Story

    花は似ている





     昔からあわてんぼうでミーハーだった姉が、雑誌の記者となって家を出たのは数年前のことだけど、それはついこの間のような気すらして、あまり実感がない。というのも、よく帰省しては仕事の愚痴や思い出をつらつらと話していくのだ。やれ井上先輩がどーのとか、最近の中学生はカッコいいだとか。現女子高生の私から見れば、中学生なんてただのガキだし、興味なんか無い。っていうか、姉は何の雑誌の記者をしているんだっけ。ショタ関係? なんて真顔で尋ねれば、呆れたように母と姉にダブルツッコミを食らった。そうだった。私の姉、芝砂織は、月刊プロテニスという雑誌の編集者なのだ。

    「だってさ。プロテニスなのに、何で中学生のことばっかなの」
    「わかってないわねー、。最近の中学生を侮っちゃダメよ? 彼ら、もうすっごい格好良いんだから!」
    「……そんなんだから、未だにお嫁の貰い手がないんじゃないの」

     さらり、そう言ってのければ、姉は顔を赤くして「それは言わない約束でしょ!」と言った。まあ、確かに私には関係の無いことだけども。

    「中でも幸村くんは、格別なんだから!」
    「はいはい」

     誰、幸村くんって。
     そう思い、適当な相槌を返しながら私はリビングから二階にある自分の部屋へと向かう。いい大人が中学生をアイドルみたいに持ち上げて、馬鹿みたいだ。確かに昔からそういうところがあった気がする。友達と一緒にアイドルの追っかけをやってみたり、学校の格好いい先輩の情報収集をしたりとか。我が姉ながら、何てミーハーなんだろう。
     ああ嫌だ嫌だ。私は絶対に、そんな大人にはなりたくない。恋愛もテニスも興味ないし、私はただ、平穏な毎日を送っていられればそれでいいのだ。
     気分を取り直して音楽でも聴こう。そう思って本棚に並べられたCDケースに手を伸ばしたとき。私の目に映ったのは、姉が取材していると言っていた月刊プロテニスの先月号だった。そういえば、母が何冊か買って、その内の一冊を私に無断で毎月本棚に足していくのだ。正直止めてほしい。だが、先ほどの姉の言葉が脳裏を過ぎる。

    『中でも幸村くんは、格別なんだから!』

     だから、誰よ。幸村くんて。
     ただの気まぐれで、伸ばした手を雑誌に向けて、開いた。独占インタビュー! とか何とか、でかでかと見出しが書かれたカラーページには、姉が言うように中学生とは思えないほどの端麗な容姿の少年の姿があった。インタビューの内容も、ところどころ捏造はあるのかも知れないが、およそ中学生とは思えない。

    「でも、子どもでしょ……」

     いくら格好良くてもガキはガキだ。私の眼中にはない――というか、知り合いですらない彼を、どうして見定めているのだろう。彼らにとってもいい迷惑だと考え直し、雑誌を閉じた。
     幸村精市。立海大付属中学校三年生。テニス部。趣味はガーデニング? 昨年冬に病気が発覚。入院、リハビリを経て――
     雑誌に載っていた情報が次々と浮かんでは消えて、ベッドの上であーとかうーとか言いながらもがいた。なんで、私は会った事も無い少年のことを気にしているのだろう。馬鹿らしい。

    「神奈川……かぁ」

     明日はちょうど土曜日だし、予定も無い。
     財布を開いて所持金を確認。バイト代は余裕あるし、暇つぶしにはちょうど良かった。ただ、それだけ。





     相変わらず、中学生のパワーってすごい。土曜日でも日曜日でもまるで関係なく、練習練習練習で、青春の全てをそれに賭けても良いと思える気概がある。私は、私の三年前はどうだったのだろう。こんな風に、何かに熱意を向けることができていただろうか。
     姉がああいう人だから、それを見て育った私には変な対抗心があったのだろう。まるで反面教師のように、姉とは正反対の選択をした。小学校から、中学に入って、高校に上がってさえも。

    「……どこかしら」

     フェンスの外から眺めるだけでは、部員数が多すぎてどこに誰がいるのかもわからない。流石、常勝立海大というべきか。しかし雑誌で見る限り、この中学で特に注目されているのはレギュラーのトップスリー。三強と呼ばれる、部長幸村、副部長の真田、そして柳という生徒だ。他のレギュラーはページの隅に写真が載っていた気がするけれど、正直名前すらおぼろげである。
     興味本位で訪ねてきたのはいいけれど、流石にこの中にずかずかと入っていく勇気は私にはない。せっかくやってきたけれど、ここは潔く諦めるべきだろうか。

    「幸村くん……」
    「はい?」
    「!?」

     少しだけ、残念だ。
     そう思って写真でしか知らない少年の名前をつぶやけば、すぐ近くで反応が返ってきた。

    「あ、驚かせてすみません。さっきから、誰か練習を見てるって部員たちが気にしていたもので」

     他の中学の偵察かと思って。けど、違うみたいですね。
     穏やかな笑みを浮かべながら発する声はまるで森林の風のように透き通っていて、瞳は深い海のように私を貫くようで、三つも年下なのに怖いと思ってしまう。

