Story

    君に会いに来ただけだよ




    ※ 弱虫ペダル夢企画「Lovely chance Marry me? 」様に提出させて頂いた作品です。


     そう言えば、もう三年になるのか。
     高校卒業してから短大を出て、特別何かの資格を取るわけでも無く無駄に二年を過ごした。結局決まった職業になんて就けなくて、いくつものアルバイトを掛け持ちして生計を立てているフリーターと言う存在に落ち着いてしまった。成人して毎日の生活だけで手一杯の昨今、心躍るような青春時代のようなイベントは何もなくて、ただただ惰性的に変わらない毎日を過ごしている。無心に働いている間は考えないようにしている――というよりも考える暇などないのだが、帰宅してから鞄と上着を一人掛けのソファに放り投げ、寝室へ向う。それからベッドに倒れこんで呟く。退屈だ。それが最近の口癖だった。
     ベッドに突っ伏しながら、上着のポケットから唯一寝室に持ってきた携帯電話を眺める。そういえば、長いこと声を聞いていない気がする。高校時代、よく話しかけてくれた可愛い後輩の男の子、だった。自転車部だった彼は部活の先輩に会いに来るよりも私のクラスに来て、他愛もない話をして帰って行った。「先輩おはようございます」とか「髪切ったんですか? 夏らしくていいですね!」なんて、可愛らしい笑顔のおまけつきで。それを見ていた東堂に何やら睨まれるのも毎度のことだったのだけれど、それが当たり前すぎて、彼の好意について考えないフリをした。だって、彼は何も言わなかったから。けれど、そんな彼に告白されたのは私達が卒業を迎えた、あの日だった。

    「好きです、先輩」

     いつになく真剣だったあの目を、私は真っ直ぐに見ることが出来なかった。一体私は何と返したのだったか。多分、後輩以上には見れないとか、そんなところだろう。そして彼は、少しだけ困ったように眉尻を下げて「そっかー」と頷いたかと思えば、今度は明るい声でこう言った。

    「じゃあ、俺先輩に男として見てもらえるよう頑張るんで、他に好きな人作らないでくださいね!」

     確かにこれまで特定の相手がいたわけでもなかったけれど、そんな風に言われても困る。そんな約束は出来ないよ、と突っぱねて、私は彼のいない学校へと進学した。最後まで「なんで二年制なんですか! 嫌がらせですか!」と言われ続けた。今に思えば、私に向けられるあの笑顔が眩しすぎて、私は彼から逃げたのかも知れない。追いつかれないように、年齢を壁にして。
     卒業してから最初の頃は、何度か電話がきたりメールのやり取りをしたが、数年経てば嘘みたいにぱったり連絡が来なくなった。彼だってもう高校を卒業して、就職したか進学したかは聞いていないけれど、とにかくもう大人なのだ。私など過去の人でしかなくて、自分の言った言葉も忘れて恋人の一人や二人いるのだろう。いや、二人は問題があるけれど。

    「……あーあ」

     大学在学中に、告白されて何度か他の人と付き合ったことはある。恋人なんて何だか息苦しくて嫌になって結局は別れてしまったのだけれど、そもそも私には恋なんて似合わないのだと思った。友達と一緒にいたり、部活とか勉強とか、アルバイトに打ち込んでいるほうが充実していて楽しかった。それでも、なんだろうこの喪失感は。きっと高校最後の一年が濃すぎて、だからいつも彼の顔がちらつくのだ。どうにも、忘れられない。

    「おかしいなあ。こんなはずじゃ、なかったのに」

     今更こちらからメールなんて送れるはずもなかった。誰? なんて言われたら立ち直れるはずがない。私は過去に翻弄されて、彼の影を追って苦しんで、そして独り身のまま生きていくんだろうなあ。なんて考えながら眼を閉じる。そしてまた、仕事に行くのだ。
     そんな惰性的な日々が続いた、ある日のことだった。



     ピンポン。
     インターホンが鳴る。誰だろう、なんて重たい身体を起こしながら、考える。きっと宅配だ。実家から、必要物資を送るという電話がこの間あったから、きっとそれだろう。だから、油断していたのだ。何も考えずにドアを開けた先に、彼がいるなんて思いもしなかった。

    「先輩!」
    「え? ……ま、なみ?」

     はい、俺ですよ。
     目の前に立っている青年は、面影こそあの頃の可愛い後輩の真波だったけれど、随分と大人っぽくなった。少し背が伸びて、あの頃よりも筋肉がついたのか、服の上からでもわかるくらいがっしりした身体つきをしている。

    「な、なんでここ、わか……ええ?」
    「はは、先輩、動揺しすぎ!」

     そりゃ、動揺もするでしょう。
     何で今更、教えていないはずのアパートにいるのか。下手をしたらストーカーと思われかねない現実。

    「東堂さんに聞いたんだ。あの人とはよく連絡とってるんでしょ?」
    「東堂君……確かに、引っ越したことは伝えたけど。でも、最近はそんなに……」

     とにかく、玄関先で立ち話も何だから部屋に上がってもらった。真波にソファへ座るよう促して、私はお茶でも淹れようかと台所に立つ。

    「じゃあ、真波君は大学に?」
    「ん、そう。でもさ、つまんないんだよね――朝行っても昼行っても、先輩居ないんだもん」
    「……相変わらず重役出勤してるわけ?」
    「そうでもないよ。高校のときよりは真面目に出席してる」
    「それでも不真面目にかわりはないじゃない」

