Story

    これからも隣で





     新しい年度になって半月ほど経つ。一人で玄関を出て校門へ向かう途中、自転車部の部室が目に入って足を止めた。

    「今日の練習は――」

     今年度の主将となった手嶋純太くんが、テキパキと他の部員に指示を出す。部活動に所属したことのない私にとって、その姿はひどく眩しく映る。手嶋くんの傍らにいる、控えめながらも存在感のある彼もまた然りだ。

    「頑張ってるなぁ……」

     今年は同じクラスだけど、毎日メールもしているけれど、こちらから話しかけることはほとんどない。忙しいだろうからこちらから電話をかけることもない。メールも一日一通。それが私自身で決めたルールだ。不精の彼からの返事は、短い言葉だけ。
     青八木一くんとは中二の頃に同じクラスになって席が近くなって、話をする機会があって、他の子よりも少しだけ彼のことがわかるようになった。とは言っても、短い言葉のニュアンスの中に、嬉しいとか嫌だとか不安とか、そういう感情が読み取れるくらいで、彼が何考えているのかはわからないし音声のない無機質な文面の中では何も伝わってはこないので、寂しさは募るばかりだ。
     比較的家が近くで天気の悪い日は交通手段なんかも同じだから、なんとなく一緒に帰るようになったのは中三になってから。高校に上がったばかりの頃は手嶋くんに「二人って付き合ってんの?」なんて聞かれたりしたけれど、青八木くんは「別に」と流して終わった。
     はっきりと、好きだとか付き合って欲しいと言われたわけではなく、私からも告げることはしていない。恋人と言っていいのかも怪しい関係で、それでもお互いに居心地のよい関係であれば良いなんて言い訳じみたことを考えて現在に至る。勿論ずっとこのままで良いとは思わないけれど、今は大変な時期だというのがわかるから、邪魔だけはしないように距離を置いている。彼の応援をしている健気な女の子だとかそういうことではなく、ただ一緒にいると私が我慢出来なくなる気がするから、それが原因で青八木くんに嫌われたくないと思うからこそ。

    「……俺、自転車部の次期副主将になった」

     去年の秋、彼は気まずそうに言った。嬉しそうとか嫌そうとかそういう感じじゃなくて、私に対して申し訳なさそうに。だから私は、あえてそれには気づかないフリをして明るい口調で祝福の言葉を口にした。

    「え、本当!? すごいね、おめでとう!」
    「ありがとう。……でも、今まで以上に忙しくなると、思う」

     やっぱり申し訳なさそうに視線を泳がせながら彼がそんなことを言うので、もっと喜んで良いのに、と私は呆れて笑った。自分ばかりが手放しで喜べない、私のことも考えてくれる優しい青八木くんが、私は好きだ。それに、認められたことに対する喜び以上に、今まで以上の重責があることも理解は出来る。だからこそ私は、

    「頑張ってね!」

     そう、言うしかなかった。レースに勝ってほしかった。去年のような悲しみに暮れた顔は、絶対に見たくなかったから。

    「……!」

     不意に、コースに向かおうとしていた青八木くんと目が合う。自転車を押してこちらへ来るのが見えて、私はその場から動かずに彼がくるのを待った。

    「今、帰りか」
    「うん」
    「そうか。……気をつけて帰れ」
    「ありがとう。青八木くんも部活頑張ってね」

     何か言おうとしていたのだろうか。少しの間の後で、何でもないことのように「じゃあ、また明日」と言って部に戻って行く彼を見送って、私も帰路についた。
     帰宅して少し早めの夕飯を食べて、お風呂に入る。ゆっくりと湯船に浸かりながら今日の青八木くんの姿を思い返し、後輩相手に指示を出す彼はかっこよかったなぁと再確認する。お風呂から上がって部屋に戻ってくると、青八木くんからのLINE。つい五分前に部活が終わって、これから手嶋くんとラーメンを食べに行くと言う話だった。既読をつけて返事を送ろうとした矢先、同時にラーメンの写真が送られてきた。端っこに、小さく手嶋くんの手が写っている。これが俗に言う飯テロかと思いつつ、私は今日焼きそば食べたよと返した。食べはじめたのか、返事はない。ラーメン伸びたら美味しくないものね。食事の時のお行儀も良いから、食べながらスマホをいじったりもしないんでしょう。そういうところも好きだ。ゆっくりと息を吐きながらスマホをスリープモードにして、ベッドに身を投げる。少し寂しいなんて、彼女でもないのにそんなことは言えない。気がつけばすっかり眠ってしまっていた。

    「お誕生日おめでとう、。それからおはよう、朝ご飯できてるわよ」
    「……ありがとう」

     まだ寝起きで髪もボサボサの状態で、居間に顔を出したらお母さんから開口一番にお祝いの言葉が送られた。友達からはメッセージが届いていたけれど、青八木くんからの返信はやっぱりなかった。
     今日はいい天気。家族からお祝いしてもらって、クラスの友達からもプレゼントを貰って、私は幸せ者なんだと思う。でも、一番欲しい人からは何もないまま。寂しいなんて罰が当たりそうなことを考えては漏れるため息。

