんから美味い善哉の店教えてもろたんや」
「……うん?」
「今度、おごったるわ。詫びや」
「……!」
まさか財前君がそんなことを言うなんて思っても見なくて、肩から提げた鞄を床にぼとりと落としてしまった。本、折れてないかな。
呆然とする私を見て、困っていると思ったらしい財前君は溜息混じりに言った。
「嫌ならええ。無理にとは言わん」
「……い、行くよ。私も食べたいわ、善哉」
何故か周りに聞かれるのが嫌で、自然と小声で答えていた。財前君は顔を上げて「約束な」と薄ら笑みを浮かべた。あ、この顔は、見たことがない。前のとは違う、裏のない笑顔。
「た、楽しみにしてる……な」
それだけ伝えて、部活もない私は図書室を後にして下校した。
楽しみにしている。それは、嘘偽りのない私の本音であった。
同じ場所で同じものを食べて、同じように過ごしたら、もう少し彼に近づけるかもしれないと思ったから。