Story

    しあわせな子になりたい




    ※ 「金星」様より題名お借りしました。


    「おかしいとは思わねェか」

     カノンの義兄であるバノッサは、横たわり眠る彼の頭を慈しむように撫でつけながらそう口にした。その表情は普段のゴロツキ集団オプテュスのリーダーとしての顔からは想像できないほどに優しくて、本当にカノンのことが大切なんだなと思った。
     カノンの父親は鬼妖界シルターンに存在する鬼人であるという。そのせいで、母親に捨てられてしまった可哀想な子。力を持って生まれてしまったが故に、優しい彼は居場所を失った。誰よりも優しくて、誰よりも強い。そんな彼は、きっと誰よりも哀しい。

     今し方彼を傷つけた剣を忌々しげに見つめながら、バノッサが舌打ちをする。
     カノンの役に立ちたくて、軽率に街の外に出てしまった私。治安の悪いこの近辺では最早珍しくも何ともない野党に襲われそうになっていたところを、心配して探しに来ていたカノンが見てしまったのだ。私の腕に細くついた切り傷に、彼の中に眠る鬼の血が目覚めてしまった。カノンが私のことを義兄の次くらいに大切に思ってくれていることは知っている。私もカノンを想っているから、だからこそ役に立ちたかったのに、逆に傷つけてしまうなんて。
     逆上して、野党たちを殺してしまいそうなカノンを、バノッサが鞘に収めたままの双剣で制した。腹部の衝撃で気を失った彼の寝顔は、いつものカノンのもので。殺されかけた野党たちは一目散に逃げて行ったけれど、その場には私の腕の傷と彼のトラウマだけが残った。

    「それでも私は、カノンが好きだよ」

     バノッサは私を一瞥すると、もう一度舌打ちを放つ。そこに嫌悪感や嫌味は無くて、ただ小さく「そうかよ」と呟いたバノッサは、カノンを担ぎ上げて言った。

    「とにかく、戻んぞ。……はぐれどもがいやがるからな」

     周囲にギロリと睨みを利かせながら先を行くバノッサの後を追う。
     別に、野党の生死などどうでもいい。私にとっても、バノッサにとってもきっとそうだ。だけど、カノンはそうじゃない。誰よりも優しいカノンはきっと、正気になって彼らの死体を目にしたとき、己の罪悪感に苛まれるに違いないのだ。また、手を汚してしまった。そうやって重なっていく罪の意識に、押し潰されてしまうカノンを私はもう見たくない。バノッサだって多分そうで、だからこそ居場所を求める彼らを率いて、敵対勢力とぶつかりながら、それでもカノンを前線に出すことは滅多にしない。私もバノッサも、カノンが傷つくのが嫌なのだ。



     カノンと私をアジトに置いて、バノッサはどこかへ消えた。恐らく、逃げた野党を追っているんだろう。

    「……、さん。僕は……また、人を傷つけてしまったんですね」
    「……殺してはいないよ。バノッサが、止めてくれたから」

     目が覚めたカノンに対して私は微笑んだけれど、カノンは全く納得した風ではなかった。傷つけたことに変わりは無いでしょう、と揺らぐ彼の瞳が告げている。

    「やっぱり僕は、人を傷つけるしかできない、化け物なんです……」
    「カノン」

     彼の頬に手で触れて、泣きそうに歪んだ顔を覗き込む。

    「それでも私は嬉しい」

     カノンの目が見開かれる。そう、私は、嬉しいのだ。

    「カノンが私のために怒ってくれて、鬼の力に頼ってでも、助けたいって思ってくれたこと、私は何より嬉しい」

     私を傷つけた野党がカノンに殺されたって、私は野党達を可哀想だとは思わない。ただただ、それによって傷ついて、ひとり苦しむであろうカノンが誰よりも可哀想に思える。

    「私はカノンが好きだよ。鬼の血が流れていても化け物でも、好きだよ」

     彼の頬に触れていた指先を輪郭に沿って滑らせると、同じ道筋を辿って涙が流れてきた。手に涙の雫が触れて、冷たさを感じる。そのまま指を持ち上げて、そっと目元にやる。目尻に溜まった再び溢れそうな雫を指で掬って払うと、カノンは無理やり口角を持ち上げて、尋ねてきた。

    「僕はいつか、貴女をも傷つけるときが来るかもしれない」

     激情のまま、鬼の力に身を委ねて、誰の顔も認識できなくなるかもしれない。なんてもしもの話をカノンは真剣にする。私は別にそんなこと、関係なくて。

    「いいよ、カノンになら何されたって私は、構わない」

     だけどね、でもきっと、そんなことはないって言える。だってカノンは、鬼の血も入っているけれど、半分はれっきとした人間なのだ。

    「私やバノッサと同じ血が、貴方の中には流れてる。だから、怖くないんだよ」

     そう言うと同時に、私はカノンの細い身体を抱きしめた。鬼の血がまだ冷め止まぬのか、カノンの身体はいつもよりも体温が高いみたいだった。

    「だって、貴方はこんなに温かい」
    「……、っ」

     触れ合う部分が熱を帯びる。私はカノンと同じように自分の頬に伝う涙にようやく気づいて、泣きながら笑って見せた。それに応えるかのように、ぼろぼろと、今度は止まるところを知らないカノンの涙。

    「沢山の人を傷つけた僕には、幸せになる資格なんか、ないんです」
    「そんなの関係ないよ。カノンに幸せになる資格がなくても、私が幸せになりたいんだ」

     悔しい。私は、とても悔しい。カノンを幸せにしてくれないこの世界の全てに、不平不満をぶつけている。
     しかし、なればこそ、私が彼を救わねばならないのだと思わされる。手を差し伸べて、例えその手を払われたとしても。

    「私を幸せにしてよ、カノン。私、貴方と幸せになりたい」

     私から手を離すことは、決してないのだから。だから早く、貴方からこの手を取って。

    「……僕は、」

     カノンが自分で涙を拭って、赤く腫れた目で私を見る。

    「貴方とバノッサさんのことは、信じたい」

     そう言って、こわごわとカノンが私の背に腕を回すから、わたしは

    「信じていいよ。貴方が私をしあわせにしてくれるなら、私が貴方をしあわせにしてあげるから」

     もう二度と、貴方を迷子にはさせないから。
     一緒にしあわせになろう。

    End.





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