前言撤回




    「ノート」
    「……え?」
    「ノート、早よ出して。今日日直やから俺が集めないかんのや。提出してへんの、さんだけやで」

     至極面倒そうに手を差し出してくる財前君に、慌てて机の中をまさぐる。日直の提出してくださいの声も、全く届いていなかったのだ。ごめんなさいを何度も繰り返しながら、数十秒かけてようやく見つけた課題ノートを手渡せば、ほんの少し、指先が触れた。そんな些細なこと、彼は気にも留めないだろうけれど。しかし私は、一気に体温が上昇するのを感じた。恋じゃない。財前君が好きとか、そんなんじゃないのに。

    「なんや、財前のこと好きやったん?」
    「顔真っ赤やで!」

     野次が飛ぶ。主に男子からのそれに、私の顔は益々熱くなって、泣きそうになる。

    「ちゃ、ちゃうねん……好きとか、そんなんじゃないねんっ」

     人前に出ると緊張して吐きそうになる。クラスの子と喋るだけでも体温が上昇する。いつものようにちょっとしたことでクラス中の視線が集まって、またトラウマになる。幾度も繰り返されてきたそれらを、もう大分諦めていたのだけれど。

    「そんなん、知っとるわ。お前らも騒ぎすぎや。さんと俺、なんも接点ないやん」

     受け取ったノートを机上でトントンと揃えて、教卓に置く。そうして、財前君は面倒くさそうに席へと戻っていった。本来なら日直が責任を持って職員室まで持って行かねばならないのだが、次の教科が英語で、課題の提出も英語の授業だったから、教卓に置いておけば教師の方から勝手にくる、と財前君は思ったのだろう。面倒くさがりな彼のことを、先生方も理解している。面倒とは言いつつも彼は面倒見は良いし、何と言っても仕事が速いのだ。
     冷たく言い捨てたように聞こえるその言葉も、私を救ってくれる。彼がそう突き放してくれるから、クラスメイトたちはこの話題から離れていってくれるのだった。

    「……ありが、とう」

     聞こえないように、小さく呟いたはずだったのに。

    「どういたしまして」

     って、イヤホンだってしていたのに、彼は二列隣の斜め前の席で私を見ながらそう言った。遠くも近くもない距離。無言のまま聞き流してくれても、私は良かったのに。

    「財前君、ほんま格好ええなぁ」
    「うん、クールやわ」

     今度はイヤホンをきっちり耳にはめて聞こえないフリ。クラスの女の子に騒がれても、彼は嬉しくないみたいだ。とはいっても、彼女たちだって本気で財前君に恋をしているわけではない。イケメン揃いのテニス部という、アイドルの追っかけのようなものだろう。だって、白石先輩や千歳先輩がラケットを握る姿にも、同じように、それ以上に騒いでいたのを私は知っているのだ。だから、財前君は嬉しくないのかなとか、そんなことを思った。

    「……ほんま、格好ええわ」

     そう呟いた言葉は、他の女の子たちの声に吸い込まれて消えた。こればっかりは、彼に届いていなくて良かったと思わずにはいられなかった。



    「なんで、課題提出したばっかりでまた課題せなあかんのやろ……」
    「しかも、読書感想文を英文でって、意味わからんわ」

     至るところから文句が聞こえる。いつもは静かなはずの図書室が、今日は少しだけ騒がしかった。

    「これ、貸してください」
    「……ん、ああ」

     適当に本を借りてカウンターに持っていく。図書当番に手続きをしてもらえればすぐに家に持って帰って課題に取り組めるのだが、今日の図書当番は、やる気のなさそうにパイプ椅子に腰掛ける財前君だった。
     彼は私の姿を確認すると、片耳だけイヤホンを外して本についている図書カードを抜きとってまじまじと見つめた。目が合いそうになって、慌てて反らした。俯けば、長めの前髪が顔を隠してくれる。

    「なんで、同じ本を三回も借りてんねん」

     呆れたように発された言葉に、私は俯いたまま答える。面と向かってお話しするのはやはり恥ずかしくて、とても小さな声になる。

    「前回借りたとき、ちゃんと最後まで読めなくて……で、今回は、読んだことのある本のほうが書きやすい思てな、」
    「あー、なるほど」

     財前君は私とじろじろと見て、それからにやりと笑った。笑ったの、初めて見たかもしれない。けど、何だか嫌な笑い方だと思った。人を見下してるような、馬鹿にしたような、そんな笑み。

    「ほんま、めっちゃ赤なるな」
    「え……」
    「自分、よう男と噂なっとるやろ。すぐに色目使うとか言われてんで」
    「そ、そんなん使てへんわ!!」

     カウンターに手を置いて、つい叫んでしまう。周囲の視線が集まって、死んでしまいそうになった。

    「あ、あっ……ありがとうございましたっ!」

     手続きを終えた本を彼から奪い取り、抱えて走った。
     確かに、上級生と噂になったことは何度かある。けれど好意を抱いたことなどこれっぽっちもなくて、話かけられて赤くなった顔を見て、相手が勘違いするのだ。だから男の人は、特に苦手だ。

    「優しいって、格好ええと思たけど……嘘ばっかりや。財前君だって、皆と同じや……!」

     面白半分でそんなことを言うなんて。
     嫌いだ、と思った。

    to be continued...





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