冷たく温めて




     さんは誰か好きな人いないの?
     この子、誰だっけ。そんな風に思いながらわざわざ人の席まで来た同じクラスの女子を見上げる。少し遠くでは、数人の女子グループがこちらを見ていた。どうやら、グループの間で好きな人を暴露しあったりして、他の女子にも聞いて回っているらしい。そんなことして何の意味があるかわからない。それを誰かに言ったところで、本人に伝えなければ叶うことなどないのに。他人に話して、応援と称した偽善とかで、あわよくばを狙っているのだろうか。どちらにせよ、自分には関係のないことだ。

    「いないよ」

     いつものように無表情で、そう答える。強いて言えばギターかな、なんて言えば、目の前の女子は「さんっておもしろーい」と笑った。こちらは至って真面目に言っているというのに、失礼な反応だ。

    「越前君とかは? 喋ってるの、見たけど」
    「……会話したからって、好きとは限らないんじゃないの」

     越前という名前を出した彼女の目が変わったのを、は見逃さなかった。自分か、もしくはグループの誰かが、本気で王子様に恋しているらしい。何て身勝手なんだろう。次の言葉は予想できた。

    「あの子が越前君を好きなんだって。ねえ、さん仲いいよね? 好きじゃないなら、協力してくれない?」

     協力って、何を? 仲を取り持って、王子に紹介しろとでも言うのだろうか。そんなことをしたって、彼の印象に残るとは全然思えないのだけれど。「この子、クラスの○○さん」と言ったところで、「で?」と返されて会話は終了。友達でもないその人のために、自分がそこまでやってやる必要はどこにもなかった。

    「やだよ、面倒くさい」
    「え!? さん、つめたくない?」

     女子は心底面倒だ。

    「クラスメイトでしょ? 普通に話しかければいいじゃない。友達なんでしょ? そっちで協力し合えばいいじゃない」

     の正論に対し、言葉に詰まったクラスメイトはやがてわなわなと拳を震わせた。「やっぱりさんって冷たい人!」そんな捨て台詞を吐かれたところで、にとっては痛くも痒くもないのである。
     どうせ、自分たちも協力なんてしたくないくせに。多分、グループの半分以上が、もしかしたら全員が、越前リョーマをいいと思っているに違いない。一年なのにテニスがとても強くて、帰国子女で英語が完璧で、クールで。冷たいがそこがまたいい、と先輩方からの人気もある。そんなミーハー女子は上辺だけの友達関係を築きながら、互いに牽制し合っている。好きな人で先に名前を挙げた方は、流れ的に他の子が協力を申し出てくれるのを待っている。勿論協力するよと言った方は、あえて告白させて早く玉砕してしまえと願っている。第三者のに協力してくれと言ってきたのは、グループに属していないが意中の相手とそれなりに仲良くしていることで、協力関係を結んでしまえば越前リョーマとがそういう関係になることはないと踏んだからだろう。しかし彼女らにとって誤算だったのは、が想像以上の一匹狼だったことだ。普段一人でいても、落し物を拾ってくれたり理由があれば掃除を代わってくれたりするので、親切心がそれなりにある彼女は断らないと思っていたようだ。

    「……くだらない」

     グループに戻って、ひそひそと自分を批判する声が聞こえてきて、主旨が変わっていることを内心呆れつつ、は窓の外を見た。青々と広がる空に、溜息を零す。



    「元気ないんじゃない」

     放課後、休み時間にあった出来事を思い出すと胸がむかむかとしてくるので今日は練習せずに帰宅しようと鞄とギターケースを背負ったに、そんな声がかかる。同じくらいの背丈しかない越前リョーマを見て、は溜息する。リョーマはというと、心配して声をかけたのに自分を見て溜息を吐かれてしまい、ムッと面白く無さそうに表情をゆがめた。

    「何、その態度」
    「べつに。部活行かないの?」

     これから行くよ、とリョーマが答える。掃除を終えて、鞄を取りに来ただけだと言う。だったら早く行きなよと発言したは、心の底であんたのせいだと呟いた。

    「あっそ。……じゃ」

     虫の居所が悪い時は誰にだってある。自分もそういう日は確かにあるので、面白くはないがそれも仕方のないことだと思うことにして、それ以上の感情を抱くことはなく、リョーマは部活へ向かうために鞄とジャージの入った袋を手に教室を出ようとした。

    「ねえ」

     リョーマの背中に、今度はが声をかける。無言のまま顔だけを向ければ、はリョーマを見てはいなかった。早く行けと言ったり呼び止めたり。相変わらず行動の読めない奴だと呆れつつ、それでも足を止めてしまう辺り、リョーマ本人も彼女のことを気にしているのは間違いの無いことだった。
     はまだ青い空を見つめながら、ぽつりと呟く。

    「好きな人いる?」
    「は?」

     まさかそんなことを聞かれるとは思いも寄らず、リョーマは呆然とした。その言葉の真意は、どこにあるのか。彼女が自分に好意を寄せているとは思えないので、ともすれば、他に誰か気になっているやつがいるのだろうか。
     リョーマは呆れながら、ゆっくりと身体をの方へと向ける。

    「それ、答える必要あるの」
    「……ないね」

     リョーマの言葉に答えたも、視線を窓からリョーマへとうつし、少しだけ眉尻を下げて笑った。

    「やつあたり、ごめん」

     何に、とか、どうしたとか、そんな話は一切ない。今の会話の何が彼女の心を落ち着かせたのかもわからないが、それでもこの緩んだ空気に、リョーマは確かに安堵した。

    「別に、いいよ」

     じゃあ、俺もう行くから。
     今度こそ背を向けて教室を出たリョーマを、はただ黙って見送った。

     もう少しだけ、ここにいよう。

     グラウンドから運動部の声が聞こえてきて、は再び窓の外を見た。やがてそこに見える小さな王子の姿を目で追いかけてみる。テニス部の掛け声のほかに、ギャラリーである女子の黄色い声援が聞こえる。教室からではその姿までは確認できないが、恐らくはあのクラスメイト達の姿もあるのだろう。
     あくまでも、はあの喧騒の中にはいたくないのだ。
     好きか嫌いか。そんな言葉では図り切れない拙い感情を、外に曝け出すなんてこと出来るわけがなかった。己の想いを無闇やたらと周囲にアピールする彼女らは、きっと恋に恋しているのだ。

     この気持ちは、自分だけのもの。

     冷え切った心が、少しだけ温かかった。

    to be continued...





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