Story

    美しき憂鬱





     美化向上ポスターとか何とか言いつつ、こんなのはただの自己満足に過ぎない。
     部活動の勧誘などと違って、校内にたくさん「ゴミは分別しましょう」とか「掃除はしっかり行いましょう」とか、そういった広告がずらりと並んだところで誰も見やしないだろう。私だって、自分で書いておいて何だけど、多分意識なんてしない。というか、当たり前のことすぎて、なんだか。

    「手が止まっているよ」
    「ああ、ごめん」

     考えに耽っていたら、同クラスで同委員の幸村に注意を受けた。ごめん、なんて言いつつも正直やってられない。一人一枚のポスター作りなんて。

    「面倒かもしれないけど、やると決まった以上はしっかりやらないとね」
    「……そうね。でも、気が乗らないのは仕方ないわ」
    「そうかい?」

     気が乗らないのではなくて、単に苦手なだけじゃないのかい?
     図星を指されて、気まずさを誤魔化すために幸村を軽く睨んだら、彼は不適に微笑んだ。やっぱり、思ったとおり。そんな風に。

    「幸村は、上手だもんね。絵」
    「まあ、人並みには」
    「わたし、絵心ないんだ。人に見せられるようなものは描けないよ」

     鉛筆で、何度も描いては消しての繰り返し。もう大分鉛筆の跡が黒く残って、どんなに消しても綺麗にはならないA4の画用紙。はあ、と重く吐いた溜息に、幸村はまた笑った。でも、と。

    「は、字が綺麗じゃないか」
    「……書道部ですから」

     それは、一応はね。でも、幸村だって字は下手じゃない。中三にしては達筆な文字を書くと思うし、そんな彼に褒められてもなんだかなぁって感じで。

    「それに、真田には負けるし」
    「……ああ」
    「私なんて極一般的な生徒だわ。この委員会に入ったのだって、成り行きっていうか」
    「そうかな? 俺には、とてもよく合っていると思うけど」

     私の描きかけのポスターを自然な流れで奪い取って、修正しながら幸村が呟いた。どこが、そう尋ねる前に、彼は「だって」と続ける。

    「見てみぬフリが出来ない性格だよね、は」
    「……何のこと」
    「よく、目に付いたゴミとか拾ってる」
    「!」
    「あと、他の人が仕舞い忘れた物とか、片付けてるし」

     目を丸くする私に、幸村は楽しそうに笑った。なんで彼は、こんなに私のことを知っているんだろう。何だか無性に恥ずかしいことのような気がして、照れくさくて、俯いた。
     カリカリと、削ったばかりの鉛筆が幸村の手によって滑らかな曲線を描く。その音がやけに鮮明に響いて、彼に奪われて仕事がなくなった私はじっとその音に耳を傾けるしかなくって。その時間が、まるで永遠のように長く感じられた。

    「ごめん、仕事増やして」
    「別に、嫌いじゃないから大丈夫だよ」

     これが終わらないと部活にも出られない。私は文化部で大した役職でもないから休んだって平気だけれど、彼はテニス部の、しかも部長なのだ。出たいだろうになあ、そう思いながら申し訳無さそうに謝ると、幸村は本当に特別なんでもないことのようにそう言った。
     ぼんやりと、向かい合った机の上で頬杖をつきながら幸村の手を眺めると、少し呆れを含んだような声で彼が私を呼んだ。

    「」
    「えっ」
    「俺のポスター見てるだけじゃなくて、他にも仕事あるだろ?」
    「……えっと、何かあったっけ」

     画用紙は全部で四枚。美化広告のポスターが一人一枚でクラスで二枚、残りの二枚はテープでつなげてある。それを指差して、彼は私の机に十二色マジックのケースを放った。

    「委員会の仕事内容をまとめたやつ。年間予定も書くようにって言われなかったっけ」
    「……ああ、そんなこと言われたような気もする」

     だろ? 得意げに微笑んで、ついでに画用紙も取ってくれる幸村。それを受け取って机に広げる。絵心がなくても書くだけなら私にも出来る。けれど、美化委員会の仕事内容と年間予定を全て書き出したら、それなりに時間がかかりそうだ。
     時計を見て、溜息。目の前の男子生徒は気にも留めていない様子だが、その分私が気にかかって仕方ない。

    「今日は部活、出られないね。幸村」
    「うん、そうだね。でも、たまにはそんな日があっても悪くない」

     俺がいなくてもテニス部には真田がいるし。
     そう言い切った幸村に、それはそうかもしれないけれど、と言いかけて止める。出たくないはずはないのだ。彼だって、練習したいはずなのに。

    「私は……結構憂鬱だな」
    「そう? どうして?」

     はっきりとした理由はない。ただ自分の要領の悪さや仕事の出来なさに幸村をつき合わせてしまって、本人は良いと言ってはいるけれど私にとってはそれが少し気まずいのだ。
     押し黙る私に、しかし何となく理由を察しているのだろう幸村は、小さく笑うと、新しい画用紙に”美化委員会年間予定表”と書き出す私の手を眺めながら、こう言った。

    「の綺麗な字を見るのは、俺は嫌いじゃないんだけど」

     そのありきたりなお世辞に、憂鬱な気分は少しだけ軽くなる。
     綺麗なのは貴方の顔だと、つい口にしてしまいそうな本音を押し留めて私はとりあえず「ありがとう」と返しておくことにした。

    End.





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