

きっと、あの日さえ

※ 立海夏夢企画「からり、」様に提出させて頂いた作品です。
全国大会を目前に手術を終えて部活に復帰を果たした俺を、迎えてくれたのは部員達だけではなかった。朝登校して、教室のスライドドアを開けた瞬間に、クラスの誰もがおめでとうと言葉を投げかけてくれたことに、柄にもなく感動して泣きそうになった。勿論たとえの話で、本当に泣き顔なんて見せはしないけれど。
とにかく、俺はこの中学最後の夏を、将来後悔しながら思い返したくはないのだ。
「幸村君マイナス一点」
「え、何の話?」
「遅刻したでしょう、今日」
机の上に鞄を置いて、隣の席の女子にそう返す。彼女はさんという、真田と同じ風紀委員に所属している子だ。結構口うるさいことで有名だったが、そのトップには真田がいるため、あまり表立って行動しないのだけれど、その真田も俺には甘いからだろうか。彼女が面白く無さそうに俺を見つめているのは。
「勘弁してくれないかな。病み上がりで、まだ本調子じゃないんだ」
「病み上がりを言い訳にしている人間がテニスの全国大会にいけるものですか」
「厳しいなあ」
ひとつひとつ、彼女の言葉には棘がある。ブン太なんかはよく廊下で注意をされると愚痴を零していたこともあり苦手としている印象だったし、接点はないが恐らく赤也も苦手なタイプだろう。何せ真田みたいなものなのだから。でも俺は、そんな彼女のことは嫌いじゃない。
「全国大会、見に来てくれるって聞いたんだけど」
「! ……だ、誰に?」
「真田。仲良いんだね」
「まあ、同じ委員会だし……でも、そんなに話さないよ」
真田にばらされたことが余程恥ずかしかったのか、は少しだけ頬を染めてそっぽを向いた。それから少しして、ハッと表情が曇る。
「そうじゃない。そうじゃなくて、減点は減点よ。いくら真田君と同じ部活で彼よりもえらいからって、そんなの通用しないんだから」
「あ、なんだ。逃げ切れるかと思ったんだけど、残念だな」
別に減点されても、待ってるのは罰当番とかその程度で、俺はこれが最初の減点だから痛くも痒くも無いんだけど。それを言ったらは多分もっと腹を立ててしまうから言わないでおく。
次は気をつけるよ、なんて笑いながら言ったら、は横を向いたまま小さく「うん」と言った。それから、
「……頑張って、全国」
そう聞こえるかわからないような細い声で言うのだ。だから俺は、頑張ろうと思ったんだ。今まで苦労をかけてきた部員たちのため、応援してくれる彼女のためにも。
例えその目に映っているのが、俺じゃなくても。
「真田のついでだとしても、嬉しいよ」
「!」
告げられた言葉に息を呑む。さっきよりも赤味が差した頬に、無性に切なくなって、俺も彼女から視線を外した。
でも、いいんだ。立海三連覇を果たして、彼女の喜ぶ顔が見たい。一緒に勝利を分かち合いたいと、このときは本気で思っていたんだ。
「……何で」
……それなのに、結果は準優勝だなんて。信じられなくて、信じたくなくて、翌日の部活は休息にと理由をつけて休みにした。俺自身、この気持ちをどうしていいかわからず、持て余していた。
「あ……」
「お、はよう。幸村君」
「……」
朝誰もいない教室で、彼女に会うまでは。
「……早いな」
「うん、目が、覚めちゃって」
応援に来てくれたのにごめんだとか、負けちゃったよなんて軽口は、叩く気にはなれなかった。何故だろう。こんな情けない姿を見せたいわけじゃなかったのに。
気まずそうに挨拶をしてくれた彼女に返事をすることも出来ずに無言で通り過ぎて、自分の席に鞄を置く。
「残念だったね、三連覇できなくて」
ああほら、そうやってキミが、声をかけるから。
「……慰めて、くれる?」
「……頭でも撫でてほしいの?」
の手が俺の頭に伸びて、触れようとする。ただの冗談のつもりだったのに、物凄い憐れみの眼差しを送られて、その瞬間に抑え付けていたいろんなものが溢れだした。
