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    三回キスして





     目が覚めたら、まだ瞼が上がらない君の頬にキスをする。どうしてそんなに綺麗なのって前に訊いたら、何故かおかしそうに笑ってさんの方がずっと綺麗だよなんて気障な台詞を吐かれた。でも、寝ている彼の横顔を見ていると思う。ああ、やっぱり真波君は綺麗だ。

    「……あんまり、見ないでくれます?」
    「……起きていたの」

     はい。低く囁きながら、真波君がむくりと起き上がる。私は一体どれだけ彼の顔を凝視していただろう。だけど真波君が照れるなんて珍しいなあって思いながらもやっぱり彼の姿から目を逸らせない私へ向って、真波君は困ったように微笑んで、

    「キスしたくなっちゃいますから」

     なんて、意地悪を言う。

    「別に――」

     別にいいよ、むしろそれは私にとって御褒美だから。そんな軽口を言う前に唇をふさがれる。真波君って手が早い。東堂君よりもずっと、だ。軽い言動が多い東堂君の方が意外とピュアだったりするし。

    「……三年生かあ」
    「とつぜん何ですか?」
    「真波君が上級生って、なんかおかしいね」
    「それ本人に言うことじゃないですよね? それに俺はもう既に"先輩"なんだけど」
    「そうだけど、」

     でもやっぱり、私は"いちねんせい"の真波君しか知らない。東堂君や荒北や、新開君に、福富君。それから私がいなくなって、君が歩んできたのはどんな道だった? 私には想像もできない、いろんなことがあったんだろうなって思う。だって私にはロードレースのことなんてわからないのだから。

    「やっぱり私にとっての真波君は、可愛い後輩だもの」
    「可愛い後輩って……心外だな」

     目を瞑って過去の真波君を思い出して浸っていたら、再び迫り来る真波君の顔。慌てて左手で彼の口を塞ぐと、真波君はとっても不満げな顔をして離れた。

    「……俺は、"格好良い彼氏"のつもりなんだけど」
    「そうね、そう思うわ」
    「俺は時々さんがわからなくなるよ」

     唇を尖らせた真波君はそう言ってそっぽを向いてしまった。でも、それはこちらの台詞だ。私には、真波君がわからないのだ。

    「キミは何で私を選んだの?」
    「それって、どーゆーことですか」
    「私は自転車に興味なんてないし、応援したことも差し入れしたこともないし、会話したのだって東堂君を挟んで数えられるくらいしかしたことなかったのに」

     ある意味で有名人だった真波君のことを私は一方的に知っていたと思っていたのだけれど、真波君も私のことを認識していたらしい。それでも、接点を探す方が難しいと思うのだ。なのに私達がこういう関係になってしまったのは、一体何故だっただろう。それは真波君が、私を好きだといってくれたから。
     私達の卒業式の日。真波君は私のもとへやってきて、こう言った。

    『先輩、第二ボタンください』

     逆じゃないの? なんて呆れてしまったが、至って真波君は真剣だった。東堂君のボタンが全て奪い去られていたのは知っていたが、まさか自分にそんなことを言ってくる子がいるとは夢にも思わない。しかも、男の子から言われるなんて。だけど真波君の瞳が真剣だったから、また、私の第二ボタンには予約も入っていなかったから、私はブレザーのボタンを引きちぎって渡した。そのときの真波君の顔は、多分一生忘れないだろう。

    『ありがとう! あと先輩、好きです。付き合ってください!』

     そこからの流れも、更に意味不明で。大声で真波君が叫ぶから、卒業式を終えて帰ろうとしている卒業生や在校生がちらちらとこちらを見ているのがわかってとても恥ずかしかった。一番腹が立ったのは、東堂君と新開君がにやにやと野次馬的視線を向けてきたことだった。どうやら彼らは、真波君の私に対する気持ちを知っていたらしかった。私には何が何だかさっぱりで、気が動転したまま

    『え? あ、うん……?』

     などと返事をしてしまったのだ。

    『やったー!』

     ハメられた、と思った。まあ別に当時付き合っている人も好きな人もいなかったし、真波君の喜ぶ顔が可愛かったからいいかなって、そう思ってずるずる一年が経つ。
     うーん、そうだなあと考えながら、真波君がぽつりと呟いた。

    「ロードに興味なくっても、いいよ」
    「真波君?」
    「差し入れも応援も、何のサポートもいらない。だって俺は負けないから」

     自信たっぷりに言う真波君に、思わず目を見開く。一年の頃、初心者の子に負けて悔しがっていたのを、実は私は知っているのだ。それでも、真波君は話を続けた。

    「でも俺は、さんが欲しいよ」
    「……どうして?」
    「いーじゃん、理由なんかどうでも」
    「良くないよ、気になるもの。教えて。じゃないと私帰る」
    「えっ」

     ベッドに転がっていた真波君が勢い良く身体を起こす。理由が何であれ、真波君が私に心酔しているというのなら、私はそれを最大限利用させてもらう。
     私がじっと見つめると、真波君は諦めたようにベッドに突っ伏して、枕に顔をうずめながら口を開いた。

    「……別に、ただの一目惚れですよ」
    「え?」
    「東堂さんと話してるの、見ただけ。俺別にそれまで女の子に興味なかったし、関係ないと思ってたけど……そういうの、本当にあるんだなって実感した」
    「まさか」

     私に一目惚れ? ありえない。そう思って笑って見せれば、真波君はあからさまにムッとした。

    「さんは自分を卑下しすぎ。……笑ったら可愛いんだ、すごく」
    「……真波君もね」

     お互いに理由もわからないまま、関係を続けてきて。ようやく心が通じたような気がした。
     くすくすと笑いながら、真波君がそっと私の手を握る。高潮する頬を隠せないまま、私は艶やかに微笑む真波君を見た。

    「ねえ、キスしていい?」
    「……さっきした」
    「もういっかい。だって、足りないよ」

     明日からまた会えない日がやってくる。ならその分まで、君を堪能しようか。

    「好きだよ、さん」

     口づけを繰り返しながら、君は微笑と愛の言葉をくれる。

    End.





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