Story

    カリカリビスコッティ




    ※ ペダル夢企画「もぐほかごはん」様に提出させて頂いた作品です。


     失敗?
     そう首を傾げたくなるほどの黒い物体が目の前にあって、事実青八木は、右手親指と人差し指でつまんだそれをまじまじと見つめながら顔を傾けた。

    「第一声が失礼すぎない?」

     硬く、黒く長い塊。ところどころから顔を出すナッツ類。確かに、以前に見た炭のような黒こげクッキーよりも漂う香りは芳しい。

    「なんだこれ?」
    「はじめはお菓子に関しては無知だな」
    「うるさい」

     失礼なのは一体どちらか。
     これが失敗ではないとするならば、自分が見たことのないこの菓子の名称は何だろう。手嶋なら知っているだろうか。

    「手嶋なら知ってると思うけど」
    「じゃあ聞いてくる」
    「ええっ!? そこは私に聞いてよ!!」
    「は俺を馬鹿にする」
    「ごめんって」

     冗談の通じないやつだ何だとぶつくさ文句を言いながら前席の椅子を引いて座る幼馴染でクラスメートのに、青八木は呆れながら溜め息を吐いた。

    「で、これは何て言うんだ?」
    「ビスコッティ」

     問い掛ければ即座に答えが返ってきて、青八木は満足げに微笑むを見た。

    「ビスコッティ? ……ビスケット?」

     確かにどことなく雰囲気が似ていなくもないが、しかしそれにしても硬すぎる。

    「ビスケットと語源は同じなんだけどね、イタリア語で二度焼いたって意味なんだって。つまり堅焼きビスケットのこと」
    「詳しいな」
    「って手嶋が言ってた」
    「……理解した」

     何が「手嶋なら知ってると思う」だ。最初から手嶋の知識だったんじゃないかという突っ込みは、疲れるのでしないでおく。ただ楽しげに微笑んで自分を見つめているに、青八木は手にしたビスコッティを口に運んだ。

     ガリ、ガリ。
     奥歯で噛み砕いて、咀嚼する。割と歯は丈夫な方なので問題なく食べられるが、やはり

    「堅い」
    「だよね、コーヒーに浸して食べるのが一般的らしいよ」
    「先に言え」

     ガリ、ガリ。
     もぐもぐと口を動かしながら、青八木はを軽く睨んだが、彼女は全く悪びれた風でもなく言った。

    「だって最初はそのまま食べて欲しかったんだもん」

     はじめは歯丈夫だし、差し歯とかもないでしょ?
     そんな問いかけに頷くことで答え、青八木は袋に詰められた黒いビスコッティを眺める。

    「面白いな」
    「美味しいじゃなくて?」
    「純太に手伝わせたんだろ」

     それなら美味くて当然だと言わんばかりの言い分に、それには流石のも納得しなかった。

    「違うもん。これは、私がひとりで作ったんですぅ」
    「……嘘だ」

     青八木はわずかだが目を見開いて、そのまま瞬きをした。むっすりと拗ねたように頬を膨らませたままの幼馴染を見て「……本当に?」と、少々動揺しながらも尋ねたのは、以前に差し出された「成長の軌跡」を思い浮かべれば仕方の無いことだった。
     は器用ではない。不器用だ、出来ないと断言してしまうことはイコール彼女の地雷を踏んでしまうことになるので、ややオブラートに包む言い回しを青八木は身を持って覚えた。そんなが料理やらお菓子作りに興味を持ち始めたのはいつだっただろうか。それは最近の記憶ではなく、もうずっと前から彼女は自分の不器用さと戦っていた。今日はこれを作るから食べに来て、と豪語しておいて、いざ青八木が訪ねて行くと、かなりの確立で失敗作が出てくる。たまに何とか食べられる程度のものがあらわれるが、それらは見かねた母親によって手を加えられたものだった。その度に泣きそうな顔で「これから上手くなるもん」と言う彼女に、青八木が「期待してる」と期待せずに答えるのもいつものことだった。だからこそ、青八木はこの現状が不思議でならない。卵焼きも上手く焼けなくて、クッキーの焼き加減も知らない。そんな彼女が、自分の知らないお菓子を携えてやってきた。

