Story

    想いを音に重ねて





     放課後の教室から音が聞こえる。そこは自分のクラスで、忘れ物を取りに戻ってそっと中を覗けばそこは自分の席で。彼女は真剣な目で、画用紙に貼られた楽譜を見つめていた。

    「……あっ」

     俺の存在に気づいたらしい彼女は、そこが俺の席であることを知っていたのだろう。小さく声を発して、ごめんねと謝った。

    「青八木くんの席、勝手に借りてた」
    「いや、いい」

     別に忘れ物を取りに来ただけだから、俺は机そのものに用があるわけではないし使ってくれて構わない。そもそも机は学校の備品であって俺個人の所有物ではないのだから。

    「自転車部は終わったんだ。今日は早いんだね」
    「まあ、今日はミーティングが主だったからな」

     クラスメート、が吹奏楽部所属であることは知っていたが、ふと彼女の持つ楽器を見たら、つい口をついて出てしまう。

    「……ユーフォ」
    「あ、知ってるんだ?」

     意外! なんて、悪びれもせず声に出して笑う。ユーフォニアムという大きめの金管楽器は、恐らくトランペットやトロンボーンなんかよりはマイナーな名前で、多分運動部の中での自転車競技部と同じようなものではないだろうか。けれど俺がそいつを知っている理由は、偏にその楽器に触れたことがあるからだ。

    「まあ、な」

     小学校のスクールバンドで担当の楽器だったことは、別に言わなくてもいい。ただ、人数が足りないという理由で大型楽器をあてがわれた俺と、女子にしては背の高いがそれを吹くのとではその意味合いは全く異なる。俺はが吹いている姿を見たことがないので想像でしかないのだが、きっと似合うんだろうな。

    「そういえば俺、吹奏楽部の演奏ちゃんと聞いたことない」
    「!」

     つい口に出して言ってしまったのは、本能的に彼女のその姿を見たいと望んだ結果だろうか。遠回しに聞かせてくれと言われたは、少し驚いた顔をして、けれどすぐに浮かない顔で俯いた。

    「……どうかしたのか?」
    「や……あのほら、ユーフォってメインパートじゃないしソロで聴いてもあまり面白くないっていうか」
    「……ああ」

     それは知ってる。ひとりで練習していても、曲にならないので全然楽しくなかった。

    「それでも俺は、が吹くところを見てみたい」
    「青八木くんもそういうこと言うのね」

     手嶋くんの影響? そう尋ねられて、返答に悩む。別に俺は、純太の言動を真似たりした覚えはないのだが。

    「俺は自分が思ったことを口にしただけだ。そこに他意はない」
    「……うん、青八木くんはそういう人だったね」

     俺の席に座りながら、ユーフォを構える。

    「トランペットみたいなメロディーパートだったら、喜んで聴かせられたのにね」

     はにかみながら笑って、それでも担当の楽器が嫌だとは言わない。それどころか、それを扱う所作は美しい。自転車部にとっての自転車が、俺にとってのコラテックが、彼女にとってのこのユーフォニアムなんだろう。

    「笑わないでね」
    「笑わない」

     笑うものか。どんなに下手でも、ミスをしても、真剣な姿を笑ったりはしない。だっては、結果が出ない俺のことを笑ったりしなかったから。

     低く唸るような音を奏でながら、時折緊張して指番号を間違うのか、焦ったような表情を浮かべる。それでも力強くマウスピースに息を吹き込む唇と細かく動く繊細な指先に、目を奪われた。

    「……綺麗だ」

     口にしたのは紛れもない本心で、それ自体は恥ずかしいとは思わない。けれどその言葉を聞いたがマウスピースから唇を離し真っ赤な顔でこちらを見てきたので、伝染して俺まで顔が熱くなってきた。

    「そういうこと、言わないで」
    「嫌だったか」
    「い、イヤじゃないけど……照れるじゃない」

     照れる。恥ずかしい。そんなことを繰り返し口にしながら、やがて視線を俺の机へと落としてぽつりと呟く。

    「ユーフォを吹く度に、青八木くんのことを思い出しちゃうよ」
    「!」

     そう言って、硬い金管を抱えて顔を埋めるだったが、俺は何だか自分が抱き締められているようで気分が高揚した。それと同時に、のことがかわいく見えて仕方がなかった。

    「」
    「な、なに……?」

     ユーフォニアムを抱き抱えたまま、顔を上げてこちらを見る。その顔はやっぱり赤くて、俺は到底気持ちを抑えることなど出来そうになかった。

    「俺、が好きだ」
    「っ!?」

     驚きを全面に浮かべたは動揺のあまり手を滑らせ、彼女に支えられていたユーフォニアムはぐらりとその体を傾けた。

    「わわ……!」
    「……っと」

     慌てて前のめりに金管を抱き込むだったが、俺も咄嗟に受け止めようと前屈みになって、顔が近くなる。お互いに見つめ合い、無言のまま数秒が経過後、彼女が先に口を開く。

    「……本当に?」
    「ああ」

     何がなどと聞かずとも、俺にはわかる。

    「付き合ってほしい」

     何の捻りもないありきたりな言葉だけれど、は泣きそうな顔で静かに頷いた。

    「次のコンクール、聴きに来てくれる?」
    「ああ、必ず行く」

     だからも、インターハイ観に来てほしい。応援してほしい。

     そんな旨を伝えれば、はもちろんと頷いた。
     明日からも頑張ろう。そんな風に思えるくらい、綺麗な笑顔で。

    End.





      Story