彼は言った。
「君には未来がある」と。
私も返した。
「貴方にだってあるでしょう」と。
互いに見詰め合ったまま、決して引くことは無い。彼も私も、そういう強情なところはよく似ていた。
「ねーちゃんは、レイドのどこが好き?」
庭で素振り稽古をしていたアルバが、見物していた私へと素朴な質問を投げかける。稽古中は余所見をしないの、とたしなめてから、そうだなと考えるフリをする。落ち着いた雰囲気とか? 厳しいけれど優しいところとか。騎士団の副隊長というところもポイントが高いかな。そんな当たり障りのない回答を口にする。でも本当は、騎士として強くあろうとする、あの瞳がたまらなく好きなのだ。
「ふうん?」
アルバはそんな相槌を打って、ようやく稽古に集中しだしたようなので、私もこれ以上は邪魔をしてはいけないと思ってそっと退散した。家の中にいるとフィズ達に絡まれるので、音を立てずに玄関に向かう。何せ、多感な年頃である彼女は私がレイドに想いを寄せていると知って興味深々で、それでいてアルバ以上に、彼女の質問はディープなのである。
「……あ」
「……ステラ、君か」
レイドは最近、私を避けている節がある。周囲からは堅物と捉えられてしまいかねない硬派な性格で、だからこそ彼はこう思っているに違いない。先の一件でこのサイジェントの街が、果ては世界そのものの秩序が崩壊しかけている今、恋愛に現を抜かしている場合ではないのだと。私だってそれは解っているし、レイドを困らせたいわけではない。
最早この世界の英雄と化してしまった勇人とともにこの世界に呼ばれてしまったことは不運以外のなにものでもない。ただ公園の近くを通りがかったと言うそれだけの理由で、私は彼に巻き込まれて見ず知らずの土地に召喚されてしまったのだ。元々呼ばれたのは勇人だったわけで、オマケである私には何の力もなかった。だから、前線で戦うようになった隼人を羨ましく思いながら、私は同じような想いを抱えるリプレと一緒に家事手伝いをしながら彼らの帰りを待つだけだった。
フラットの中でレイドは一番の年長者で、頼りがいがあった。温厚で常識人だがエドスは毎度ガゼルの悪事に何だかんだと付き合ってしまうし、勇人もあれで乗せられやすいタイプなのでリプレのお怒りを買うのは致し方ないことである。けれど、レイドはそんな彼らをしっかりと止めてくれる。彼の言葉には、説得力があった。落ち着いた声で道理を説かれると、こちらまで何も言えなくなってしまう。だから私は、そんなレイドが好きだった。
一度だけ、本気で叱られたことがあった。あれは、いつだっただろうか。そう、この世界へ来てまだ間もない頃のことだ。元居た世界へ帰る手がかりを探すべく、彼らは荒野へと向かった。武器を扱えない非力な私は当然リプレや子供達と孤児院に残ることになったのだけれど、フィズがいないことに気がついた。わざわざ言うほどのことでもないだろうと子供達には何も話していなかったのだが、それが裏目に出たらしい。何を思い違ってかは私には解らないが、彼女には彼女なりに思うところがあったに違いない。隼人たちを追いかけて、街の外に出て行ってしまったのだ。それに気がついた私もまた、リプレに言わずに飛び出した。隼人たちに見つかる前にフィズを連れ戻せば良いと、そう思ったのだ。しかしそれは間違いだった。街の外に出て、ようやくフィズを見つけて駆け寄ろうとした際に、敵対するオプテュスの人たちに捕まってしまったのだ。その結果、レイドやエドスが殴られることになって、勇人は脅迫されて、フィズはぼろぼろと泣いていた。怖いとか、そんな感情よりも私は、目の前で行われる一方的な暴力に、嫌な笑い声に、許せないと思った。
