君の優しさ




     関西人は歩くのが早いとか、ケチで守銭奴だとか、ヤクザや暴力的な人が多いとか。転校する前に友人から植え付けられたマイナスのイメージを抱いて恐る恐る開いた扉の中に私はいる。もうかれこれ一週間ほど、経過しただろうか。この辺りの地理はまだ慣れないけれど、道行く人に聞けばすぐに教えてくれる。関西人は人情溢れるという情報も間違ってはいないようだ。確かに登校中の他の生徒たちは私よりも大分早足で大股歩きで、どんどん追い抜かされてしまったり、せかせかしてるというイメージもあながち間違いではないのだけれど。
     転校初日から多くの同級生に囲まれて、果てには他クラスや他学年の子達が教室まで見に来たりと、校内が落ち着くまではかなり気持ち的に大変だった。東京都内でこれまで通っていた学校でも毎年毎学期には通知表に"積極性に欠ける"という内容で書かれることの多かった私にとって、この学校でやっていける自信なんかなくって。転校初日に一発芸をやれなんて言われた瞬間には目の前が真っ白に、いや、真っ暗になりかけたほどだったけれど、そんな中にも救世主はいるんだなあ、ぼんやり思った。

    『さん、かわいそうやわ』

     ことある毎にそう言って、周りの生徒たちを宥めてくれる白石くん。その度に「気があるんやろ」だなどと言われて誤解を生んでしまいそうになっても、彼は全く動じないどころかそれを笑いに変えてしまう。優しくて、人望があって、楽しい人だなあって思うと同時に、同じクラスに彼のような人がいてくれてとても安心した。

    「おはよ、さん」
    「……おはよう、白石くん」

     朝、席に着くと真っ先にそう声をかけてくれる。何か部活をしているのか、毎朝彼は私よりも早くに登校していて、額には汗を浮かべている。

    「部活、何してるの?」
    「んー? テニス部やで」

     鞄から教科書を取り出しながら勇気を持って尋ねてみたら、何でもないことのようにそう返された。このクラスでは、忍足謙也くんという人が同じテニス部の仲間らしい。そういえば、よく元気な男の子と一緒にいるのを見かける。彼がそうなのかな、と思って「そうなんだ」と短く返しておいた。
     私が転校してくる少し前に行った席替えで前の席になってしまったらしい彼は、まだ登校してきていない子の、つまりは私の隣の席に肘を突いて座りながら、楽しそうに笑った。

    「自分、テニスに興味あるんか?」
    「え? えっと……すこし、だけ」

     嘘ではない。身体を動かすことは嫌いではないし、常々体力づくりはしたいと思っていたのだけれど、陸上や運動部に入るほどの体力はない。

    「でも私身体そんなに強くなくって、風邪の予防とか体力づくりとか、一応気は使ってるんだけど……」
    「おお、えらいなあ。生まれつき身体弱いんは仕方あらへんし、自分で気ぃつけるんはええことやで」
    「……ありがとう」

     健康についての話題になった途端、白石くんの目が輝きだす。よく効くうがい薬とか、手荒れのしにくい固形石鹸とか、そんな情報をたくさん教えてくれた。健康はいいことだけれど、少し度がいきすぎた感じなのかもしれない。
     彼の健康への情熱について耳を傾けていたら、白石くんは突然思いついたように、

    「せや、さん。ウチの部活見に来ぇへん?」

     そう口にした。つい、え? と聞き返す。もう一度、テニス部に見学に来ぇへんか? などと優しく尋ねられたが、その瞳は断らせる気など微塵もなく、「来るよな」と見えない圧をかけられているようだった。小さく「はい」と頷いたら、彼はよしよしと笑って、

    「ほな、放課後一緒に行こ。部のみんなに紹介したるわ」



    「白石、早よしぃや!」
    「そない慌てんと謙也。部活もテニスコートも逃げはせぇへんで。お前掃除は終わったんか」
    「スピード勝負で負けるんは絶対に嫌や! 俺が一番乗りやで! ……即行で終わらせたわ!」
    「……誰も勝負してへんて」