    「確かに、手嶋にはいろいろ教えてもらったよ」

     たくさん失敗もした。けれど、その分たくさん練習もしたのだとが言うので、ナッツ入りの堅いビスケットを咀嚼して飲み込んだ青八木は、ただ一言そうかと呟いた。

    「そうかって、何よ」
    「いや……悪かったな」

     むくれるに青八木が取り繕うように謝罪を口にして、もうひとつとビスコッティに手を伸ばす。

    「堅いんじゃないの」
    「結構クセになる」
    「……ふうん?」

     が食べるのをじいっと見つめてくるので、青八木は持っていたビスコッティを不意に彼女の口に押し込んだ。

    「むぐっ!? ……かった!」
    「持ってくる前に味見くらいしろって言ってるだろ」

     自分で食べなかったのかと、いつもいつも被害を被ってきた青八木は彼女の歯の奥で聞こえるガリガリという音に苦笑した。
     それから、残りのビスコッティ全てをこのまま食べるのは骨というよりもまず歯が折れそうだなと、椅子から立ち上がる。

    「コーヒー買って来る」
    「ホットね、あと紅茶もほしい」

     未だ眉間にしわを寄せてビスコッティを噛み砕くは、教室を出ようとする青八木に当たり前のように注文する。それに対して特に嫌な顔をせずに頷いただけで了解する青八木は、口の中に残るナッツ類の舌触りとほんのりと口内に残る甘みにひとり口元に笑みを浮かべた。
     そういえば彼女が料理を作って失敗する度に、口にしていた言葉があった。

    「もっと頑張るから。美味しく作れるようになるから。そしたら食べてくれる?」

     手を切ったり火傷をしたり。見ていてこちらがハラハラするような危うい手つきで、それでも真剣だった彼女が、いつも自分のために台所に向かう姿が好きだった。
     自分の記憶を辿りながら自販機でコーヒーを買うと、声をかけられる。

    「おー、青八木。なんか嬉しそうだな?」

     に手解きをしたらしい張本人の手嶋が現われて、取り出し口からホットの缶コーヒーを手にした青八木は横目で彼を見た。嬉しそう、とは言っても無表情に違いはなく、三年間共に過ごした相棒だからこそわかるのだろう。

    「別に、大したことじゃない」
    「まあた、のパシリか?」
    「ああ」

     手嶋が茶化すように言っても青八木は小さく頷くだけで、その口元は綻んでいる。手に持つコーヒー缶を見つめる瞳は優しい。早く持って言って行かないと怒られるぞ、という手嶋の言葉に、青八木はハッと顔を上げて再度自販機を見た。もうひとつ、頼まれていたことを思い出したのだ。
     自販機の下に並ぶ三種類の紅茶。無糖、ミルクティー、レモンティー。普段あまり紅茶は買わないので、どれを買えばいいのか解らずに人差し指をさまよわせる。

    「純太、」
    「ん?」

     ビスコッティに合う紅茶はどれだと思う?
     そう尋ねようと口を開いたが、少しだけ考えて、青八木は思い直す。

    「いや、なんでもない」
    「なんだそりゃ」

     紅茶好きな手嶋のことだ。恐らく一緒にお茶しようと誘えば喜んで乗ってくるに違いないが、しかし今回ばかりは、相棒にも遠慮してもらいたいと思ってしまう。
     ビスコッティと言うらしいあれはお茶請けにいい菓子だとは思ったが、十中八九手嶋の好みなのだろう。

     彼女が自分のために頑張ってくれたその結果を、他の誰でもなく自分だけのものにしたい。付き合っているわけでもないのに、この独占欲は恐ろしいと思う。
     未だどれを買おうか悩んでいる青八木の後ろで、手嶋は早くしろと急かすこともなく、ただ穏やかな笑みを浮かべてそこに立っていた。そして助言する。

    「無糖がいいぜ」
    「!」
    「買うなら俺はミルクティーだけど。アレだったら無糖のがいいと思う」

     別に手嶋に何かを言った覚えはなかったが、彼はいつものように「何でもお見通しだぜ」とでも言うようにウインクしてみせた。

    「頑張れよ、青八木一」

     それは何に対する応援だろうか。
     内心その意味をしっかり理解していた青八木は、やはりただ小さく頷いただけだった。

     早く彼女の待つ教室に戻って、一緒に食べよう。
     もう一度ちゃんと、美味しいと、感想を伝えるために。

    End.





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