Story

    届かない背中





     軍学校首席。そんなもの、何の意味があるだろうか。お家柄とか、将来への希望とか、ある人にはあるのだろう。けれど、自分にはない。自分という人間を必要としてくれる家もなければ、将来の夢も希望もないのだ。なんてつまらない人間だろうと思う。

    「おめでとう、さん」
    「……ありがとう、ございます」

     筆記試験の答案を受け取りながら、講師の顔をじっと見る。温厚そうな皺だらけの顔。しかし彼にも現役時代があって、幾人の兵士をねじ伏せてきたのだろう。まだ本物の戦場を知らない私には想像も出来ないことだけれど。

    「また1位? さすがだね――」
    「べつに……こんなの出来たって、意味ないよ」

     私の返答を聞いていた友人の表情が凍りつく。わかっている。彼女を含んだ大半の学生が、名家の令嬢や令息であるということ。この軍学校を優秀な成績で卒業することこそが一番なのである。私にはわからない。こんな紙切れや人形相手の訓練に何の意味があるのだろうか。無言でそっと離れて行った友人を、同じように無言で見送ってから席に戻る。椅子を引いて座れば、隣から、楽しそうな悪戯っぽい言葉が投げかけられた。

    「今日も嫌味に磨きがかかっているね」
    「嫌味を言っているつもりはないのだけど……捉え方は人それぞれだから」

     頬杖をつきながら、それでも二位の答案を手にしている彼は、どうでもいいことのようにもう一度「それも嫌味?」と言って笑った。

    「貴方の言葉こそが嫌味に聞こえるわよ、イスラさん」
    「そうかな? まあ、優秀である必要のない君が首席であることが、彼らにとってはたまらなく面白くないんだろうけどね」

     全く、彼は何を言いたいのか見当もつかない。ただ私をからかっていたいだけなのか、何か他に意図があって小馬鹿にした態度をとっているのだろうか。わからないのだが、それでも隣の席に座る彼が、イスラ・レヴィノスという少年が、私は嫌いではない。

    「僕も結構悔しいんだけどね。どう頑張っても首席にはなれない……何だかあの人とおんなじ道を辿っているみたいですごくイヤだ」
    「あの人?」
    「……キミには関係ないことだよ。ただ、それでも、この不毛な勝負は実は嫌いじゃない。なんでかな」

     どうしてだろう。そう問われても私は答えを持っていない。ただ、その思いはわからないでもない。何故なら、それは私も抱いている想いだからだ。

    「貴方が、他の誰とも違うから……だと思うわ」
    「違うって?」
    「さあ。でも、そんな関係ももうすぐ終わるのね」
    「……そうだね」

     暦をみれば、季節が一巡りするまであと僅か。今回の試練が終わったことで、私たちに残されているのは最後の卒業試験しかないのだった。その結果次第で、配属が決まる。志望先へ行けるか、落ちるかは、己の力量次第だ。

    「貴方は海軍志望でしたっけ?」
    「……まあ、一応はね。キミは、陸軍?」
    「決めてません」

     何か目的があったわけではない。軍学校に入ったのも、正式に召喚術の使用許可が下りるからであって、それを何に使うのかとか、はっきりとした目的があったわけではないのだ。ただ、人と違う力を手に入れられれば、自分の存在意義が確かなものになるような気がして。

    「私、軍には入らないと思うの」
    「……それ、周りが許すかな? 首席でしょ?」

     少し驚いた顔をして、イスラは尋ねた。確かに、成績上では首席だ。筆記も実技も、誰にも負けない点数を保持しているのだけれど、それに何の意味があるのか、私には解らないのだ。

    「周りは関係ない。私の人生は、私が決めるわ。軍に入って、何もかも縛り付けられた生活なんて、耐えられない」

     他の誰にも聞こえないくらいの小さく話す私の声を、イスラは黙ったまま聞いていた。名高いレヴィノス家の長男である彼に、こんなことを言ってしまうなんて、と少し後悔の念に駆られたが、彼は私を蔑むどころか、羨望の眼差しを送ってきたのである。