    「、帰るのか」

     放課後、いつものように一人で帰ろうと玄関で靴を履き替えていると青八木くんに声をかけられた。青八木くんはこれから部活? 頑張ってね。普段と変わらない挨拶をする。けれど今日の青八木くんは、いつものように頷いてはくれなかった。

    「俺も、一緒に帰る」
    「えっ?」

     信じられない言葉が聞こえて、彼の顔を凝視する。驚いた青八木くんは慌てて目をそらしてしまったけれど、私はおかまいなしに詰め寄った。

    「なんで? 部活、大事な時期でしょう? サボるなんて……」
    「っち、違う! サボりじゃない。今日は、オフにしたんだ」

     なんだ、サボりなわけではないらしい。そっか、よかった。

    「あまり根詰めすぎても良くないし、ここらで一度休息挟んだ方が良いからって、純太と相談したんだ」
    「そうなんだ」
    「それに」

     靴を履き替えた青八木くんが、私を追い越して振り返る。

    「今日は、特別だから」

     そう言って薄く唇に笑みを浮かべた青八木くんは、続けて小さな声で「誕生日、おめでとう」と言ってくれた。それだけで私は、今までの寂しさとかそんなもの全て飛んでいってしまうくらい幸せな気分になって、本当にハッピーなバースデーだと思った。
     下校途中、気まずそうに青八木くんがぽつりと零す。

    「……気づいたの、昨日の夜だったから、プレゼント用意してないんだ」
    「えっ、いいよそんなの!」

     こうしてお祝いしてもらえただけで充分。そう告げれば、青八木くんはホッとした顔をして、けれどすぐに「いや、」と小さく首を振った。

    「俺が、良くない」
    「……」

     別に、いいのに。気を遣わなくたって。私と君は別にお付き合いしているわけでもないのだから。

    「関係ないのに、とか思ってるんだろ」
    「えっ」
    「今日のオフだって、前々から純太に相談して予定立ててたんだ」
    「……?」

     何か、おかしい。さっき、気づいたのは昨日だって言っていたのに。

    「……一ヶ月、悩んで。考えて、全然決まらなかった。何をプレゼントしたら喜ぶだろうって」
    「……うん」

     何でもいいよ、君がくれるものなら。こうして久しぶりに一緒に並んで帰れるだけで、おめでとうの言葉だけで、私は嬉しい。だけど、そう口にしても青八木くんは納得なんてしないだろうから、ただ小さく相槌を打った。

    「……はぁ」
    「え」

     漏れた溜息に驚いてつい青八木くんの顔を凝視した。なんで? 今溜息つくところじゃなくない!?

    「いや……ああ……うん」

     何か、悩んでいるんだろうな。彼には彼なりの葛藤があるんだろう。手嶋くんならわかるのかな。でも、わからなくても良いのかもしれない。

    「よし、」

     考えて、悩んで、たくさん迷って。
     誰かの代弁じゃなく、君の言葉で聴きたいから。

    「」
    「はい」
    「俺と、付き合ってください」
    「……はい」

     青八木くんはとてもとても緊張した面持ちで、顔を真っ赤にして、震える声でそう言ってくれた。対する私は半分くらい予想していたこともあって、驚きと安堵と喜びがない交ぜになって、呆けた顔のまま小さく頷いただけだった。もっと可愛い反応できなかったの、私。

    「い、いのか」
    「いいも何も……私が君を好きなの、わかってたでしょ?」
    「……」

     自信がなかったら絶対言わないだろうし。ただ何で今なのか、気になるところではある。

    「部活忙しいと思ってせっかく私が我慢していたのに、青八木くんはひどいよね」
    「……嫌だったからな」
    「何が?」

     青八木くんの言葉は主語が抜けるから私にはわからないことがある。国語力がないのではなく、多分きっと、心の中ではいろいろなことを考えて、噛み砕いて、自分の中で消化してしまっているんだろうな。だから、口に出すのは最低限の結論だけなんだ。
     私が何も喋らずにいると、青八木くんはそこから更にゆっくりと教えてくれる。この待っている時間が、私はとても好きだ。

    「一緒にいる時間が減って、が、心移りするのは……耐えられない」
    「心移り……って?」
    「誰か他のやつを、好きになるかも知れない。俺達ちゃんと付き合っているわけじゃなかったから、そうなっても俺には責める権利なんてない。とられたく、なかった」

     照れ臭い台詞も、彼の唇が紡ぐと不思議と心に響く。真剣に考えてくれているのがわかるから、私も真剣に向き合わなければいけないと思わされる。

    「そんな心配することないのに」

     でも嬉しいよ、ありがとう。これからもよろしくね。
     そっと指を絡ませたら、びくりと体を震わせる。耳まで真っ赤にしながらそれでも手を握り返してくれる青八木くんが私はとても好きです。

    End.





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