Story

    僕のプリマドンナ





     あ、さんだ。今日も可愛いな。

     隣を歩いていた手嶋が、今し方すれ違ったクラスの女子を後目にぽつりと呟いた。すぐにハッとして俺の方を向いて照れ笑いを浮かべたが、しっかり聞いていたよという意味と、大丈夫だという意味を込めて頷いた。

    「俺も、そう思う」
    「! 青八木も、そういうこと言うんだ……」

     意外だ、と正直に手嶋は口にする。俺自身こんなことを誰かの前で言うのは初めてだけど、俺も他の男子と何ら変わりない。人並みに女子を可愛いと思うし、男同士のそういう話には混ざれないが見ていたいとは思う。

    「話しかけてみるか?」
    「……それは手嶋がやれよ」

     俺は無口だしあまり社交的じゃない。席が近いわけでもないし特別共通点もない相手に話し掛けられても彼女が困るだけだろう。それなら、俺なんかより喋るのが上手い手嶋の方が、さんも楽しいだろう。

    「一緒に行かね?」
    「行かない」

     そもそも、女子と喋ることどころか顔を合わせることすら慣れていないやつに、そんなハードルの高いことをやらせるな。そう思いつつ断れば、手嶋もそれ以上しつこく誘ってくることはなかった。

     俺は、ただ教室の隅でノートに絵を描いたり本を読んでいるだけの、誰の目にも留まらないような存在でいいと思う。人には適材適所というものがあるんだ。
     だから、

    「あ、青八木くん、それ」
    「……!」

     彼女の方から話し掛けてきた時は、飛び上がりそうなくらい驚いた。勿論そんなのは表には出さないけれど。
     その瞬間教室の数人が、多分手嶋と同じようお近づきになりたいと思っている男がこちらに視線を送っているのがわかった。だがさん自身はそんなこと気にもせず、というより気づいていないようで、その視線は真っ直ぐに俺が持つ文庫本に注がれていた。

    「私もその本持ってる。青八木くんも好きなの?」
    「……図書室で、適当に借りただけだ」

     ここは「好き」と答えるのが正解なんだろうけど、今の俺にそんなことを考える余裕なんかなく、ただありのままの事実を答えるほかなかった。しかし、さんは優しい雰囲気を崩さずに「そうなんだ」と笑って、更に続けた。

    「もし面白かったら、その作者さんの別の作品も読んでみない?」
    「え……」

     確かに、休み時間の暇つぶしにと借りて読んでみただけだが内容は面白い。他の作品もあるなら探してみようとは思っていたのだけれど、

    「もし良かったらだけど、持ってくるから言ってね。周りにそういうの読む子いなくて、嬉しいな」

     俺の耳に唇を寄せでさんが囁く。少し息がかかってくすぐったさと恥ずかしさと嬉しさでぞくぞくと背中が震えた。
     美人な上に天然なんてタチが悪い。俺みたいなやつにそんな風に接して、きっと大した意味もないくせにその気にさせてしまう。どうせ好きになったって結果は決まっているのに。

     数日後、さんは約束通りに本を持ってきた。実は小説はそんなに読む方じゃないしどちらかと言えばゲームの攻略本のほうが目にすることは多いような気がするけど、俺が本を受け取った瞬間に嬉しそうに笑った彼女の顔があまりに綺麗だったから、俺は翌日には本を返していた。

    「ありがとう。面白かった。……上手く感想言えないけど」
    「もう読んだの? 早いね!」

     読んだことを伝えるほかに、どこが面白かったとか、こう思ったとか、そういう感想を述べるのが俺は苦手で、やっぱりつまらない奴だと思われるんだろうなと思っていたら、さんは嫌な顔は全くしていなくて、やはり嬉しそうだった。

    「じゃぁ、私の話を聞いてくれる?」

     彼女が喋りだそうとしたときに予鈴が鳴ったので、昼休みに話そうと約束をして席に戻ったさん。クラスの男子や手嶋も、俺を見てわかりやすいくらい驚きを顔に浮かべていた。皆まで言わなくても、俺だって十分驚いてるよ。

     昼休み、天気がいいからと中庭に誘われた。木陰のベンチで弁当の包みを開くさんの隣で俺は購買のパンにかじりつく。
     小説の第二章に出てくる伏線が最終章で回収されたのは驚いただとか、中盤で出て来る女性が格好良くてそんな風になりたいだとか、さんは本の内容についてとても饒舌に語った。俺は人の話を聞く方が好きだから、ただ頷いたり相槌を打ったりして、彼女の話を最後まで聞いていた。たまにこちらからも質問をすれば、ちゃんと読んだことが伝わったようで、更に言葉が増える。手嶋より、喋るかも知れない。これまでの印象は、可愛くて人当たりが良くて上品な笑い方をする人だなぁと思っていた。笑顔が綺麗という印象は今も変わらないが、もっと物静かな人だと、俺は思っていた。

    「ごめんね、いきなりたくさん喋って。迷惑じゃなかった?」
    「別に、迷惑とは思ってないから…。」

     むしろ、こんな俺にも話し掛けてくれるとか嬉しい。そんなこと面と向かっては言えないけどそれが本音だ。

    「さん、は……」
    「青八木くん」

     あまり多くない俺の言葉を遮ったさんに、少しばかりショックを受けた。やっぱり俺の話には興味がないのだろうかと思いつつ口を噤んでさんの言葉に耳を傾ける。

    「青八木くん、私の名前知ってる?」
    「? ……」
    「苗字じゃなくて、名前よ。な・ま・え!」
    「……、」

     女子の下の名前を口にするのはとても勇気が要ることで、かなり小さくなったがようやく答えた俺に満足そうに笑ったさんは、更なる課題を俺に課す。

    「って呼んでよ、一君」
    「!?」

     話の流れから何となく胸のざわつきがあったが、本人の口からそんなことを言われて、俺は今度こそびくりと震えるのを抑えられなかった。そんなの、絶対無理だ。

    「む、無理……」
    「え、ダメ?」

     駄目じゃないけど、嬉しいけど、俺には荷が重い。
     そして出来ないと言った俺に対して彼女が呟いた言葉に、息を呑む。

    「私、もっと一君と仲良くなりたいなぁ」
    「……っ」

     やめてくれ。
     君にそんな風に言われたら、期待してしまうじゃないか。
     そんな綺麗な顔で笑われたら、あっという間に落ちてしまうじゃないか。

    「あ、もうすぐ昼休み終わっちゃうね。……またお話聞いてね、"青八木くん"」

     つまりは俺も、単純なやつだってこと。

    End.





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