馬鹿なの? 蔑んだ目で、そう言われた。
「こ、この俺に向かって、馬鹿とは何だ!? この東堂尽八に向かって!!」
「……馬鹿なの?」
再度同じセリフを口にした女生徒は、そのまま背を向けて、女子グループの輪の中に入っていってしまった。俺は、彼女が苦手だ。
俺は顔がいいと自分で思う。ファッション雑誌を見ながら、載っている読者モデルよりも格好いいと思うし、自転車に乗っているからスタイルだっていいはずだ。幼少期から女の子にはモテていたのだ。だから高校に入ってもそうだと信じて疑わなかったのだが、現実はそうではなかった。天は俺に試練を与えた。
「ちゃあん、宿題忘れちゃってぇ」
「……仕方ないなぁ。今日だけだよ? 次はちゃんとやってくるようにね」
「はーい」
「ー、調理実習でクッキー焼いたんだけど」
「え、くれるの? 今日お菓子持ってきてないから小腹空いてたんだよ。ありがとう」
「私のもあげるー!」
「すごい、美味しそう。部活の子と一緒に食べるね」
とにかく、は女子なのに女子に人気が高いのだ。気取らない性格だとか、面倒見が良いとかそこら中から彼女を慕う女子の声が聞こえてくる。くそう、俺の方がイケメンなのに。そもそも「が男だったらいいのに」とか、「私と付き合ってほしい」とか、冗談なのか本気なのかわからない言葉に鳥肌が立つ。男だったらなどとIf話をしたところで現状が変わるわけではない。性転換手術でもしない限り、が男になることは有り得ないのだから。
「お前が違う学校であったなら、お前のファンの女の子は俺のファンになっていたはずなのにな……」
ぽつりと呟いた言葉を拾ってが俺に浴びせたのが、冒頭の言葉であった。
「……馬鹿なの?」そのたった一言が、俺の脳内でぐるりぐるりと反響する。違う、俺は馬鹿じゃない。俺の言葉は全て本心で、嘘偽りなどないのだ。
振り向いたからの一瞥が胸に深く突き刺さる。女子からの視線は大歓迎だが、それは違うぞ。俺が欲しいのは、そんな冷たい眼差しではない。
「俺は、馬鹿なのか……?」
部活前、更衣の最中に疑問を口にした俺を不思議そうに見ながら荒北が呟く。
「何だァ? 今更」
「い、今更……!?」
そんなことはないとか、気にする必用などないとか、そんな優しい言葉はひとつもない。今更。荒北の言葉に新開も泉田も、真波ですらが目を丸くして俺を見ている。な、なんだ。皆、俺を馬鹿だと思っていたのか?
「……いや、いい。俺は、女子には人気があると自負しているのだ。イケメンだからな」
「相変わらずだなぁ尽八」
「東堂さんが人気なのは知ってますよ。それで、どうしたんですか?」
着替えを終えた真波と新開が、俺の側に寄って悩みを聴く体勢を整える。荒北は一見興味がなさそうだが一応耳は傾けているようで、時々ちらりとこちらを伺っていた。
「同じクラスに、俺よりモテる女子がいる」
「……あー、もしかして、さんかい?」
「ああ」
新開は顔が広いから、のことも知っているのだろう。の顔を思い浮かべているのか、天井を仰ぎながらそう呟いて、泉田が新開に「どういった方なんですか?」と尋ねた。泉田、そこは俺に聞け。
「尽八の言ったとおりだよ。外見が男っぽいわけじゃないんだけど、女の子に優しいから人気なんだ」
新開の言葉に俺は頷きながら、補足する。
「更に女バスで、後輩からの信頼も厚い。正に俺と被っているのだ!」
「……?」
「おい真波、なぜそこで首を傾げる」
えーだって、と真波がへらへら笑う。どいつもこいつも、俺の話を真剣に聞いちゃいない。
「俺はこんなにも真面目に悩んでいるのにな……」
「東堂さんから自称美形をとったら何も残りませんもんね!」
「ッ!?」
悪気のない真波の一言が、俺の硝子のハートに深く深く突き刺さる。
「俺は! 箱学自転車部の!! エースクライマーだ!!!」
更衣室に、俺の悲痛な叫びが響き渡った。
初めから、あいつらに相談しようと思ったのが間違いだったのだ。あの自分勝手な連中は人の悩みを聞いて、アドバイスをするなどということは到底無理なのだから。
「……はあ」
翌日登校した俺は自分の席に鞄を置いて深く嘆息した。結局あの後一晩悩んだが、答えはわからず仕舞いだった。
俺は自分で思っているだけで実は全然イケメンではないのか? 女子に人気があるというのは気のせいだったのか?