    「あ……練習の邪魔をして、ごめんなさい。それじゃ――」
    「? 俺に用があったんじゃ?」

     まさか、姉が貴方の名前を連呼してうるさいから気になってしまったなんて言えるはずもない。

    「な、なんでもないの。偶然雑誌で見て、通りかかったから……っ」
    「ああ、そうなんですか」

     それじゃあ、と逃げるように去ろうとした私を、どうしてだか幸村くんはコートから出て追いかけてきた。
     待って。そう腕を掴まれて、逃げられやしない。
     中学三年と高校三年。年の差はあっても、運動部の男の子なんてもう体が出来上がっていて、振りほどこうとしたって無理だった。

    「せっかくだし、見学していってください」
    「え……えぇ?」

     何がせっかくなのか、全くわからない。言えるのは、神の子と呼ばれし幸村くんの力が強いということだけ。
     そのまま諦めて、コート内のベンチへと連れて行かれる。部員達の好奇の視線に晒されてかなり居心地が悪いが、遠巻きに見てくる部員達の中で、一人、こちらへ向かってくる少年がいた。

    「お姉さん! 名前は何て言うんスか?」

     先ほど、幸村くんが「気にしていた」と言っていた部員だろうか。心なしか彼には見覚えがあった。

    「え? えっと……芝です。芝」
    「へぇ! じゃあ、俺の名前わかります?」
    「えっとぉ……き、きりはら、くん?」
    「あったり!」

     確か、期待の新人とか、書かれていた気がするが、それ以上に、神の子幸村の復活! なんて記事が目立っていたせいで曖昧だったのだけれど、合っていて良かった。切原くんは犬のように嬉しそうに笑っていて、素直に可愛いと思った。

    「赤也。困らせちゃダメだよ」
    「うっ、はい……」

     幸村くんに横から注意を受けて、すごすごと背を向ける切原くん。やはり幸村くんは部員にとっても怖い人なのだろうか。
     切原くんに頑張ってねと手を振って、彼は元気な返事とともに小走りでコートへ戻る。そして練習を始めた部員たちを眺めながら、私は、昔の自分を重ねていた。

    「すごいなぁ……」
    「え?」
    「みんな熱意があるわ。私の時とは、大違い……」
    「……芝、さんは」

     部の練習を見ていた幸村くんは私へと視線を移して、少しだけ控えめに口を開いた。

    「雑誌で俺を見たって言っていましたけど、月刊プロテニスの?」
    「う、ん。そう」
    「どうですか? 実際に見てみて」
    「……テニスのことはよくわからないけど、みんなの真剣さは伝わるわ。さすが常勝立海大ね」
    「……ふふ」
    「?」
    「いや、似てないなあと思って。……お姉さんと」

     お姉さんと? その言葉に、私はハッとする。

    「姉を知って……っていうか、気づいていたの?」
    「なんとなく、似てるなって。さっき赤也に名乗ったことで確信しましたよ。……インタビューを受けた時に、少し話をして。俺にも妹がいるので、その話題では盛り上がりました」
    「盛り上がったって……姉さんのテンションに付き合わされただけでしょう? 悪いわね」

     インタビュー時の姉を思い浮かべながら、目の前の落ち着いた少年の困った様子を思い浮かべながら少しだけ同情する。でもきっと、優しい彼は突き放したりはしないんだろう。

    「いえ……でも、会えて良かった。俺も気になっていたんです。芝さん全然似てないって言ってたから、どんな人かなって」
    「……」

     なんて顔で笑うんだろう。中学生が。
     これじゃあ私だって、姉さんと変わらないじゃないか。

    「受験、の、暇つぶしだし……今日は講習もなかったから」
    「そう」

     それで、どうだった? 会ってみて。

    「……えっ?」
    「中学生だって、馬鹿にはできないでしょう?」
    「っ! ぜ、全部、知っていたのね」

     私が中学テニスに興味なかったことも、どうせ子供だと馬鹿にしていたことも。あの姉のことだから、全部筒抜けだったのだ。

    「俺、言ったんです。お姉さんの方に、『妹さんに会えたら、俺たちの本気を見せる』って」
    「……」
    「俺が解らせる前に、伝わったみたいで良かった。……俺たちの本気」

     伝わらない、わけがない。こんなにも強く、熱く、練習している風景に魅せられてしまうなんて、思いもしなかったのに。

    「馬鹿にしているのは、あなたの方じゃない」

     今まで大人ぶっていた私を、いとも簡単に崩してしまうなんて。心の奥で、嘲り笑っていたのだと思うと腹立たしい。
     キッと睨みつけてやれば、幸村くんは、これまた困ったように笑って、

    「……怒らないで。だって、俺だって嫌だったんですよ」

     私を、赤ん坊を宥めるかのように言う。

    「子供だって決めつけられて、悔しかったんだ」

     今でも、子供かと聞かれれば、そうだと思うのに。それでも、目の前にいる人を子供だなんて思えないくらい、幸村くんの瞳はおおらかで優しい。
     あれ、これって、もしかして盲目?
     だとしたら私は、ミーハーな姉と同じ場所に、いるのかもしれない。

    End.





      Story