    「いいな、そういう風に思えるのは」
    「え?」
    「皆が君みたいな考えなら、いいのに」

     イスラの言葉の意図がわからず、眉を潜める。彼は家の名声のために日々頑張っているのだと思っていたのだけれど、間違いだったのだろうか。
     そういえば、ふと思い出す。噂程度でしか知らないのだが、レヴィノス家にはイスラの他に長子(確か姉だったはず)がいて、体の弱いイスラはあまり重要視されていないのだとか。もしもそれが事実だとしたら、彼がこの軍学校に入った理由は何だろうか。家のため、とは考え難い。
     先ほど感じた違和感の正体をこれと断定するにはまだ情報が足りないものの、彼が時折見せる儚げな表情を思えば、その噂が真実である可能性は高い。だとして、それを確かめる術を私は持ち合わせてはいないのだけれど。

    「」
    「……はい?」

     イスラのことを考えていたら、当の本人から声を掛けられて一瞬間が空いた。

    「僕は海軍の、諜報員になる」
    「それって、」
    「ああ、そうだよ」

     汚れ役ってことさ。
     イスラは得意げに言ったけれど、どうにも自嘲的に見えるそれに、私は乗っかって笑ってあげることは出来なかった。
     諜報員は、隠密部隊だ。敵地に潜入して弱点を探ったり、作戦成功のためなら何でもやる、裏方の様な仕事が回ってくる。決して表には出ず、秘密裏に行動する。それが、彼の望む仕事なのだろうか。

    「私には、それが正しいことなのか、わからないわ」
    「……止めるかい?」
    「いいえ」

     私にそんな権利はないのはわかっているし、他人の決意を覆すことなど出来はしない。しかし、思うのだ。彼にはもっと違う道があるのではないか、と。

    「……貴方が決めた道なら、応援するわ。イスラ、きっと大丈夫」
    「はは……っ、君なら、そう言ってくれると思っていたよ」

     思ったけれど、言わなかった。否、言えるわけがないのだ。戦うのが嫌で、どの軍にも所属せずに逃げ出す私には、自分の出切ることを必死に探して、戦おうとしている彼の決意を踏みにじることなど出来はしない。決して。





    「」

     卒業式を経て、海軍の証を得たイスラは証書を手に私のもとへとやってきた。軍学校を首席で卒業しておきながら故郷へ戻ることを選んだ私を、誰もが"負け犬"と蔑んだ目で見ていた。それでもイスラは私の名前を呼ぶのだ。

    「卒業おめでとう、イスラ」
    「君もね」

     首席と二位。だけど、敵ではない。私はイスラが嫌いではなかったし、きっと彼もそうだったのだろう。空を見上げたイスラが、感慨深げにしみじみと呟いた。

    「結局、最後まで届かなかったなぁ」
    「そんなこと……試験上で良い成績を残しても、実践では役に立たないわ。だから、私は逃げ出すの」
    「……それでも、君は戦っているじゃないか」

     急に真剣な目で、イスラは私を見た。戦う? 逃げた私が?
     意味がわからずにイスラを見つめ返すと、彼は少しだけ優しく微笑んだ、ような気がした。

    「負け犬っていうレッテルを貼られて、それでも自分の意思を貫き通すのは大変だよ」
    「……それは、」
    「僕も君も、人とは違う道を選んだ。戦いは避けられない」
    「……」
    「…………」

     暫くの、沈黙が流れる。やがて校門をたくさんの卒業生が流れるように去っていく。その中で、先に動き出したのはどちらだったか。

    「……じゃあ、またね」
    「……ええ、また」

     互いにそう言いながら、背を向けて歩き出す。
     またね、なんてありきたりな言葉に心の中で嘲笑する。
     訪れるはずのない再会になど、希望も何も見出すことができないのだから。

    「届かなかったのは、私のほうだわ……」

     イスラが、一線引いて他人を見ていたのを知っている。
     首席である私に興味を持ってくれて、好敵手という関係を築き上げて、そして今、その関係に別れを告げた。
     ずっと、それ以上の関係を望んでいたのは私のほうだったのに。

    「さよなら、イスラ」

     今はもう、その声すらも届かない。

    End.





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