     言うが早いか、忍足くんは我先にと教室を飛び出して行ってしまった。 実際、白石くんの準備なんて既に終わっていて、彼は私の身支度を律儀に待っていてくれていたのだ。
     週の掃除当番が休みの班以外、これから掃除が始まろうとしていたのに、忍足くんの何と行動が早いことか。後姿を見送って、白石くんは呆れたように「仕方ない奴や」と笑った。

    「あの、白石くん」
    「ん?」
    「先に行ってもいいよ? テニスコートの場所は私にもわかるし、」
    「何や、俺と一緒におるんは嫌か?」

     ムッと唇を尖らせる白石くん。そうじゃないけど、でも待たせるのは悪い。

    「そない思うんやったら手ぇ動かしや」

     早く部活行くで、と腕組しながら窓枠に背中を預けて私のことを待つ彼に短く嘆息して、残りのノートを鞄に仕舞う。
     鞄を肩にかけて、席を立つ。と、「ほな行こか」白石くんが歩き出す。

    「忍足くんは良かったの?」
    「んー? まぁ、カギは俺管理やし、部室には入れんやろなぁ」

     そんな風に呟きながら、私の歩幅に合わせてゆっくりとテニス部の方へと向かう白石くん。その後ろから、

    「しーらいしぃぃぃ!!」
    「きゃあ!?」

     大きな声を上げて、小さな体で元気な男の子が飛びついてきた。驚いて体制を崩しかけた私を支えながら、白石くんが呆れながらその少年へと答える。

    「金ちゃん。いきなり大声出したらびっくりするやろ」
    「なんやー? 知らんねーちゃんや。白石、このねーちゃん、誰や?」
    「こないだ俺らのクラスに転校してきたさんや。さん、これ、ウチの部の一年生」
    「遠山金太郎や! よろしゅう!」

     元気いっぱい、制服の下に見えるヒョウ柄のシャツに、彼はこの学校で最も大阪人らしいと思った。偏見かもしれないが、それほど典型的だったのだ。

    「です。よろしくね、遠山君」
    「おう!」

     今日部活を見学することを白石くんが伝えると、遠山君は目をキラキラと輝かせて「ホンマか!?」と食いついた。どうやら、見物人がいると張り切る性分のようだ。

    「ほんなら早よ行こ、もう謙也がきとるわ!」
    「そないに急がんでも、カギは俺が持っとるんやから、部室に入るんは皆一緒やで」
    「……そやったわ。謙也はアホやなぁ」
    「金ちゃんには言われとうないと思うで」

     仲の良さ気な先輩後輩のやり取りに、つい頬の筋肉が緩むのを感じる。この様子だと、他のメンバーとも仲が良いのだろう。羨ましくて、何だか切なくもなる。

    「どないした?」
    「え?」

     遠山君と言葉を交わしながら前を歩いていた白石くんが、突然振り返って私に声をかけた。

    「や、元気ないように見えてな。具合悪いんやったら無理せんでも……」
    「ううん」

     そうじゃないんだけど、言葉を濁して頭を振る。見れば遠山くんも首をかしげてじっとこちらを見つめている。既に心配はかけてしまっているようなので、偽ることなく本音を口にする。

    「仲良さそうで、いいなって」
    「……そか」
    「ねーちゃんも仲良うしよ! ワイが友達になったる!」
    「ふふ。ありがとう」
    「……金ちゃん、金ちゃんは友達の前に後輩や」

     すまんなぁ、ウチの金ちゃんが。なんて母親のような白石くんにまた笑みが零れる。面白いなあ、四天宝寺。
     それから校庭に出てテニス部の部室へと向かえば、外にメンバー達が集まっていた。一番先に来ていたのだろう忍足くんが、手を振っていた。

    「遅いで白石!」
    「アホ、まだ開始時間の十分前や」

     叫ぶ忍足くんに、白石くんも負けじと返す。その後ろには他のテニス部のメンバーらしい長身の男の子やお笑いコントをしている子もいて、なんだか楽しげだ。
     いいなあ、なんて呟く前に、白石くんが再び私を振り返った。

    「ほら、さんも。行くで」

     そんな当たり前のように誘ってくれる彼に、何度目かわからない感謝を抱いた。

    to be continued...





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