Story

    コーヒーより苦く、





     最近視線を感じる。いや、仁王や周りを巻き込んでバカ騒ぎをしている時なんかは、周囲の視線が自分に集まることはよくあるんだけど、でもそうじゃない。決して近寄らず、遠巻きに俺を見ているのだ。彼女は。

    「ー、次移動教室、一緒に行こ」
    「うん」

     友人からの声掛けに、ふわりと微笑んで席を立つ、扉側の後ろから二列目の女子。名はと言って、特に特徴もない普通の女の子だと思う。目立ちはしないが普通に可愛いし、なんか甘い匂いするし。
     同じクラスになって早二ヶ月。視線を感じるようになったのは、五月に入ってから、ゴールデンウィーク明けのことだ。入院している幸村君に情けない報告はしたくないと、常勝立海大の意地を見せるべく意気込んでいる真田の提案で練習量が倍くらいに増えて、腹が減って休み時間ごとに大量のパンや菓子を頬張る俺を、彼女はじっと見ていた。欲しいのかな? なんて一瞬思ったが、前に俺の寝癖を見ていたらしい仁王に「いる?」とパンの袋を差し出したら「何でもお前の物差しで測ったらいかんぜよ」と意味不明なことを言われたので、多分そういう理由とは違うのだろう。
     真面目そう、だなあ。俺の机の脇を通り過ぎてくにそんな感想を抱く。無意識に視線を送ると、一瞬だけ目が合った気がして、なんだか気まずくなった俺はすぐに友人たちのほうに意識を戻し、いつものように廊下まで聞こえるんじゃないかってくらいの大声で笑った。
     今だけだと思っていたからの視線は、それからも一向に無くなりはしなかった。授業中は特に感じないが、いつも、休み時間になると俺が食っているのを黙って見ている。これは、やっぱり、そういうことなんだろうか?

    「!」

     ガタン。席を立ち、空いていない菓子の袋をもっての席へと向かう。突然のことに驚いた彼女は目を見開いて固まっていた。
     ぽんっと机の上に菓子を放って、ニッと笑ってみせる。

    「それ、やるよ」

     最近ずっと見てるだろ? 何気なしに口にした言葉だが、は一気に顔を青くして立ち上がると、一言も喋らずに教室を出ていってしまった。お菓子の袋をしっかり持って。

    「……なんだありゃ?」
    「おーいブン太。何しとるんじゃ」
    「あ、仁王。なんかさー」

     カクカクシカジカ。俺の低い表現力で何とか事のあらましを説明すると、仁王は「早まったな」と意味深に呟いた。何が早まったって? わけがわからない俺は、食べかけのメロンパンにかじりついた。





    「ありゃさんじゃのう」
    「は?」

     部活帰り。仁王の言葉に顔を上げてどこだよと問えば、あれじゃよと相変わらず老人みたいな喋りで仁王は信号機の向こう側にあるファミレスを指さした。ガラス窓の向こう。何やら難しい顔で一人座っているが映る。気になるなら行ってきたらどうだと笑う仁王の尻に蹴りを入れてから、結局のところが気になっている俺は信号が青に変わるのを待って、横断歩道を渡った。
     もう空はだいぶ暗いのに、一人で何やってんだろ。そう考えれば考えるほど、が気になる。もしかしたら俺への視線は気のせいで、見ていたのは隣のやつだったかもしれない。切欠はそうでも、俺が彼女と話してみたいと思っているんだから、行動しない理由は無かった。

    「何してんの?」
    「!」

     コーヒー一杯で、ノートと教科書を広げて唸っていた彼女は、俺が声をかけると弾かれたように顔を上げて、この前の時と同じように顔を青くした。かと思えば、すぐにまた視線を外し、俯いてしまう。
     やっぱり変なの。俺、何かしたっけ?

    「えっ、と……数学の、課題。家じゃ捗らないから……」
    「え。それって提出期限来週だろぃ? 何、もうやってんの?」
    「……すぐにやっておかないと、忘れちゃうから」

     そう言ってはすぐにまた俺から視線を外し、ノートに計算式を書き始める。
     やっぱり、マジメなんだな。それは予想通りだったけど、どうしてもわからないことがあった。
     俺は店員のお姉さんにベリーパフェを注文して、無断での向かいに座った。横目でちらりと様子を見れば、びくびくと肩が震えている。勉強しているふりで、実は全く手は動いていない。

    「なんで、そんなに警戒してんの?」
    「……べつに、してない」
    「してるだろぃ。休み時間も、話しかけたら逃げたじゃん」
    「! それは……っ」

     再び顔を上げたは、少しだけ俺と目を合わせた。怯えたようなの瞳に、面白くなくて怒ったような顔をした俺が映っている。

    「……男の子、苦手なの」
    「え?」

     小さな声でようやくそれだけを告げたは、テーブルに手をついて立ち上がった。テキパキとノートと教科書を仕舞い込んで、鞄を肩にかけて逃げるように店を出た彼女の背中を俺はただ見ていた。
     男子が苦手。その声が鼓膜の奥で反響する。だとすれば、今日の俺の言動は、彼女に対してただならぬ恐怖を与えていたのではないだろうか。

    「お待たせ致しました」

     入り口の自動ドアを眺めぼうっとしている俺の右側から巨大なタワーが現れる。いつもなら大興奮で胃に収めるそいつは、今日はなんだか重たく感じた。目の前には、が頼んだのだろうコーヒーが手付かずのまま置いてある。
     かき込むようにパフェを食べ終えた俺は、冷め切った黒い液体を呷った。それでもキンキンに冷えたパフェよりは幾らか温かく、砂糖が行き渡った舌には物凄く苦かった。
     まるで今の俺の心の様だなんて、詩人のようで笑える。幸村君じゃあるまいし。

    End.





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