Story

    砂糖だけを食うのは止めにしないか




    ※ プロット夢企画「彩色方法」様に提出させて頂いた作品です。


     突然差し込んできた日光に目を細める。目の前が一瞬真っ白になって、すぐに飛び込んできたのは赤。それから黄と、みどり。他にも紫や橙、桃、白とほんの少し青や黒などの珍しい色を加えながら、様々な色彩が交錯している。幻想的。一瞬ここが学校であることを忘れてしまいそうなほど、美しい世界だと思った。
     確かにここなら、他の生徒はあまり寄り付かないのも納得する。綺麗だが、現実離れしすぎていて、逆に現在を生きる学生にとっては過ごしづらい場所となっているだろう。
     ようやく安住の地を見つけられたホームレスのように深く嘆息する。そんな私の背後で、ふと、気配が動いた。

    「珍しいな。先客なんて」
    「え……」

     色とりどりの花に見とれていた私に、声の主は驚いたように目を丸くしていた。振り向いた瞬間に一度だけ目が合ったけれど、すぐに私が視線を下げてしまったためにその人の顔をきちんと見ることは無かった。
     誰? 誰!? 頭の中で悲鳴を上げる。クラスメイトや担任とも必要最低限の会話しかしてこなかった私にとって、この不意打ちは取り乱すのに十分すぎるダメージを与えた。
     声からして男子だろうか。一瞬だけ見えたウェーブがかった少し長めの髪と優しげに微笑んだ口元が少し女性的にも思えたのだけれど、男子用の制服だったから、間違いは無いはず。
     緊張と焦りで冷や汗が止まらない私に気づかないまま、その人は会話を続けようとした。

    「人がいないと思って驚いた? 俺は中等部の頃から花の世話を任されていてね。ほかに適役がいないからって、高等部に上がっても引き続き請け負うことにしたんだ」
    「……」
    「ああ、ごめん。俺もまさか人がいるなんて思っていなかったから。それにしても、さんとこんなところで会うなんて思わなかったな」
    「……? 何、て?」

     意外と喋る人だなあ。そんな風にぼんやり聞き流していたら、彼の口から飛び出た自分の名前に驚いた。ゆっくりと顔を上げれば、何となく、見覚えのある顔。

    「さん、だろ? 俺、同じクラスなんだけど」
    「あ……えっと、」
    「幸村だよ。幸村精市」

     そうか、同じクラスの子だったのか。そう考えると私の名前くらい知っていてもおかしくはないのか。でも、喋ったこともない相手の名前を覚えているだろうか。そもそも、この学校は人数も多いのに。

    「あまり喋らないよね。一人でいるところしか見たことがないから、気になってね。ある意味目立つから、すぐに覚えたよ」
    「……そう」

     嫌な覚え方をされたものだ。第一、ある意味ってそんなの、つまりは悪目立ちってことじゃないか。
     幸村君は私の隣に立つと、身を屈めてその脇に咲いている花に優しく触れた。今日も元気そうだ、なんて我が子を慈しむかのように優しい眼差しを送る。

    「嫌いなのかい?」
    「え……何?」
    「この学校が、嫌い?」

     そんなことない、と小さく首を振る。幸村君は良かった、と言って微笑んだ。きっと深い意味はないだろう。ただの社交辞令だ。私から視線を外して花の様子を見ている彼の背後で一歩、入り口に向かって後ずさる。
     先ほどの話から考えると、他の生徒達は寄りつかなくても世話係の彼は毎日昼休みになると屋上を訪れるのだ。なら、此処も安住の地などではない。結局、この学校に私の居場所なんてものは存在しないのだ。

    「あの、それじゃ私――」
    「あ、待って」

     逃げ出そうとした私を、幸村君が引き止める。
     私の方は、淡い期待を打ち砕かれて、もう泣きそうなくらいで。
     幸村君は私の心中を察したのか、困ったように微笑んでこう告げた。

    「一人がいいなら、話しかけたりしないから」
    「……っ?」
    「此処が、君にとって居心地の良い場所になればいいと思うんだけど、どうかな?」
    「どう、って……何、が?」

     人と関わることが怖い。一人にして欲しいって、ずっと思っていた。
     幸村君はそんな私の気持ちを汲んで、一人にしてくれると言った。そして、「君さえ良ければ、また来て欲しい」と言うのだ。
     此処の花達を、見に来て――と。





     それから二、三日起きに屋上に顔を出すようになった。時々は先客がいたりもして、入り口を覗いてすぐに引き返すこともあったけれど。そんな日々を送って、次第に幸村君とも普通に会話が出来るようになってきたある日。私の身に、事件とも呼べる出来事が起きた。

    「な、い……ないっ!?」

     お弁当を手に、屋上へ向かう途中。今日は通学途中のコンビにで飲み物を買うのを忘れたので、校内の自販機で缶のお茶でも買おうと制服のポケットから小銭を出そうとしたときだった。
     いつもならそこにあるはずの生徒手帳が、紛失していたのである。
     移動教室の時? それとも体育の更衣の時? わからない。どうしよう。もし、誰かに拾われていたら――

