「告白せぇへんのか」
「……はぁ?」
突然謙也から突拍子もないことを言われて間の抜けた声が出る。いや、さっさと告白すればええやろ。なんてさも当然のことのように言ってのける謙也に、ならお前は好きな女子に正面切って好きだと伝えられるのかと問えば、奴は真顔で「無理や」と答えた。だがそんなのは当然周知の事実である。忍足謙也という人物はカッコつけのヘタレなのだから。
「さっきからずーっと目で追っとるで。も気づかんと、結構鈍感やな」
「せやけどなぁ……って、ちょぉ待て謙也、お前今何て……」
「謙也くん!」
謙也から聞き捨てならない言葉が飛び出た気がして声を上げると、さんが会話に飛び入ってきた。
「これ、先生から。今日の放送で流してほしいって」
「おお、スマンなぁ。おおきに」
プリントを受け渡す二人を見ながら、ふつふつと沸きあがる醜いもの。何でや? そんな疑問を抑えきれず、ガタンと物音を立てながら席を立ち叫んだ。
「いつの間にそないな仲になってんや!」
「え?」
「名前や名前! 何名前で呼び合うてんねん」
「だって謙也くんが、そう呼べって……皆呼ぶからって」
俺の剣幕に圧されたのだろうさんは、たじろぎながら小さく答えた。そんな俺たちを置き去って、謙也は一人そそくさと離れていった。あいつ、と小さく呟いた声は誰にも届くことはない。
はーっと深い溜息を吐いて、謙也の後姿を見送りつつ睨みつけてやった。
「小春や金ちゃんはまだええ……せやけど謙也は許せへん。あのアホ、俺へのあてつけやな」
「……白石くん?」
「!」
「は、はいっ」
「今日から俺もそう呼ぶで。ええな?」
当然の出来事に頭がついていかない様子で、少々混乱気味のさん。いや、。
「俺のことも名前で呼んでや」
「……えっ、や、でも、白石くん……」
「蔵ノ介。短く蔵でもええで。な、名前で呼んで」
は大抵の"お願い"は聞いてくれる。素直でいい子だと教師からの評判もいい。だからといって融通が利かないわけでもないし、冗談も通じるから男女受けも良く誰からも好かれるタイプだ。そんなだが、さすがにこの"お願い"は酷だったようで。
「な、なんでいきなりそんなこというの? だって皆白石くんって呼んでるじゃない……!」
みるみる顔を真っ赤にさせて、教室から出て行ってしまった。
きっとトイレにでも行ったのだろう。残された俺は教室の天井を仰いで、深く息を吐いた。
「……あかん、押しすぎたわ」
ああいうタイプは急いたら駄目だと、知っていたはずなのに。テニスの聖書と言われていても、所詮中学生。好きな子の前で冷静でなんていられはしない。
「ああ、びっくりした……」
謙也くんから名前で呼ばれるようになったのはつい三日前。それまでは忍足くん、さんと名字で呼び合う仲だったのだが、もっと仲良くなりたいと言ってくれた彼が、名前で呼び合おうと提案してくれたのだ。私は名前で呼ばれることに抵抗はないし、謙也くんも周りの女の子たちがそう呼んでいるのを聞いていたからあまり抵抗はなかったのだと思う。けれど、何故白石くんがああ言い出したのかがわからない。もし、白石くんも私と仲良くなりたいと思ってくれているならとても嬉しいのだけれど、流石に彼のことを名前呼びする勇気はなかった。
「顔、熱い……どうしよう、教室戻りにくいなぁ」
手洗場から出て、火照った顔を冷まそうと手で押さえながら廊下を歩く。はあ、と重々しく溜息を吐いたそのとき。
「あらぁ、ちゃんやないのぉ。こんなトコロで会うなんて偶然やねぇ」
「……小春ちゃん。偶然も何も、ここ廊下だから」
