カブリエル




    「あ、てんとう虫」
    「お、ホンマや」

     青々と茂る草の葉の上に、赤く小さなものが羽を揺らす。屈んで指先を寄せれば、七つ星の天道虫はその細い指先をゆっくりと登り出す。葉の先から指へとうつった天道虫を微笑ましそうに見つめる少女に、白石は意外そうな顔をする。

    「何や、さん。虫平気なん?」
    「え? うん。ムカデとか、足がいっぱいあるのは苦手だけど……小さいのは、大丈夫」
    「……へぇ」

     そう呟いて、少しの間。何かを考えていた白石は、「ほんなら」へと尋ねた。

    「カブトムシは?」

     一瞬何を尋ねられたかも解らずにきょとんと目を丸くするだったが、確か前にクラスメイトの忍足謙也が白石の飼っているカブトムシのことを教えてくれたのを思い出した。
     恐らく彼は、自分がそれを知っているということを知らないのだ。

    「うん、カブトムシも平気。昔山にね、虫捕りに行ったこともあるんだよ」
    「へぇ! そうなんや」

     の返答に、嬉しそうに目を輝かせる白石。は彼の唇から発せられるであろう次の言葉を予測してはいたが、実際に彼から告げられた言葉はが予想していたものとは少しだけ違っていた。

    「今度うちに来ぇへんか?」
    「え?」
    「え? ……あ」

     は、白石の言葉が「俺もカブトムシ飼っとるんや」などと続くものだと思ったが、彼は「うちにもカブトムシがいるから見に来ないか」という意味でを誘った。その意味を彼女は瞬時に理解したが、白石はがカブトムシの存在を知らないと思っているため、自分自身をいきなり女の子を家に誘った変なヤツと思い込んで「あ、いや、今のは違うねん」と一人慌てふためいていた。
     はぽかんと呆けながら暫く彼を見ていたが、そんな白石がおかしくて噴出して笑った。

    「あはは、わかってるから、大丈夫よ。白石くん」
    「え」
    「忍足君から聞いてるの。カブリエルちゃん、だっけ? カブトムシ飼ってるんだよね」

     楽しそうにそう言ったに、白石の顔は蒼白から一変、照れと恥ずかしさで真っ赤に染まった。

    「何や、そうやったん……なら早よ言わんと、俺一人で慌てふためいてアホみたいやないかい」
    「焦る白石くんって何だか新鮮で、おかしくって」
    「自分、最近ええ性格してきたなぁ」

     四天宝寺の連中に毒されたせいだろうか。それも主に忍足謙也あたりだろうが、が楽しいのであればそれもまあ良しと白石は溜息と共に微笑んだ。

    「じゃあ改めて誘ったろ。今度カブリエル見に来ぇへん? 妹もさんに会いたがっとるしな」
    「あ、私も友香里ちゃんに会いたいな」

     今度お邪魔しようかな。そう言ったに、白石は密かにガッツポーズをした。
     妹をだしに使ったことは全く以って問題ではない。妹の友香里ものことを気に入っているのは勿論だが、それは彼女が自分を警戒しないためでもある。さすがに中学生といえど、三年生にもなれば男女の差がはっきりとしてきて、中々一緒に遊んだりもできない。だが、同性である妹に会いに来ると言う名目で彼女を誘えば、優しい彼女ならばきっと頷いてくれると確信していたのだ。

    「ほんなら、今度の日曜日でどや?」
    「うん、用事もないし、大丈夫だよ」
    「よっしゃ決まりやな」

     週末家に遊びに来るという約束を取り付けた白石は、それから取り留めの無い家族の話に移行した。やれ妹の友香里が生意気だとか、やれ姉にこき使われるだの、女系家族の恐ろしさをに滔々と語りつつ普段以上に饒舌な白石に、は苦笑で応えた。

    「きょうだいがいるのって、羨ましいな。私、一人っ子だから」
    「ああ……そか。そやったな」

     更に中学へ上がる前に母親を亡くしていたにとって、暖かい家庭は憧れそのものなのだということを、白石は不意に思い出す。それから、つい舞い上がって家族の話を持ち出してしまったことを後悔しながらへと頭を垂れる。

    「すまん。すまんなあ、さん」
    「ううん、気にしないで。白石くんのお家の話を聞くのも、私楽しいよ」

     それは決して偽りではない。そうかと息を吐いた白石に、は微笑みを浮かべながら続ける。

    「そのカブトムシ……カブリエルちゃんも白石君の家族なんでしょう? 会うの楽しみにしてるね!」

     目の前で微笑むクラスメイトに、白石は感動を覚えた。妹の友香里ですら、カブトムシを飼う白石の趣味を白い目で見ることが多いというのに、心から嬉しそうにそんなことを言ってくれるなんて。

    「ホンマ、おおきに」

     それからもう少し歩いて、大通りの交差点でぴたりと立ち止まる。さすがにまだ家まで送っていくとは言えず、毎日ここらで別れるのだ。

    「あ、じゃあ私はこっちだから……」
    「おお、気ぃつけてな。あー、そや、さん」
    「?」

     ひとつ言い忘れたことがあんねん。そう言って真剣な眼差しを送る白石に、少なからずは緊張を抱いた。一体何を言われるのだろう、と。
     ゆっくりと、白石の唇が開く。

    「カブリエルちゃんやのうて、カブリエルくんや。オスやねん」
    「……あ、うん」

     それは、ちょっとどうでもいい。そう思ったが言わなかった。
     未だには、白石や忍足の言動に対して突っ込みどころがわからないのである。

    to be continued...





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