Story

    出張パン屋さん





     うちは商品が余らないからいいな、とオヤジが笑った。
     一日の終わり、パン屋で余った在庫は大抵処分される。従業員が分けて持ち帰ったりもするが、それでもひとつでも勿体ない。食べ物を粗末にするなと言われて育ったから、余計にそう思うのかも知れない。

    「迅くん、今日のパンはなあに?」
    「お前はそればっかだな」

     クラスメートの女が、休み時間に俺の席に来るなり首を傾げた。まあ、可愛い仕草だが、わかっていてやってるならかなり性格が悪いと思う。男ウケを狙っているとか、そんなん。しかし、目の前のコイツはそんな男に媚びたりはしない。第一俺相手にそんなことをする意味もないしな。

    「だって迅くんからは毎日いい匂いがするから、つい」
    「ったく……ほらよ」

     呆れつつも、俺は毎日家のパンを渡す。花より団子という言葉はこいつのためにあるんじゃないかと思うほど、色気より食い気を優先させるやつだった。

    「そんなんじゃ彼氏なんかできねぇな、」
    「えー」

     ひどい、とかなんとか言いながらもパンを頬張るのをやめないんだから否定できるわけがない。というより、するつもりも無いんだろう。
     多分巻島や手嶋よりも、食うだろうな。見ていて気持ちのいい食べっぷりは、決して嫌いではなかった。

    「迅くんちに永久就職するからいいもんね」
    「……はあ!?」

     しれっと、とんでもない爆弾発言を落とす。こちらの様子を窺っていた巻島がギョッと目を見開くのが視界の端に映ったが、気まずくてそちらを見ることは出来なかった。

    「それなら毎日おいしいパンが食べ放題だし!」
    「お前、それが目的か! っていうか店のパン食うなよ」

     俺が突っ込みを入れると、聞き耳を立てていたクラスのやつらが笑った。もパンを手に同じように笑っていたが、やがて教室の喧騒に乗じてぽつりと呟いた。

    「それだけじゃ、ないけどね」

     誘ってんだかなんだかわけがわからないの台詞に、振り回されてなんかやるもんかと聞こえないふりを決め込んだ。俺は恋愛体質じゃねぇし、そんなもん似合わねぇし。クラスや部活の連中とバカやったり、鳴子や青八木と大食いを競ったり、いわゆるムードメーカーみたいな存在だと自分でも思っている俺が、誰かに恋をするとかされるとか考えたこともない。更に相手はこのだろ? ありえねぇって。

    「それ食ったら自分の教室戻れよ」

     そもそも今年はとは違うクラスだ。それなのに毎日毎日俺のところまでやってくるに、そんなに俺んちのパンが食いてぇのかよと笑ってやったこともある。クラスのやつらも、本人も笑っていた。だけど、その理由は別にもあるのだということは、少しずつ察しがついてきていた。本気なのか、こいつ。

    「迅くんの傍は安心する」

     俺んちのパンを誰よりも美味そうに口にして、誰よりも幸せそうな顔を俺に向ける。そんなが可愛くて可愛くて、

    「……!」

     とりあえず、気がつけば頭を撫でていた。手嶋や青八木みたいに、俺を慕うこいつがまあ、俺自身も気に入ってはいるのだ。恋心がどうとかは置いておいて。

    「なぁによう……」
    「いや、別に」

     相変わらず美味そうに食うなと思ってよ。と、本心を少し隠して本当のことを言った。

    「迅くん、私は迅くんの妹分でいるつもりはないからね」
    「……」

     どうやらその行動が、に火をつけてしまったらしい。
     最後のひとかけのパンを口に放り込んで、咀嚼しながらが言った。

    「いつか認めさせてやるから」

     せめて飲み込んでから喋ろ。そう呆れたが、そんなことも言っていられない。の言葉に、背中に変な汗が流れる。
     クラス中がと俺のやりとりを漫才か何かのように見ているから大々的に言うようなことはしなかったが、は確かに言った。認めさせてやると。それは、俺に承諾しろってことか? 田所パンに永久就職することを?

    「っ、バカだろお前!」

     いつものように大口あけて笑い飛ばすなんてこと、流石の俺もできるはずない。これが他人事なら良かったのに。

     照れくささを隠すために思わず席から立ち上がって声を上げる俺を、ギャラリーと一緒になっては笑っていた。

    End.





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