Story

    このさきに幸せがあるなら





     隣を歩く隼人は、いつになく早足だ。普段だったら歩くのが遅い私にあわせて歩幅を狭くしてくれるのに、私なんて見えていないように思える。
     理由は、何となくわかっている。インターハイが終わって、高校最後の夏が終わって、三年生は皆進学に向けて進みだす時期に入ってきている。あの荒北くんだって猛勉強をしているらしいし。もともと就職希望で、一年のときからお世話になっているアルバイト先に正社で入らないかと誘われてすでに進路が決まっている私とは反対に、進学希望の隼人は少し大変そうだ。だからといって私に何が出来るわけでもない。大丈夫? 頑張れ? 疲れている彼にそれは追い討ちだ。そもそも頭の出来が良くない私は一緒に勉強するなんてことも出来るわけがなく、ただ私も隼人のために何かしたいという思いから、申し訳程度にお弁当を作ってきているのだけれど。
     今日は天気が良いから、外で食べよう。隼人はそう言って上履きのまま、体育館通路から中庭へ出た。私も後を追ったけれど、隼人は振り返らない。考え事をしているようで、顎に手を当ててぶつぶつと呟いている。英語か、数学家、現文か、聞き取れはしなかったけれど、きっと勉強のことで頭がいっぱいなのだ。隼人ならそこまで思いつめなくてもきっと大丈夫なのに。だけどそんなことを言ってもしも落ちてしまったらそれこそ目も当てられないし、私としては少し寂しいけれど、きっと入試が終わればたくさん構ってくれる。だから待とう。そう思って、私は何も言わずに隼人のあとにくっついて早足で向かう。

    「あっ」

     急に、顔を上げた隼人がこちらを振り向いた。急に立ち止まるので、同じ距離を保ったまま私も驚いて立ち止まる。隼人は何度か瞬きをして、それから申し訳無さそうに苦笑を浮かべた。

    「悪いな、おめさんがいるのに、他の事ばかり考えてて」
    「う、ううん、平気よ。隼人、ありがとう」

     お弁当の包みを抱えて、首を振る。嬉しい。少しでも、思い出してくれただけで、今の私は十分だ。
     隼人の足が止まった隙に隼人のところへ駆け寄って、腕を掴んで小走りでベンチへ向かう。はやく、隣に座りたい。もっとこの距離を縮めたい。今の隼人に私が見えていなくても、私のことを考える余裕が無くても、私が隼人を想っていれば何も問題は無いのだ。頑張る隼人を誰よりも近くで見ていたいので、私はそこにいるだけで満足だった。

    「はやく、お弁当食べよう」

     ああ、と笑って、隼人がベンチに腰を下ろす。もう、秋だね。私が言うと、隼人は落ち葉の舞う空を見上げながらそうだなと相槌を打つ。

    「すっかり風も冷たいし、本当に、終わっちまったんだな」
    「……」

     感慨深げに隼人が呟くから、私は何も言えない。インターハイで、箱学は優勝できなくて。隼人はスプリント覇者の証であるグリーンゼッケンに届かずに、どれだけ悔しかっただろう。彼は涙こそ見せなかったけれど、仲間達によくやったと励ましの言葉を送っていたけれど、本当は彼だって泣きたいはずだった。いつも周りを気遣ってばかりの隼人に弱音を吐かせてあげられる、そんな存在に私はなりたいのに、いつだって隼人は私の心配をする。先日、就職おめでとうと言ってくれた隼人の顔は浮かなくて、勉強があまり捗らないのかなとか、インターハイでのことが尾を引いているのかなと思うととても自分のことを手放しで喜べる状況ではなかった。だから私は、伝えたいのだ。待ってるよって。誰よりも傍にいるよって。

    「さて、食べるか。今日は何が入ってるんだ?」
    「隼人はたくさん食べるから、おにぎりにして、お弁当箱にはおかずだけ詰めてきたよ」

     たまごやき、ミートボール、からあげ、ポテトサラダ、そのたもろもろ。お弁当の中身を一通り眺めて、隼人は口笛を吹く。いつもパワーバーばかり食べているから、本当はそれしか食べないんじゃないかって思ってた時期もあったけれど、隼人はなんでもよく食べる。好き嫌いはないみたいで、私がこうやってお弁当を作ってくると全部美味しいと言ってくれる。それが嬉しいから、また作ってくる。お昼休みのこの時間だけ、私に隼人の大切な時間をくれるから。

    「本当にいつもありがとな」

     優しく笑って、私の頭を撫でる手が好き。レース中には箱根の直線鬼だとか呼ばれているらしいけれど、そんなの知らない。私の目の前にいる隼人は、いつだって格好いい。

    「あと、ごめんな。構ってやれなくて」

     撫でながら隼人が言うので、私は小さな声でそんなことないよと言った。今のままで十分満足している。否、その先を隼人が約束してくれるから、今を我慢出来ているのだ。

    「大学、受かったら。そしたらずっと一緒にいられるもの」

     隼人の受ける大学と私の就職先は距離もあまり遠くはないから、中間距離のアパートを借りて一緒に住む約束をした。家もまだ探していないし全ては隼人の合否次第だったけれど、だからこそ隼人は頑張ってくれているのだ。それを思えばこそ、私は今に不満なんて持てるわけがなかった。

    「……だな。俺、頑張るよ」

     お弁当を平らげて、作ってきたおにぎりも全て包みだけになっていて、相変わらずねと私は笑う。隼人が「美味かった、ごちそうさん」って言って、私は明日も作ってくるねと約束をする。食べ終えて、来たときよりも軽くなったお弁当箱を持って、さて教室に戻ろうかとどちらともなく立ち上がる。昼休みが終わるまでまだ時間は半分近くあったけれど、その時間だって無駄には出来ないのだ。この十数分の出来事だけで、今はいい。
     もう風が冷たいから、明日からは教室で食べようか。隼人がそう言って、私は同意する。教室で食べれば時間は短縮されるし、勉強の時間も増えるね。私と過ごす時間は、今日よりもちょっぴり減るのかな。寂しいけど、大丈夫だよ。教室で単語帳とにらめっこする隼人の横顔も、私は好きだから。

    「寒いな」

     教室へ向かう帰り、そう言って隼人がつないだ私の手ごと自分の上着のポケットに突っ込んだ。片手だけじんわりと温かみを帯びて、幸せだなと思った。
     歩幅を合わせてゆっくりと隣を歩く隼人に、私は今日限りのこの時間を堪能しようと寄り添う。

     二人の足元で、落ち葉がくしゃりと乾いた音を鳴らした。

    End.





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