Story

    優しく棘を抜いて





    ※ これの続き。


     目を見れなくなったのはいつだっけ。いつの間にか軽口を叩くこともできなくなって、どんどん距離が開いていった。本当は好きだったんだよ、と本音を言えない臆病者は、結局仲の悪いクラスメートという立ち位置のまま。悲しくて、遣る瀬なくて、気遣ってくれていた友人さえも私は自分から遠ざけた。もうこれ以上見たくない。
     三年になってから変わったと思う。部活に熱を入れていたのも知っている。周囲の女子が手嶋でなく青八木を見て噂しているのを耳にする度に私はとても焦っていたのだけれど、だからといって自分で告白する勇気はなかった。かわりに、天の邪鬼度が増した気さえする。

    「……なあ」
    「ん」

     同じ大学に進学した手嶋が、講義の合間に話しかけてきた。素っ気ない態度で何か用? なんて尋ねたら、高校のときと全く変わらない困り顔で笑われた。

    「相変わらずだなぁ」
    「ふん」

     青八木とは進学先が違う。卒業式の日、目が合ったけれどお互いに逸らしてそれきり。
     手嶋は卒業後「青八木はお前のこと好きだったんだよ」と言われたけれど、私はそれを薄々は感じていて、だけど手嶋から聞いた事実は嬉しさ以上に素直になれない自分への嫌悪が深まっただけだった。

    「もう、終わったことでしょ」
    「そうかなぁ」

     手嶋はそう呟いたきり黙って、鞄を机に置いて二つ分の空席を空けて私の隣に腰を下ろした。

     そうかなぁ。

     間延びしたその声が、言葉が、ひどく障る。何が言いたいのと、聞きたかったけれどそれを口にすれば負けだと直感した。手嶋も青八木も、彼らはいつも私とは違うものを見ていたから。私がこうだと言った言葉を、他の見方もあるんだって教えてくれた。それを理解していながら私は絶対に認めようとはしなくて、受け入れられなくて。その度に青八木は悲しげな顔をして、手嶋は呆れた。もっと素直になれよ。そんなことを何度言われても、こうして離れてしまっても、私は天の邪鬼だから突き放す言い方しかできないの。わかってはいる、こんなんじゃダメなんだって。

    「青八木の、馬鹿」

     ぽつりと手嶋には聞こえないようにつぶやいた言葉は、呑み込むには今の私にはあまりに重すぎた。



     それから幾日か経って、桜も散り終わる頃。サークルにも入っていない暇人は受けている講義が終わればすぐに帰路につく。
     大学生は大人だと思っていたけれど、いざ自分がなってみれば全然そんなことなくて。高校の時と全く変わらない……というより、あの頃の私の方がまだ物わかりの良いやつだった気がする。自分のせいで険悪なまま離れた人のことを未だ引きずっているなんて、笑い話にもならない。
     とまあそんな風に自己嫌悪に陥りながら歩いていると、ふと前方に影が差した。その気配に私が顔を上げるのと、

    「」

     青八木が声を発するのは、同時だった。

    「……は?」

     何、これは幻? 困惑する私をよそに、青八木は一歩私に近づく。

    「やっと会えた」

     青八木の言葉にハッとして、私は彼から距離をとる。なんでこいつがここにいるのかなんて、私にわかるはずもなかった。

    「なんでいるの?」
    「会いに来たからだろ」
    「何で、会いに来たの?」
    「会いたかったからに決まってるだろ」

     私の質問に淡々と、且つ堂々と答える青八木。私に、会いたくて、わざわざ近くもないこっちの大学まで来たというのか。

    「わかんないよ……なんで、」

     もう全部終わったはずだった。終わらせたのに、

    「終わったと思ってるのは、お前だけだ」
    「!」

     私が一歩後退しても、青八木が一歩前進すれば歩幅の違いで距離は近づくばかり。

    「卒業式の日だって、お前は純太のことばかりで」
    「……」

     一歩、

    「いつも俺が、どんな気持ちでいたかなんて考えもせずに」
    「……っ」

     二歩、

    「俺が傷ついてないとでも、思っていたのか」
    「……っ!」

     ……三歩。

     三回ほど後退と前進を繰り返して、とうとう目の前まで青八木がやってきた。相変わらずの鋭い眼光で、彼は私を射抜く。
     ごくりと唾を飲み込んで、恐る恐る青八木の顔を覗き込んだ私は、驚愕する。

     なんでそんな、泣きそうな顔してるの。

    「……なんで、言わせてもくれなかったんだ」
    「あ、お、やぎ」
    「俺は、ずっとが好きだったのに」

     逃げていたのは私だけ。本当の声を聞くのが怖くて、ずっと聞かないフリをしてた。
     終わったと思っていたのは私だけ。これでいいって思ってなんていないくせに、無理やり終わらせようとした。

     そんな私に、何の価値もありはしないのに。

    「私、青八木にそこまで想ってもらえる人間じゃないよ」
    「そんなのが決めることじゃない」

     ぴしゃりと言い放つ青八木は、去年よりもずっと饒舌で。ロードレースよりも真剣な目で私に、訴えかける。

    「俺はお前の答えが聞きたくて、純太と連絡取ってたんだ」
    「答え、なんて」

     声が震える。私ほんとうは、ずっと、後悔ばかりしてた。

    「でも、もういい。聞かなくても解るから」

     確信を得た青八木は強い。有無を言わせない言葉で、私のちっぽけな意地を押さえ込む。

    「わたし、は」

     ぽたり。涙が頬を伝って地面に落ちるところまでを黙して見ているだけだった青八木が、手を伸ばして私の頬に触れた。目尻に溜まった涙をすくって、払う。
     涙でぐしゃぐしゃな私をからかうことなどせずに、彼はとてもとても優しい顔をする。思えば高校のときも、私はこの視線には気づいていたのに。

    「何も言わずに終わるなんて、俺は絶対にイヤだ」
    「っ」
    「言えないなら言わなくていい。お前が素直じゃないことなんて俺が一番わかってる。でも、そのかわり俺の言葉は聞いてくれ」

     無口で、必要なこと以外は口にしたくない青八木なのに。こんなに喋ってるところなんて、私は見た事がないのに。
     どうしてって、そんなのわかってる。青八木が、私の分まで想いを伝えようとしてくれているってこと。

    「好きだ」

     青八木が真摯な目と口調で真っ直ぐに告げるから、止まりかけた涙が再び溢れる。呼吸さえも苦しくなって、嗚咽がこぼれた。
     天邪鬼だけど、意地っ張りだけど、本当は何よりも君が好きだったんだよ。私だって終わらせたくなんてなかったの。

     それでも私の唇から出る言葉に、青八木が苦笑を浮かべる。

    「きらい」
    「下手な嘘はもういい」

     更に一歩を踏み出して、青八木が私の身体を抱きしめる。きつく、強く。
     口にする言葉は全くもって可愛くないのに、それとは裏腹に私は青八木に応えるように彼の背中に腕を回した。

     もう少し、もう少しだけこのままいたら、私は素直になれるのだろうか。
     好きと伝えることが、できるだろうか。

    「言わなくても、わかってる」

     そんな風に言ってくれる青八木の優しさに、今しばらく甘えてしまおうと思う。
     この涙が止まるまで、待ってて。

    End.





      Story