Story

    魂の契り





     禁忌の森。かつて豊穣の天使アルミネが封じられたそこの場所は、はぐれ悪魔たちの塒になっているという。
     数年前、自由騎士を名乗ることになってから、各地から様々な依頼が寄せられた。野党やはぐれ召喚獣の討伐をはじめ、各国へ視察に赴いては傲慢な領主の粛清なども行う。次第に民からの信用も増えていた。一度や二度ではなく、よその国から「わが国の騎士としてその力を振るって欲しい」などという戯言を受けもしたがそれも予想の範ちゅうだった。
     我らは国に縛られることなく、民を守るために剣を振るう”自由騎士”なのだ。
     そして今、目の前に広がるは禍々しい魔の森。魔力のない自分でさえ、肌に感じることが出来る。この森は、昔も今も危険なのだと。

    「……単独行動は絶対に慎め。いいな」
    「は……っ」

     傍らに控える忠臣、イオスへと告げる。率いてきた他の騎士たちも同じように真摯な表情で頷いた。彼らは有能だ。自らや仲間を危険に晒すことはしないだろう。

    「行くぞ」

     意を決し、禁忌の森へと足を踏み入れる。
     警戒はしていた。何せ、数年前に自分達は悪魔の虚言によってかなり手痛い目に遭わされたのだ。しかし、幾ら警戒していたところで無意味だと悟ったのは、事が起こってからだった。

    「な、んだ……?」
    「ルヴァイド様っ!!」

     白い霧が立ち込める。以前、無限回廊で見た夢魔の花が撒き散らした夢の霧を連想する。不快だ。また、同じことの繰り返しであることが。
     惑わしなど俺には通じない。だが、部下たちはまだ未熟なものも多く、個々に分断されては打つ手がない。
     どうしたものか……。

    「……!?」

     辺りの様子を窺っていると、白いだけだった視界に黒い何かが映る。己の甲冑ではなく、それは漆黒の翼だった。悪魔だ。そう理解すると同時に、背中に携えた大剣へと手を伸ばす。

    「止めておけ」

     凛とした声が耳に届く。鋭利な刃物のような眼差しをこちらへと向け、その者は剣を収めるように言った。否、命じたのだ。決して友好的ではないが、殺意は感じられない。自分も相手も一人であることから、何らかの意図を持って接触したものと考えられる。

    「なるほど、この霧も貴様のせいか」
    「そうだな……私がやった。お前が部隊の頭だろう? 雑魚は邪魔だったからな」
    「俺の部下を雑魚と言い切るか。……お前の目的はなんだ?」

     会話が成立したとしても、悪魔は悪魔だ。それの恐ろしさと言うものを身をもって知っている自分が心を開くなんてことは絶対にありえない。召喚術でもない限りは。
     真意を探ろうとするが、逆に鋭い視線を向けられる。

    「それはこちらの台詞だ。貴様ら、我々を殺しにきたのか?」
    「……」
    「散々この森を放置しておいて、今更はぐれ悪魔の討伐など……随分な都合主義だとは思わないか?」

     唇に微笑を浮かべながら女は話すが、その目は笑っていない。

    「他の仲間は、どこにいる?」
    「お前達が討ったんだろう。もう、私ひとりだ」
    「それはないな。俺たちは、今しがたこの森についたばかりなのだからな」

     女悪魔が眼を見開く。少なからず驚いてはいたようだが、それは怒りを増幅させるしかなかったようで。彼女は怒りを露わに叫んだ。

    「お前たちであろうとなかろうと、ニンゲンはニンゲンだろう!?」
    「……そうだな。ならば、俺を殺すか?」
    「私は、私たちは……ニンゲンを襲ったことなどないのにっ」
    「……なんだと?」

     憎悪に満ちた瞳。薄暗く光るその眼の奥に、彼女の悲しみが垣間見えた。

    「ここにはもう、いないのだ。……傀儡戦争のときに、力ある悪魔は皆討たれた」

     好戦的な連中が大半だが、悪魔の中には戦闘能力が低い者もいるという。その事実は勿論知らなかったし、だから怒りはあれど殺気は感じなかったのかと納得も出来た。
     目の前の悪魔は、惑わしの術を得意とし、人を襲う力などないと言う。それは虚言か真か。悪魔ならばいくらでも嘘を吐くし、それを信じるも信じないも自分次第だ。過去には悪魔の戯言を信じ、奴らの良いように踊らされた。
     彼女は果たして、どちらか。

