Story

    望まない未来を描く





     テスト期間中は部活もないし暇だ。そもそも一夜漬けなんてするタイプでもないし、学校も普段よりも早く終わるためとても暇だった。純太と一緒に帰ろうとしたが先生に呼ばれてまだ戻ってきていない。先に帰っていいと言われたが、暇だから教室で待つと伝えれば心なしか純太は嬉しそうに「そっか」と言った。更にそこで別れようとした矢先、半泣きの鳴子に勉強を教えてくれと頼まれて、結局この後は今泉の家で小野田を含めて一年の三人と勉強会をすることになった。
     純太がくるまで、読みかけの小説でも読もう。そう思って前回しおりを挟んだところを開いた。読み始めて少し経つと、

    「……いなくなっちゃったの」

     鼻をすすりながらしゃくり上げる女子の声が教室の片隅から聞こえてきた。元気のない彼女を心配して友人が声をかけると、その女生徒はぽつりぽつりと話し出す。飼っていた猫が、急にいなくなってしまったようだ。

     そもそも猫は、とても奔放な生き物だ。首輪をつけて抑え込んだって意味などないし、いつも気ままに生きている。家にいなくてもきっとそのうち帰ってくるだろう。心配するだけ無駄だ。そう思いつつ、見て見ぬフリをして小説の続きでも読もうかと視線を落としたが、それでも嗚咽が止むことはなかった。決して大きな声ではないが、彼女の泣き声が耳に障る。うるさい。読書の邪魔だと教室の隅を睨むように視線を向けたが、その時にふと気づいてしまった。赤く眼を腫らして、きっと夜も眠れなかったんだ。俺にとって猫とはその程度の認識しかないけれど、彼女にとってはそうではないのだ。犬猫はいわゆる愛玩動物であるが、しかし家族同然に思っている人も確かにいる。前にテレビで小動物の特集をやっていたときに、質問にそう答えていた老夫婦を思い出した。つまりは、俺がこうして暇つぶしと称して読書をしている間も彼女は、不幸のどん底にいるということだ。すると何だか少しだけ哀れに思えてきて、俺は席を立って教室の隅へと向かった。
     無表情、且つ無言で近づいた俺に気づいた友人が、驚いて身を引いた。すると俺の存在に気づいたらしい彼女は、涙に濡れたまま目を瞬いた。

    「あ、おやぎ……くん?」
    「……ポスター」

     え? と、わけのわからないと言った顔をするクラスメートに、俺は内心呆れか苛立ちかわからないような複雑な心境のまま告げた。

    「の猫がいなくなったなら……ポスターでも貼ればいい」

     探し猫とか、ドラマや漫画なんかでよく見かける写真付のポスター。連絡先や住所を載せておけば、見つけた人が教えてくれるだろう。

    「あ……そ、そっか。そうだよね……」

     俯いたは、何だか歯切れ悪く呟く。せっかく助言してやったのに嬉しそうじゃないので、俺は眉間にしわを寄せる。一体何だって言うんだ。

    「私、あの子の写真持ってなくて……絵も、描けないし」

     どうしよう。そうしてまたうなだれる。女子はとても面倒くさい。だが、口を出し以上は勝手にやれとも言いづらい雰囲気で、仕方なしに俺は前の席に腰を下ろしてノートを広げた。都合良く真っ白な紙など持っていなくて、罫線の引かれたそれで我慢して欲しい。

    「……特徴は」
    「え?」
    「猫の特徴。色とか、柄とか、耳や尻尾の形とか」

     俺が描いてやる。そういうニュアンスで呟けば、はようやく明るい顔になった。

    「あっ、ありがとう……!」
    「いいから、早く教えろ」

     まだ見つかってもいないのに、随分と気が早い。やれやれと呆れつつ、筆記用具を広げての言葉の通りに見たこともない猫の絵を描いた。彼女の友人は、良かったねと言いながら先に帰宅した。俺は自分と純太の関係を重ねて、少し薄情だなと思ったが、は特に気にした様子はなかった。女子の友情はそんなものなのだろうか。

    「青八木くん、とても上手ね」

     描いているのをじっと見られるのは少し照れくさい。だが、彼女の瞳は真っ直ぐで、心から感心しているようだったから悪い気はしなかった。

    「自転車しか興味ないのかと思ってた」
    「……そんなことない。純太だって、歌上手いし」

     ロードは勿論最優先だが、俺達にそれしかないみたいなその考えは心外だ。俺は昔から絵を描くのが得意だったし、純太のカラオケもすごい。そういう意味を込めて不満気に言葉を発すれば、は取り繕うように謝罪を口にする。

    「ご、ごめんね。そういう意味で言ったんじゃないの……青八木君がまだ残っていてくれて本当に良かったぁ」
    「別に、純太待ってただけだから」
    「本当に手嶋君と仲が良いんだね」