「……っ」
「え!?」
伸ばされた腕を掴んで、逆に引き寄せてやればは簡単に体勢を崩す。俺の方が力は強いのだから当たり前だ。行儀悪く机の上に押し倒して、彼女の顔の横に両手をついて見つめて、ねえ、慰めてよだなんて、図々しいにもほどがある。
「冗談、よね」
「……」
「もうすぐみんな……登校して、」
「俺だって、悔しいよ」
焦りを交えた彼女の言葉を遮るように、苦々しげに呟いた俺の声を、彼女は黙って聞いた。
二年の冬に病気が発覚して、関東大会には出られず、一時は一生ラケットを握ることすら無理だといわれた。手術を決意して死ぬ思いでコートに復帰したというのに、どうして神はこんなにも非情なんだろう。
その上、
「好きな女の子は違う男が好きだし、」
「幸村君……?」
「でも、こればっかりは諦めるなんてできない」
全国では青学に負けた。それは紛れもない事実で、その結果がひっくり返るなんてありえない。けど、力ずくでもいいなら。目の前の子だけは、手に入るだろうか。他人の手に渡る前に、俺に落ちてくれるだろうか。
流れる沈黙の中。視線だけが交錯して、どれだけの時間が経っただろうか。視界にちらりと映る時計の分針は然程動いていないように思える。二人の間でそれは永遠のように長くも感じられたが、その最中、彼女が「ねぇ幸村君」俺越しに天井をぼんやり見ながら口を開いた。
「わたし……真田君が好きだなんて、言った?」
「……え」
思いも寄らなかった反撃に俺は言葉を失う。今までの言動のどこをどうとっても、真田に想いを寄せているとしか思えなかったのに。それが間違いだとしたら、君は一体誰が好きなの。
「全国大会も、入院中も……私、貴方を応援してたつもりだった」
人の気持ちって、伝わらないものね。
は俺の下で小さく笑った。もしかしたら俺は、一人で空回っていただけだったのかもしれない。
だとしたら、
「は俺が、好きってこと?」
「……とっくに気づかれてるんだと思ってた。幸村君は意地悪だから、解ってて、あえて知らないフリをしてるんだって」
「まさか」
部活の奴らもクラスの皆も、俺の事をそうやって買い被っているんだ。テニスコート上では神の子だなんだって持て囃されていても俺だって一人の人間だし、神であっても負けることはある。
想いが通じたことで安堵したのか、起き上がろうとしたの手を掴んで力を込めた。え? 目を丸くしてが俺を見る。
「じゃあ、もう我慢しなくていいよね?」
「は、え? ちょ、だから人がっ!」
「人がいないところでならいいんだ? やらしい」
悪戯に微笑むと、は真っ赤な顔でパクパクと口を開閉させる。そんな面白い顔のを無視して制服のネクタイに手をかけると、彼女のそれはするりと簡単に解けた。慌てて制止の言葉を口にする彼女は、いつもの口うるさい風紀委員の顔とは違っていた。
「ふ、不純異性交遊は禁止で……」
「はは。不純って、この俺が? キミはおかしなことを言うね」
外から、朝練をしている運動部の声が聞こえてくる。いつもなら俺達テニス部もグラウンドを走り回っている時刻だというのに、俺は一体何をしているんだろう。
「あ、あの、幸村君……っ」の泣きそうな声で、ハッと現実に引き戻される。奪い取ったネクタイを唇に押し当てて、俺は笑ってみせる。全国で負けたことも、この時ばかりは忘れることが出来たんだ。
「俺以上に純粋な恋をしてる中学生は、きっといないよ」
「なんて、あの時は本気で心臓が止まるかと思ったんだけど」
「もう、いい加減忘れてくれないかな? 俺だって必死だったんだ」
「世間から神の子ーとか言われちゃってたのに?」
「……好きな子の前では、神も人も一緒だってことさ」
アルバムを開きながらが笑う。それを一緒に覗き見ながら、俺は彼女にキスを贈った。
苦しかったあの夏の出来事も、全てはこの日のためにあったのだと。
そう思えたこの瞬間すら、愛おしい。
End.