    「お前が俺と部下たちを分断させたのは、理由があるのか?」
    「仲間がいたら、お前は私を討つだろう? そのために、お前達騎士とやらはわざわざこんな辺境へとやって来たんだろう」

     女は断言する。正しく、その通りだった。

    「……俺はルヴァイドだ。お前の名は何という?」
    「悪魔である私の名前を聞いてどうする。これから殺す相手のことを知りたいなんて愚かなやつだ」
    「そうかも、知れんな」

     しかし、剣を抜く気にはなれなかった。いくら憎い悪魔と言えど、か弱いものに向ける刃を、騎士は持たない。

    「俺にはお前を殺せない。生憎、部下も居らぬのでな」
    「ルヴァイド……」
    「もう一度聞こう。お前の名は何と言う?」
    「……」

     迷いながらそう口にした悪魔の女を、美しいと感じた。多くの命を弄び、奪い、嘲笑った、奴らと同じ悪魔だというのにも関わらずに、だ。

    「おかしなニンゲンだ」
    「……自負している」

     そう言って口元に笑みを浮かべると、釣られたようにも笑う。自分の知っている悪魔の嘲笑などではなく、人間の女性と何ら変わりない笑顔。しかし、今ここで和解が成立したとしても霧が晴れれば部下たちが黙ってはいないだろう。この状況を、彼女のことをどう伝えれば良いのか。わからない。いくら彼女が害のない者だとしても、悪魔は悪魔だ。他の人間に説明しようがない。自分は召喚師ではないのだから。

    「ルヴァイド」
    「お前は私を、どうしたいのだ?」

     殺すか、殺さないか。即ち仲間を裏切るか、彼女との約束を違えるか。今自分の脳裏に浮かぶのは、この二択しかない。考えあぐねていると、からある提案が挙げられた。

    「私を欲しいとお前が望むなら、方法がないわけではないぞ」
    「……!?」
    「私と、誓約を交わせば良いのだ」
    「誓約、だと?」

     それは召喚師と呼ばれる者たちだけが行うことのできる儀式だ。そのように教わったのだ。召喚術の知識などほとんどない、騎士の自分が悪魔との誓約を交わすなど出来るはずがない。

    「互いの真名を魔力を通じて交わされる契約こそが、真の誓約なのだ。故に、真実さえ知っていれば誰にでも行うことが出来る。……最も、魔力のないニンゲンと好き好んで誓約するやつは少ないがな」
    「……そうか」
    「答えろルヴァイド。私と誓約するか、否か。私を殺すか、否か。ただし、よく考えることだな」

     通常天使や聖霊などは召喚者の魔力を糧とするが、悪魔は違う。召喚師の魔力が高ければ補うことも出来るだろうが、従来の悪魔は負の感情や生き物の魂などを糧としている。つまり、

    「魔力の低いお前では、悪魔の私を留めておくことはできない。……だから、見返りとして私はお前の魂をもらう」

     それは交換条件のようなもの。死後、転生の輪に加わることなく、永遠に悪魔とともに在ることを余儀なくされる。
     ルヴァイドは悪魔の話を傾聴し、愉しそうに笑う女を見た。彼女は美しく、それでいて艶やかだった。
     断る理由など、どこにもない。

    「死した後のことなど、はじめから興味はない。むしろ、お前の発言に興味が沸いた」
    「ならば……どうする?」
    「交わそう。お前と、契りを」
    「……確かに聞いたぞ」

     誓約者ルヴァイドと、被誓約者。
     死後の魂と言う、悪魔にとっては最上級の美酒と引き換えに、二人は誓約を交わす。
     惑わしの白霧が晴れた後、ルヴァイドの部下たちは驚き、当然反対するものもいたが、今となっては過去の話。



    「ルヴァイド。こっちの書類はどこに置く?」
    「ああ、俺は既に目を通している。イオスに回してくれ」
    「了解した」

     談話しながら仕事をこなしていく二人に、小言を言うものは今は誰もいない。
     死した後のことなどどうでもいい、とルヴァイドは語ったが、実はにとってはそうでもなかった。彼は知らないのだ。彼女がどういう意味を込めて、その言葉を放ったのかを。

    「お前の魂は、他の者には渡さない。永遠に、私の手の中で」

    End.





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