     そうかもね、と真波君は穏やかな笑みを向ける。大人になったと思ったけれど、その笑顔は昔とちっとも変わっていなかった。

    「大学でもロードレースは続けてるの?」
    「うん、先月のレースで優勝したよ」

     安いインスタントコーヒーを二人分淹れて、ひとつを真波に手渡して彼の向かいに座る。最初はそんな他愛も無い世間話に花を咲かせていたが、そういえば真波はどうして突然ここへ来たのだろうという思いがふと過ぎる。しかし会話が途切れた頃、先にそれを口にしたのは真波の方だった。

    「先輩さ、今恋人いないの?」
    「え? ……うん、いないけど」

     そっか、と呟いた真波は、口元に笑みを浮かべていたけれど嬉しそうなそれとは違って、苦笑、だった。

    「俺、好きな人つくらないでって言ったのになー」
    「私は、了承した覚えはないけれど」
    「それはそうなんだけどさ」

     別に好きでも何でもなかったから、すぐに別れたのだ。けれどわざわざ真波に言うことでもなかったので、そのまま流しておいた。

    「さんの大学にも行ったんだよ、俺。高三のとき」
    「え? 私、知らないよ」
    「だって会わずに帰ったから」

     あの時の先輩の隣には、俺じゃない別の人が隣に居て、楽しそうに笑ってて。すごいショックだったんだ。

     そんなこと言われたって、仕方ないじゃないか。真波にああ言った手前、彼を忘れる努力くらいはすべきだろうと思った。その結果ずるずると引きずって、この様だったりする。私はロードに打ち込む彼が本当に好きで、可愛くてたまらなくて、だけどそういう関係になってしまったら、私は絶対に彼を応援してあげられない。寂しくて、もっと一緒にいたくて、困らせてしまうだろう。それが目に見えているから、そんな重い女にはなりたくなくて、あの時の彼の気持ちには応えることが出来なかった。年上に興味のある年頃で、きっと、いつかその熱は冷めると思っていたのだ。そしてそうなれば、私のことなど忘れると。そうあって欲しいと思う反面、考えれば考えるほど苦しかった。

    「先輩って考えすぎだよね」
    「何、いきなり……」
    「俺、そんなに単純でも能天気でもないよ。それなりに悩むし、過去のことだって引きずるんだ」

     真波はコーヒーを一口飲んで、カップを静かに置いてから私の目をまっすぐに見た。あの頃と変わらない、綺麗なままの目。だけどあの頃と少し違うのは、一歩も引かない、ロードの時と同じ目だった。

    「今恋人がいないのはどうして?」
    「それは、仕事が忙しくて……」
    「本当に?」
    「……」
    「さんが、そろそろ俺がいなくて寂しい思いをしてるんじゃないかと思ったんだけど」

     全て見透かされているようだった。真波は怖い子。今も昔も、それは変わらない。いつだって私のことを私以上に解っているみたいだった。

    「真波、貴方は」
    「……なんてさ。ただ、俺が我慢出来なくなっちゃっただけなんだよね」
    「え?」
    「俺がまだ、先輩が忘れられなくて。ううん、違くて。俺、先輩を忘れたくないんだ」

     だから、会いに来た。ただただ私に会うために、わざわざ近くも無いこの家を、東堂君に聞いて。
     それが嬉しくて、嬉しくて、かなしくて。私は両手で顔を覆って涙を隠した。

    「真波君、わたし、君の夢を応援できないの」

     きっと足枷になる。邪魔になる。そうなった時、彼に捨てられたら私はきっと壊れてしまうに違いないのだ。真波以上に私が好きになる人はいない。

    「いいよ、俺、別にロードは大学までで」
    「!?」
    「プロじゃなくてもいいんだ。そりゃ、仕事もプライベートも自転車なんて最高だけどさ。でも俺はいつだって山と先輩があれば幸せだ」

     諦めさせてしまうのかと思うと罪悪感でいっぱいになる。それでも真波に気にした様子は全くなかった。

    「それに、プロになんてなったら先輩に会える時間が少なくなっちゃうし」
    「……真波く」
    「今まで会えなかった分、俺の方がきっと先輩から離れられなくなるよ」

     そう言って真波は、私の涙を指で掬って、顔を上げた私の泣き顔を見て、今度は優しく微笑んだ。そして幼子に語りかけるように、その言葉を口にする。

    「俺大学卒業したら迎えに来るからさ。俺と結婚してよ、さん」
    「わたしで、いいの……?」
    「俺、もう先輩じゃなきゃダメなんだって」

     それから真波は「先輩も俺じゃなきゃダメでしょ?」なんて当たり前のように言う。それはそうなんだけど、なんだかちょっと悔しい。ずっとずっと、これからもきっと私には真波だけ。
     こくりこくり、何度も頷いて好きと嗚咽交じりに伝える私の頭を撫でながら、見れば真波も目尻に涙を浮かべていた。

    「やっと、届いた」

    End.





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