猫屋敷の娘




     朝練後は、俺だって少なからず疲れはあるもので。ホームルームまで時間はまだあるし、自分の席で座って休んでいた。隣のクラスのくせにわざわざやってきて大声で喋っている桃城に舌打ちをしつつ窓の外に目をやったときだった。
     校門に向かって勢いよく走っている女生徒が目に入る。昨日帰宅途中に出会った、同じクラスのという女だ。まだホームルームは始まらないとはいえ、校門が閉まるギリギリの時間だ。髪が乱れている。寝坊でもしたのだろうか。

    「……、おはよう!」

     ガラリ。ドアを開けてが教室へ入ってくると、その声のでかさにクラス中が目を向けた。汗だくで、肩で息をしながらも挨拶するその律儀な姿に、同級生達は噴出して笑った。一番大声で笑っていたのは桃城だった。

    「はよ。、お前ここに寝癖ついてんぞ?」
    「ええっ!? ホント? でも私、櫛持ってないなあ」

     などと照れ笑いを浮かべながらも無造作に頭をかくその姿に、ホントに女かよ、とどこからか野次が飛んでまた笑いが起こる。そのことに別段腹を立てることもなく、むしろ一緒になって笑っているくらいだ。
     櫛とピンを持っていると言う他の女生徒からそれらを借りて、一緒に借りた小さな鏡を見ながら寝癖を直す。その後直ぐにチャイムが鳴って、桃城は自分の教室へと戻った。立ち話をしていた他の連中も自分の席に着席し始める。慌ただしい雰囲気の中、不意に髪を直し終わったと目が合う。

    「おはよ」
    「……ああ、おはよう」

     斜め前から突然話しかけられ、低く唸るような声しか出なかった。ドスのきいた声とは、よく言われるけれど。
     は何か言いかけたが、すぐに担任が入ってきたため慌てて姿勢を正していた。おかしなヤツだと思った。
     明るい、という言葉がよく似合う。誰にでも平等に接し、裏表がない。正直言って頭はそんなに良くないと思うが、宿題を忘れても当てられて答えられない設問があっても、教師から嫌われることもない。何においても、が正直者だからだ。



    「今日も遅いの? 部活」

     昼休み、食べ終えた弁当の空箱を片付けているところには現れた。相変わらずよくわからないやつだ、と思いながらも尋ねられた質問に対してああと頷く。昨日同様、部活と言うよりは自主トレーニングで遅くなる旨も律儀に伝えて。
     は、

    「そっか」

     とだけ言って、笑みを浮かべたまま去っていく。何だったのだろうと、考えたところであいつの考えていることは俺には全くわからない。
     それから五限目を受けて、帰りのホームルームを終えて部活に走る。幸い今週は掃除当番に当たっていないため、直行する。いつも通り手塚部長と乾先輩の厳しい指導のもと練習を終え、その後は他の部員と別れて自主練を開始する。乾先輩から課せられた特別メニューだ。終わる頃にはいつも通り空はもう暗くなって、昨日と同じ道を通って帰る。

    「あ、ほら。やっぱりいた」

     突然聞こえた声に顔を上げれば、そこには昨日と同じように制服を着たが立っていた。昨日と違うのは、彼女の腕に大人しく猫が抱かれているところだろうか。それは、昨日俺が見つけて触れようとしていた、あの猫である。
    「ねぇ、言ったとおりでしょ?」そう言っては猫へと笑いかける。動物にそんなこと伝わるかは定かではないが、猫はの腕の中で頷くように小さく鳴いた。

    「何やってんだ、こんな場所で」
    「今日も練習するって聞いたから」
    「だから、なんで」

     昨日偶然会っただけの、ただのクラスメイトでしかない俺を、わざわざ待っていたというのか。猫がいるということは、それほど自宅は遠くないのだろうが、それならば何故は制服のままなのか。疑問に思うことは多々あったが、それを問うのは躊躇われた。大して親しくもないヤツが、無神経に踏み込むのは出来ないことのような気がしたからだ。

    「今日は一緒に帰ってもいいかな?」

     この子も一緒に、と抱えた猫を半ば強引に俺の腕に抱かせてくる。俺はと言うと、今まで警戒心の強い野良猫しか相手にしたことがなかったから、こんな風に猫を抱くのは初めてで。嬉しさと緊張が混じった顔でを見た。

    「あはは。仲良くしてあげてね。この子、すみれちゃんって言うの」
    「……」

     猫の名前を聞かされた瞬間。絶対にこの子を名前では呼んであげられない、と思った。

    「竜崎先生と同じでしょ? 他にもさくらちゃん、つばきちゃん、ぼたんとか、つつじとか。お花の名前が多いなー」
    「そんなにたくさん飼ってるのか」
    「……うん、そう。そうすれば、寂しくないでしょ?」

     たくさんの猫や、他にも動物を飼っているとは寂しそうな顔のまま言った。彼女の抱える事情はよくわからない。ただ、俺に何かを求めているだろうということは明白だった。でなければ、わざわざ他人に怖がられるような人相(認めたくはないが)の俺を選んだりはしないはずだ。

    「今度、他のも連れてきてくれるか」
    「……うん。じゃあ、明日は他の子とお散歩してるね」

     は小さく笑って、それから「ありがとう」と言った。一緒に帰る事を許可したことか、それとも何も聞かなかったことか。またはその両方か、理由はわからないが、俺はただ静かに頷いた。
     また明日も、その次も、恐らくは現れるだろう。それを密かに楽しみにしている自分に気づかぬまま、俺は自主トレを続けることになる。

    to be continued...





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