     いいなと呟くに、俺は先ほどのと友人とのやり取りを思い出す。あれが彼女たちの普通なのだと思っていたが、本人はそれに不満を抱えているのだろうか。

    「……そっちは、仲良くないのか」
    「そうじゃないけど……手島君と青八木君からしたら、淡白かも知れないね」

     あの子も、そうなのかな。
     机を挟んで向かい合っているのに、俺を見つめながらも焦点の定まらない瞳でどこか遠くを見つめるは、なんだか寂しそうだ。あの子というのが、彼女が探していて俺が描いている猫のことであるというのはすぐに理解したが、それがどうして今の話に出てくるのかがわからなかった。

    「私が、ちゃんと言わなかったから……私から、離れて行っちゃったのかな」
    「……」

     が眉を寄せる。あ、また泣くかな。放課後の教室に二人きりの状況で、泣かれたら俺が泣かせたみたいでいやだな。見回りの先生が来たら何て言い訳しようか。そもそも、なんで俺はこんなことをしているんだろう。純太はまだ来ないのか。
     の顔を見ているのが辛くなってノートに視線を落とせば、彼女が息を呑むのが空気でわかった。紡がれた言葉は震えてはいなくて、泣いてはいないみたいだ。

    「そばにいてって、私が言わないから。みんな、私とはあまり深い関係を望まないの」
    「……」
    「そして、私も」

     友人と、飼い猫を重ねているのだろうか。そもそも人と動物は違うし、重ねる必要などどこにもない。だが、すっかり心が折れている様子のには何を言っても無駄だろう。俺が引くくらいのネガティブ思考だ。

    「望まないなら、望まれてないなら、無理に関係を続ける必要はないだろ」
    「そう、だね」

     今は違っても、これからの人生で出会いなんていくらでもあるのだ。俺がこの高校で手嶋純太と出会ったように、自転車部で田所さんや他の先輩、優秀な後輩たちに恵まれたように。高校を卒業しても、大学を出ても、俺達の人生がそこで終わるわけではない。その永い永い時の中で、一人でもそういう相手に巡り合えるなら、きっとそれまでの自分の歩いた道は間違ってなどいないと思えるだろう。今はまだ、どうなるかなんてわからないけど。今は、辛いかもしれないけど。

    「いつか、が一緒にいたいと思える相手ができるよ」

     それが男であれ女であれ、その存在こそが支えとなるはずだ。俺にしては長い言葉に、はやはり泣きそうに眉間にしわを寄せたままだった。

    「青八木君、慰めてくれてるの」

     まあ、一応はそうなるのかもしれない。本当はただ泣いているがうるさかっただけで、他意はなかった。こうしての代わりにポスター用の絵を描くなんてことも考えてはいなかった。それでも乗りかかった船なので、純太が来る前にさっさと終わらせてしまおうとこうして付き合ってやっているわけだが、何故俺はのメンタルケアまでしてやってるんだろう。普段はあまり純太以外のクラスメート達とは関わらないのだが、今回ばかりは自分の行動が不可解だった。

    「……青八木君みたいな人だったら、いいな」

     不意にが呟く。何が? 口には出さずに視線を少しだけ上げると、は今度は真っ直ぐに俺を見ていた。涙で赤く腫れた目が、痛々しい。ただのクラスメートでしかない俺は、それをどうしてやることもできないけれど。ただ、はもう泣いてなどいなくて、少しだけ吹っ切れたように笑みを浮かべていた。

    「もしも、たった一人と出会うなら、青八木君がいい」

     おかしなことを言うやつだ。こんなに喋らなくて、他人に興味もなくて、今だってお前のことを面倒なやつだくらいにしか思っていない俺を一生の相手に選ぶなんて。だけど、ほんの少し、それも悪くないかもしれないな、と思った。

    「……出来た」
    「本当に上手ね、青八木君」

     完成した絵のページを破いて、に押し付ける。は先ほどと全く変わらない絵の感想だけを口にして、それ以上会話を続けることはなかった。俺はといえば、さっさと筆記用具を鞄にしまいこんで、時計を見る。そろそろ完全下校の時間だし、純太も戻ってくるだろう。迎えに行こう。俺は鞄を抱えて、逃げるように教室を後にした。もう泣かれるのはご免だ。
     俺はきっと、最初からこの女が苦手だったんだと思う。人の輪に入りたいくせに、拒まれて悲しげに同調ばかりしている滑稽な姿がどうしたって目に入るから、苛立たしかったんだ。それが何故なのか、俺は心の底では理解していながら絶対に認めたくはなかった。

     絵を抱きしめたが小さく呟いた「ありがとう」の言葉だけが、耳について暫く離れなかった。

    End.





      Story