適材適所というものを知らんのか、と思った。二年に上がってから一ヵ月が経ったある日の昼休み、購買で買ったパンを頬張りながらウォークマンの電源を入れようとしたときだった。
いつもは先輩である謙也さんが意気込んで、滑るかウケるかのトークショーが開かれる校内放送から、聞きなれない声が聞こえてきた。いや、どこかで聞いたことはあったのだが、思い出せない。
喋るのが苦手なのか、ぼそぼそと小さな声で台本通りの読みをする声の主に、何だか苛立つ。すぐにイヤホンを耳に突っ込んで、忘れようと思った。
その、すぐ後だったと思う。
「! 何やさっきの喋り。全然おもんないで」
「せ、せやかて、最初から無理やってゆうたやんか……推薦したの、あんたやろ……」
対照的な雰囲気の、女子二人の会話。片方は底抜けに明るい、クラスのムードメーカー的な存在らしい。その一方で、顔を赤くして小さくなっているのは先ほどの声の主らしい、というクラスメイトだった。
ああ、だからか。聞き覚えがあると思ったら、先月のクラス替え最初の自己紹介の時に聞いたんだった。人と話すのが苦手なようで、それきり声を聞いたことが無かったため思い出せなかったようだ。
しかし、何だって……
「やって、そろそろ直さな。その人見知り、社会に出たら苦労するで」
「う、うるさいわ……ほっといてや」
彼女らの会話を盗み聞いて、なるほどなと溜息を吐く。イヤホン(無音)をしているから、聞かれているということに気づいてはいないだろう。
友人のおせっかいで、無理やり放送委員に入れられたクチか。それはご愁傷様、と心の中で同情してやる。人の好意とは、時として鋭利な刃物のように心に突き刺さることがある。そして、彼女はそれを断る術を持ち合わせていないのが不幸としか言えない。俺なら、他人にどう思われようが関係ないと言えるのに。
数日後経ったある日。廊下でひよこみたいな色の頭を見つけて声をかけた。
「謙也さん」
「お? 何や財前。お前から話かけてくるっちゅーのは珍しいやないか」
「ええ、まぁ……」
めんどいっすけど、聞きたいことがあったんで、しゃーないっすわ。
いつものように口を開けば、謙也さんは呆れた顔で「それが人に物を尋ねる態度なんか」と脱力した。まあ、それが俺だ。今更変えるつもりは無いけど。
「で、聞きたいことって何や?」
「今年放送委員に入った二年、わかります?」
「ああ、大体な。どいつや?」
「。俺と同じクラスの女子ですわ」
女子? 謙也さんが言いながら、にやにやと笑みを浮かべた。
「変に勘ぐるのやめてくださいよ。ただ、放送に向いてないと思っただけっすから」
「……なるほどなぁ。そりゃまぁ、そうやなぁ」
「何すか」
「いや、財前の言うとおりやねん。さん、めっちゃ人見知りやねんで、通常の委員会ですら俺とあんま喋ってくれへんねん」
それは謙也さんがうざいだけやないっすか。
ぽつりと言えば、謙也さんはうぐっと言葉を詰まらせた。いつものやり取りだ。
「友人に勧められて、なんてゆうてたけどなぁ。センセに言って変えてもろたらええねんけど、そこも結構強情な子でな。入ったからにはちゃんとやります、なんてゆうてたで」
実際に出来てないじゃないか。先日聞いた放送を思い出して溜息を吐く。
「アホなんすね、つまりは」
「ま、励ましたれや」
「俺がっすか? どうやって」
そんなん自分で考えや、なんて言われて、謙也さんはさっさと歩いて行ってしまった。
まあ、話す機会なんてそうそうないだろうから、励ますこともない。きっとあのおせっかいな友人が何とかするのだろうと思うようにして、これ以上は考えないことにする。考えたところで、あんなクラスメイトとどうにかなることもないのだから。
「……って、何でや」
『……これで、お昼の放送を終わります……』
その日の午後に流れた放送も、だった。相変わらず何を言っているのかわからない喋りを集中して聞いている人はいない。俺だって、たまたまイヤホンを外したところに放送が流れただけで。これが謙也さんなら、イヤホンをしていてもアホみたいにでかい声が聞こえてくると言うのに。
無性に、イライラする。どうでもいいはずなのに、何だか気になって仕方がない。あんな放送聞かされたら、いつ失敗するか、聞いているこちらの心中が穏やかではいられない。
「……しゃーないわ」
最後のパンを口に放り込んで、咀嚼しながら席を立つ。行儀が悪いと注意する、おかんのような部長は此処にはいない。
「さん」
「!?」
放送室の前で待ち伏せると、後片付けを終えて出てきた彼女と鉢合わせる。無論、突然のことで驚いただろう。石のように固まってしまっているクラスメイトへと話しかける。
「放送委員、向いてないんとちゃう? アンタの放送、聞きづらいわ」
「あ……ご、めんなさい」
泣きそうに表情を歪ませて謝罪されても。
どうやら言葉の真意が伝わっていないようで、また溜息が漏れる。
「謙也さん……三年にも言われとるんやろ。早いうち辞退した方がええよ」
今ならまだ、きっと間に合うから。そんなに辛そうな顔をして頑張る必要なんかないんじゃないかと、思ったのだ。
「し、心配……してくれてるの?」
「アホか。俺もあんな雑な放送聞きたくないねん。あんなん、無いのと一緒や」
「……ごめんなさい」
白石部長や謙也さんに聞かれたら、怒られそうだ。いやむしろ、一番厄介なのは小春さんか、と眉根を寄せる。女心がなんとか、うるさそうだなと全く別のことを考えながら、さんを見下ろした。
真っ赤な顔で、泣きそうに、耐えている。何だか外敵に襲われて怯えている雛鳥のようだと考えながら、彼女が必死に何か言葉を探しているようだったから、俺も口を閉ざして待ってみた。
やがて、
「……が、がんばる、から……」
「は?」
「わたしも、このままじゃダメやって思って……けど、すぐには変えられへん、から」
俯いたせいで表情はわからないが、声が震えている。俺が怖いせいかもしれないけど。
「聞きづらいかも、知れん。イライラしてしまうかも、知れんけど。もう少しやりたいんや。友達に言われたからってだけやのうて、私も頑張りたいんよ。……やから、」
初めてこんなに長いこと喋る彼女を見た気がする。そして同時に、驚いた。
「……なんや。自分、意外と考えとるんやな」
「え?」
「人の言いなりになって、ただのアホや思ったわ。悪かったな」
自分の意思をしっかりと持って臨むなら、他人がとやかく言うことではないのだ。
もう少し頑張りたい。そう願うなら、少しくらい背中を押してやってもいいかもしれないと、気まぐれな俺は思ったのだった。
踵を返し、彼女に背を向けて歩き出す。
「ま、頑張りや。……最初の言葉、主語をもっとはっきり喋ると少しマシになると思うわ」
「! あ、ありがとう……財前君」
「……!」
名前を呼ばれたことに一瞬動揺した俺は、それを隠すように片手を上げて歩いた。