ひとつだけ、疑問に思うことがある。そう白石は数人しかいない部室で低く唸った。
四天宝寺テニス部で期待の超一年生である遠山金太郎は、自他共に認めるゴンタクレである。そんな彼を制御しているのは部長である白石自身で、それも漫画好きの金太郎が白石の包帯を「毒手や」と思い込んでいるお陰でもある。だがしかし、制御する者のいないクラスの中で、金太郎がどのような生活を送っているのか。もしかして、クラスの子たちはかなり手を焼いているのではないか。ふと、練習中に駄々をこねて暴れる金太郎を見ていた白石は思ったのだった。
「謙也、どない思う?」
「そやなぁ。千歳は?」
「そげんこと俺に聞かれても……ばってん、金ちゃんは良い子やし、そんな心配すること無かよ」
「ええ子はええ子やけど、あんノリについていける子が何人おるやろなぁ」
「ほんなら、一回見に行って見ればええとちゃいます?」
テニスラケットをバッグに仕舞いながらどうでも良いことのように呟いた財前に、三年生たちは「ああ」と手を叩いた。その手があったか、などと目を丸くして。考えてみればすぐにわかることなのに、そういうところが「先輩達、アホっすわ」と財前に言われる所以なのだが、彼らはそれさえ気づいていないだろう。
「なら明日、一年の教室見学しに行こか」
「金ちゃんに気づかれんようにせんといかんね」
「せやな」
「……先輩ら、あいつのオカンが何かっすか?」
まるで授業参観に参加する父兄のようだと、財前は溜息を吐くばかりだった。
「はー、早く四限目にならんの!?」
「そないなこと言うたって、まだホームルームすら始まってないやろ」
「いややー! ワイ、国語も数学も理科も社会も英語も嫌いやねん」
「五教科全部やないか」
「そやから、早く体育やりたいねん!」
遠山金太郎は、着席してはいたが大きく手足をバタつかせて叫んでいた。それこそ、職員室まで聞こえそうな声でだ。毎朝この調子なのでクラスメイトたちは慣れっこだが、しかし何度聞いても彼の叫びは煩い。隣の席のサッカー部男子は大きく溜息を吐いて、救世主を待っていた。
「金ちゃん、我侭言うたらあかんよ」
「……う、……」
。クラスで唯一遠山金太郎を制御できる女生徒である。
小学校が一緒で、家が近い幼馴染というポジションであるにも関わらず彼女の存在が公となっていないのは、金太郎のアクが強い上に、自身があまり前に出ることを好まない性格ゆえ、金太郎の存在が重なってかすんでしまっているのだ。
は静かに金太郎の前の席の椅子を引いて後ろ向きに座ると、言い聞かせるかのように口を開いた。
「体力だけで渡っている世の中やないで。まずな、金ちゃんはお小遣いでたこ焼き買うやろ」
「うん」
「そのたこ焼き買うのにもお金の計算できなあかんねん。金ちゃんは数学の前に算数も怪しいねんから、気合いれて頑張らなあかんのや」
「……」
「国語も英語もそうやで。テニスは国際的スポーツやさかい、相手と心を通わせるためには言葉を知らなあかん。金ちゃんみたいな言葉知らんアホは好き放題言われるだけやで」
「…………」
「理科は普通の生活なら大した役に立たんかも知れん。でもな、考えてみぃや。金ちゃんの先輩は毒にめっちゃ詳しいて噂やんな。理科で少しでも薬物に関して学んどけば、ちょっとは役に立つかも知れへんで」
「………………!」
「社会は私も苦手やねんけど、知らんでええことなんか何もない。たこ焼きの歴史から調べてみぃや」
「……う、おう」
三秒と黙っていられない金太郎が、の長い話を最後まで聞いていた。しかも、膝の上に両拳を置いて。
時計が示す時刻を見て、ホームルームがあと数十秒で始まることを知ったは自分の席に戻るために席を立つ。
「……ー」
「うん?」
「……ワイはアホか?」
上目遣いで申し訳なさそうに尋ねて来た金太郎に、はにっこりと笑う。
「……金ちゃんは勉強は出来へんけど、物分りはええと思うわ。テニスもやけど、勉強も気張りや」
それから「だって、」と続いた言葉に、金太郎はハッと息を飲み込んだ。
「勉強で悪い点数取ったら、テニスの大会にも出られへんで」
「!! そ、それは絶対にいややー!!」
なら、しっかりしぃや。
クスクスと笑いながら前の席に戻っていくの背後で、金太郎は「いややー!」と頭を抱えた。相変わらずの煩さに隣の男子は再び眉を寄せていたが、それもお構いなしに。
「金ちゃん、あんな子がおんねんな」
「幼馴染やんな? ええ子やで」
「しっかりものたい」
朝練終了からひたすら一年の教室に張り付いていた目立つ三人組の三年生。隠れているつもりではあるものの個々が有名人である故、全く隠れられていない現状。
通り過ぎる生徒達の恰好の噂となっているなんて、本人達は露知らず。
が遠山金太郎というゴンタクレの制御装置として四天宝寺のマネージャーとして勧誘を受けたのは、それから数日後のことであった。