私の腕を掴んでいた男の子。その子はオプテュスの他の人たちに比べてとても優しい顔をしていて、どうして言うことを聞いているのだろうと思ったが、それも、今思えば彼なりの事情があったのだろう。涙を流すフィズを見て、彼はもう嫌だと持ち場を放棄して帰って行った。リーダーの手前止めることは無理だと思ってか止めることはなかったが、その代わりに私とフィズのところへ来たのは下っ端の男だった。あの少年よりも凶悪な顔をしていたが、手に込められた力は普通の男のもので。ナイフを突きつけて安堵していたのか、彼は異邦人でしかも女である私は、抵抗などしないと思っていたに違いない。そこを逆手に取って、私は男の足を思い切り引っ掛けて、転ばせてやった。突然のことでひっくり返った男のナイフを持つ手を、更に蹴っ飛ばせば、いとも簡単にナイフは男の手を放れた。今のうちに、とフィズを抱えて走る私に向かって男が投げたナイフは、私の肩を掠めた。それから、逆上した男が私に向かってナイフを振り下ろそうとした時に、勇人の放った召喚術の光が、リーダーの男とともにナイフを振り上げていた下っ端も吹き飛んでいった。そうして新たに現れた召喚師――後に仲間になるその人に助けられて、レイドたちは戦いに勝利したのだけれど、帰宅後にフィズともどもがっつり怒られたのだった。フィズはリプレから、私はあろうことかレイドに、だ。どうして怒るのか解らなかった。だって私が居なければ、あのままだったらフィズが可哀想だった。私は何も悪いことはしていないと主張したら、レイドは言った。「君の身に何かあっても同じことだろう」と。生傷なんて別に気にはならなかったが、それでもレイドや隼人、それにガゼルも、私の身体についた傷のことをその後暫くは気にしていたのだ。男の人にとってそれほど、女の傷は気になるものだろうか。ともすれば私の傷ついた身体には、もう価値は無いのだろうか。そう思うと少しだけ悲しくなった。その傷は今も、消えていない。
「お帰りなさい」
「君は、出かけるのかい」
「はい」
騎士団の仕事が忙しくて、レイドは最近フラットに戻ってくることが少なくなった。それでもアルバは必死に彼から言いつけられた稽古を続けているし、リプレやガゼルは協力してこの孤児院を、子供達を守るために力を合わせて頑張っている。勇人は相変わらずふらふらとしているけれど、彼はその力を以って街の人々を守っている。院に居座っていた他の仲間たちも、それぞれのすべきことがあって、もう初期のメンバーしか残っていないのだ。だったら、私は? 私には、何が出来るのだろう。玄関で鉢合わせたレイドにどこへ行くかは告げず、私はそのままフラットを出た。
私、歳の差なんて気にしないよ。忙しいって言うなら、いつまでだって待てるよ。私が嫌いなら、すっぱり諦める覚悟もある。でも、レイドはそう言わない。私が、好きだと言うたびに、彼はつらそうな顔をするから。私はもう、彼に想いを伝えることを止めたのだ。
「……あーあ、何、やってんだろ」
商店街でウィンドウショッピングをしたり繁華街を歩き回った挙句、行き着いたのは、いつもの場所。
アルク川は変わらずにゆるやかに流れていて、水面に落つるアルサックの花びらは、確かにあれから季節がひと巡りしたことを告げていた。もう、一年。否、まだ一年だ。私の思いは、ひと巡りしかしていない。これから何度だって巡ってくる季節を、私はずっと彼だけを想い続けていられる自信がある。だから、持久戦といこうじゃないか。私はもう好きなんて言わない。でも、貴方のことを好きでいさせて欲しい。自分は好きになってもらう資格が無いなんて、私の気持ちは私のものだから、誰かに量られたくはない。
土手に降りていって、水面で揺れているアルサックの花びらを取ろうと手を伸ばした。高い位置に咲いている美しい花ではなく、地に落ち、土と水にまみれたその花びらの方が、私には親近感が沸いたのだ。