    「さん」

     ちょっと、いいかな? 背後に立っていた幸村君の姿に、私は言葉を失った。彼が手にしている、小さな手帳を見つけたから。
     話したいことがあると言われて、素直に従った。どうせこの学校に逃げ場などないのだ。
     屋上につくと、いつもの場所に座る。幸村君は、どう切り出そうか迷っているようだった。

    「……それ、見たんでしょう?」
    「うん……悪いとは思ったけどね。開かないと持ち主もわからないままだし」

     幸村君の手には私の生徒手帳が握られている。私がそれを誰にも見られたくないのは、そこに私が学校生活を送るために絶対に隠しておかなければならない秘密があったからだ。

    「ここに書いてあるのは、本当なんだろう?」
    「……そう。がっかりした? 君たちより、二つも年上なんて」

     幸村君は笑みを湛えたまま、微動だにしない。ただ、否定も肯定もしないままに「良ければ理由を教えて欲しい」なんていう。私も何だかおかしなものだ。その穏やかな笑みに、魔法にでもかかったかのように軽く唇が開いたのだから。

    「小学校を卒業してから、病気で。入院生活が長かったから、皆と一緒に学校には通えなかったの」

     幸村君は黙ったまま、私の話を聞いた。然して面白くもない、私の過去。

    「二年も経てば、友達なんて私のことみんな忘れて、普通に中学を卒業して。私はみんなよりも二年遅れて……そう、君たちと同じ日々を過ごしてきたわ。でもね、こんな私にも、告白してくれた男の子がいたんだ」

     初めての恋に舞い上がって、何だか嬉しくて。ある会話をきっかけに全てを打ち明けてしまったのだ。それがそもそもの間違いであることにも、気づけずに。

    「年齢詐欺だろって、言われちゃった……それだけじゃなくてその子、クラスの友達にも話してしまって、あっという間に学校中に広まったの」
    「……それは、」

     大変だったね、と幸村君は言う。それって同情? あまり嬉しくもないけれど、刺々しい言い方しか出来なさそうだったから口にするのは止めておいた。

    「だから、父の転勤が決まったと聞いて、逃げるように引越してきたの」

     無論進学校の編入試験なんて簡単ではなかったけれど、絶対に落ちるわけにはいかなかったから、必死に勉強した。しかし、どうだろう。過去のトラウマから、必要以上に人と関わることを避け続けた結果。私は、人と目を合わせて話をすることも出来なくなっていたのだ。

    「……それが私の秘密。生徒手帳、拾ってくれてありがとうね」

     幸村君から手帳を受け取って屋上を後にしようとするが、彼が生徒手帳から手を離してくれない。そして殆ど口を開かなかった幸村君は笑みを浮かべたまま私を引き止める。

    「良かった。言う前に、知れて」
    「? 何……」
    「俺も君に、告白しようと思って。今日は先回りして待ってたら、手帳を拾ったんだ」

     何の冗談かと思う。そう突っぱねようと顔を上げれば、おどけた口調とは裏腹に、思いのほか真剣な表情を彼はしていて。言葉に詰まる。

    「話を聞いてた? わたし、は……」
    「いいんじゃないかな? 俺、別に年上は嫌いじゃないよ」
    「……っ!?」
    「道理で、大人っぽいなって思っていたんだ」

     これで合点がいった、と笑う幸村君。彼が何を言っているのかわからない。すっかり困惑してしまった私は、縋るように彼を見上げることしかできない。冗談とか嘘で、これ以上私を惑わせないで欲しい。悩んだり逃げ回ってばかりで、苦しむのはもう止めたいのだ。

    「俺も病院生活は長かったからね。気持ちは少しはわかるつもりだし」
    「え……?」
    「中学の頃。一時期、大好きなテニスができなくなって。あれは苦しかったなぁ」

     しみじみと空を仰いで幸村君が言う。少しでも、同じ経験をしたことがあるなら。私の気持ちを受け止めてくれるなら、嘘でも冗談でも、嬉しいと思ってしまった。

    「だから、逃げ回ってばかりいるのは止めにしないか」

     安全な場所ばかり求めていたって、そんな聖地はどこにもありはしない。受け入れてもらえなくても、受け入れてもらえる努力が必要なんだってことくらい、私だってわかってはいるのだ。それでも、簡単に出来ないから逃げてしまう。その弱さも脆さも全て含めて、人間だ。

    「誰にも言ったりしないからさ、そんな心配しないで。顔を上げてくれないかな?」
    「……本当に?」
    「勿論だよ。そんな勿体無いことしないって」

     勿体無いこと? 意味が解らずに僅かに首を傾げれば、幸村君は優しく笑って「せっかく共有の秘密ができたんだから」と言った。
     その発言が、どうにも「絶対に逃がさないよ」と聞こえて背筋が凍る。空は晴れているのに、何だか空気が冷たい。

    「ひとまず、俺と付き合ってみる気はない? 後悔はさせないから」

     生徒手帳をひらひらと左右に揺らしながらにやりと笑う。
     確か、中学時代の裏の仇名は魔王だったとか、そんな噂を聞いたことがあったのだけれど、あながちその情報は間違っていないらしい。そんな魔王様の言葉を理解しながら、自分でもよく解らないうちに彼の持つ手帳へと手を伸ばして頷いてしまったのは、そうきっと。
     彼の微笑みに、魔法をかけられたからに違いない。

    End.





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