キャラを作っているのか素なのか定かではないが、男子テニス部に所属していながらもとても女性的な存在である金色小春さん。その雰囲気から他の男子と同じように接するのは躊躇われて、彼も喜ぶから女友達のように接するようにしている。
そんな小春ちゃんが、いつものようにニコニコと微笑みながら私の教室――三年二組を指差した。
「さっき蔵りんとこ遊びに行ったんやけどー、なんや落ち込んでてホンマ絡みづらかったわー」
「落ち込んでて……?」
「やってもたーとか何とか言うとったで」
「あら、ユウく〜ん」
何でもないことのように話す小春ちゃんに聞き返せば、背後から答えが返ってきた。一氏ユウジくん。彼も男子テニス部所属で、小春ちゃんとは自称お笑いテニスの良きペアでもある。
「何をやってもうたんやろな」
「何やろねぇ?」
そう言いつつ二人が私を見る。その顔がどことなくにやついていて、私は咄嗟に「知らない」と言って教室に飛び込んだ。だけどそこでふと我に返る。教室には、その白石くん本人がいるのに。
「あ」
「……!」
教室へと駆け込んだ瞬間、顔を上げた白石くんと目が合った。彼はなんだか気まずそうに視線を左右に泳がせたが、気まずいのは私のほうも同じだった。
何か声をかけたほうが良いだろうか。そう思った矢先、授業開始のチャイムが鳴ったことで慌てて席に戻る。助かったと、安堵の溜息が漏れた。
授業中もひたすら白石くんの視線が突き刺さる。やっぱり名前、呼ばなきゃダメなのかなって、悶々と悩んだ。でもなんだか白石くんを下の名前で呼ぶことは、何だか友達とは違うもっと特別な意味が込められている様な気がして、私なんかが呼んでいい名前じゃないんじゃないかって、そんな風に思うのだ。
例えば白石くんと仲良しの謙也くんが彼のことを「蔵ノ介!」だなどと呼んでいても、別に誰も不思議には思わないだろう。むしろそれが定着して、他の人もそう呼ぶようになるなら、彼の名前に特別性を感じることもないのだろう。それが、謙也くんと白石くんの違いなのだと思う。自分自身、まだわかっていないけれど。
終業を告げるチャイムが鳴って、それぞれが帰宅や部活へ行く準備を始める。私もテニス部へ向かうため鞄に教科書を詰め込もうと手を伸ばしたが、近寄ってきた影に気づいて手を止めた。
「すまん」
「え?」
「休み時間、すまんかったなぁ。もう無理にあんなこと言わへんわ」
「あ、うん……私も、逃げてごめんね」
白石くんが恭しく頭を下げるものだから、私も慌てて謝った。
授業中も気まずくて俯いたままだったのだが、無視しているようで感じが悪かったかなと思い不安を感じていたが、彼のおかげですっと胸が軽くなるのを感じた。
けれど、
「いや、俺が全部悪いねん。……ほなな、さん。また部活で」
「……っ」
拒絶したから、だろうか。一度だけ勢いづいてと呼んだ唇から、「さん」と他人行儀な呼び方に戻る。今までと何ら変わりはないのに、何だか鋭い痛みを感じた。
それは、我侭というものだってわかっているけれど。
「もう、呼んでくれないの……?」
「え?」
「な、んでもない。ごめんね、また後でね」
そう言って、また鞄に荷物をまとめる。白石くんはやや暫く何も言わずに立ち尽くしていたけれど、やがて柔らかく微笑むと私の隣の席に座った。掃除の邪魔になるよと伝えたかったけれど、そうしなかったのは。否、できなかったのは、
「やっぱ、一緒に行こか。」
彼が嬉しそうに私の名前を呼んだから。
それから我侭言ってごめんねと言えば、白石くんは得意げに胸を張って
「女の子の我侭は聞いてやるんが男や。俺は、めっちゃ嬉しいねんけどな」
そう言った。だから私も、いつかそれに応えたいと思う。
今は無理でも、近い未来に。
彼との距離が今より少しだけ近づいたら、そのときは。