「うわ、っとと」
花びらを掴んだ矢先、強い風が吹く。バランスを崩して、そのまま頭から川の中へ落ちてしまった私は、もう自暴自棄になりそうだった。神様……いや、この世界に神はいないから、きっと界の意思がお怒りになっているに違いない。好意を押し付けて、甚だ迷惑もいいところで。世界中の全てからうっとうしがられているような感覚に陥って、私はとても悲しくなった。
「……」
せっかく掴んだ花びらは、落ちた衝撃と私が強く握り締めたせいでくしゃくしゃに萎れてしまって、私の心に似ていた。あーあ、もう、何やってもダメなら、どうして私はいつまでもここにいるのだろう。どうして元の世界に、帰れないのだろう。
「前にギブソンさんが、言ってたな」
王都ゼラムに本部のある、蒼の派閥の召喚師であるギブソン氏と話をした時のことを思い出した。この世界の理について、彼は熱心に教えてくれたのだ。無論、一般人にも話せる範囲で。その話によれば、この世界と周囲にある四異世界は輪廻で繋がっていて、この世界で死ぬと転生するのだそうだ。幻獣界メイトルパだったり、霊界サプレスだったり、はたまた鬼妖界シルターンだったり。いろいろな種族になれるのかと思うとちょっと楽しみになったりもしたけれど、どうせなるなら機界ロレイラルがいいかな、なんて思う。機械になれば、悲しみも怒りも何も無くなる。好きという感情に振り回されることもなく、苦しくなることもないんじゃないか。そう思ったら、なんだか、とても。
「死んで、みたいなんて……」
こんな浅瀬じゃなくて、もっと深いところで、水の中で、誰にも見つからないように。そして輪廻転生して、私はレイドを忘れられて、レイドは私の好意に振り回されることもなく騎士団としての役目を果たせるのだ。
「ステラ!」
「……?」
水に浸かったままぼんやりと舞い落ちるアルサックを眺めていたら、大好きな声が聞こえた。でも、もういいのに。
「何をしているんだ、君は。……リプレが心配しているよ」
「……レイド、は?」
レイドが駆け寄って、私の腕を掴んで引き上げた。私の言葉で行動を止めたレイドの瞳が揺らぐ。私は、まだ足が川に浸かったままだ。
「レイドが私を避けるから、私はもうどうしていいかわからない」
何の力もないから、私が誰かの役に立つことは出来ない。好きな人の支えになることも、その人に拒まれてしまえば重荷にしかならないのだ。
「フラットは、レイドが帰るところだよ……私が居たら、駄目だ」
だって、どうしても好きなの。それ以外の理由なんて要らなかった。だってこれは理屈じゃないのだから。
「……ステラ、帰ろう。私と一緒に」
優しいレイドの言葉に、私は首を振る。できない、帰れない。帰りたく、ない。
頑なに土手を登ろうとしない私の頭上で、レイドが溜息を吐く。呆れられた。びくりと肩を揺らせば、その肩に温かいジャケットがかけられた。騎士の鎧じゃないレイドの、私服だった。
「私の負けだよ」
「……?」
恐る恐る顔を上げると、そこにあったのは嫌悪ではなく、優しい困ったような顔。私が大好きな、レイドの顔だった。
「今の時間を、一緒に過ごすことは出来ないかもしれない。だが……これから先、君が私とともに歩んでくれるというのなら――」
先の未来は、約束しよう。
「レイ、ド……っ」
「!?」
あまりの急展開に、頭が情報を処理出来ずにパンクしそうだ。それでもレイドの言葉が本心だと悟って、私は掴まれていた腕を逆に引き、レイドを川に引き込んだ。一緒にずぶ濡れになって、顔を見合わせて笑った。帰ったら、一緒にリプレに怒られてくれる? そうだな、上手い言い訳も考えないといけないな。なんて言葉を交わしながら。