だとしたら俺は、今年のインターハイが終わって部を引退したなら、真波の言うように本当に何も残らないのではないだろうか。
「どうしたの、東堂。元気ないね」
深刻そうな俺を見てそう声をかけてきたのは、あろうことか俺をこんなにも悩ませている張本人の、であった。彼女は俺の隣の席(まだ登校してきていない)の椅子を引いて座ると、机に頬杖をついてもう一度「どうしたの」と尋ねた。
穏やかな笑みを浮かべて、聞く体勢に入ったに、勿論ハッキリと「お前のせいだ」などと言えるはずもなく。
「まあ……ちょっとな」
と、何とも情けない声が出た。ファンの子には聞かせられないな……と思ったが、今となってはそのファンの女の子達すらも俺が創り上げた妄想でしかないのかもしれない。なんて、今の俺はとてもネガティブ思考だ。
「ふうん?」
「……っ」
俺はやり過ごそうとしているのに、は頬杖をついてこちらに顔を向けたまま、微笑んでいる。それで、と視線で続きを促されている気さえして、俺はこの思いを口にしていいのかも悩む。お前だって馬鹿にするんだろう。自転車部のやつらが俺の話を真剣に聞こうとしないように、聞いているフリをして、興味などないくせに。
そう思うのに、何故だろうか。
「……自信が、なくなってしまったのだ」
気付いたときには、俺は口を開いていた。
「自信? 自転車の?」
「いや、エースクライマーの称号は誰にも譲らんよ。ただ、俺は"美形"エースクライマーの東堂を名乗っているのだ」
一瞬にして、の動きが止まった。いや、わかっている。何を言っているんだろうこいつはとでも思っているんだろう。いいさ、俺はをファンの女の子たちと同じようには思っていないし、こいつに何と思われようがどうってことない。いっそのこと、全て吐き出してやろうと思った。
「お前に馬鹿と言われてから考えたのだが、クラスの女子からのお前の人気を見ていたら、イケメンであるという自信がなくなってしまった」
誰からも「そんなこと」と言われるような悩みであろう。しかし、それが俺の全てなのだから仕方ないだろう。俺の言葉は全て、本気なのだ。
「……お前も笑うのだろう。ああ、一思いに笑うがいいさ」
ぽかんと口を開けて呆けている。俺は不貞腐れて、そっぽを向いた。次の瞬間には笑い声が聞こえてくるだろうと思い、小馬鹿にされた顔を見たくなくてそうしたが、一向にの声は聞こえてこない。やや暫くして恐る恐るの方へと顔を戻すと、彼女はやはり目を丸くしてこちらを見ているだけだった。
俺と目が合いは、静かに口を開いた。
「私の言った言葉で、そんなに悩んでいたの?」
「……そう、言っただろう。俺は馬鹿だからな」
「ごめんね」
は申し訳なさそうな顔をして謝罪を口にした。それに今度は俺が面食らって固まってしまう番だった。まさか、に謝られるとは思っていなかったのだ。
「私は大して深く考えてなかったんだけど……だって東堂、私が別の学校に行けばいいのにみたいに言うからさ」
「そっ……いや、すまない」
そんなことはないと言いかけたが、確かに思い返せば昨日の言動はそういう意味合いに取れるだろう。失礼なのは俺だった。
「東堂は十分格好いいから大丈夫だよ」
「……へ?」
「ファンクラブがあるくらいだしね。このクラスにも結構東堂が好きな子多いんだよ?」
実は密かに相談を受けたりもしているしね、と小さくが呟く。勿論プライバシーの侵害になるので個人名は出さないが、それでも「大丈夫」を繰り返すに、俺はじんわりと心が温かくなるのを感じた。
誰にも相手にされなかった俺の言葉を、は真剣に聞いてくれた。俺が勝手にライバル視していただけで、実は彼女はとてもいいやつだったのだと、今更気付いたのである。
「……いや、。ありがとう」
「え!? あ、ううん……」
俺は今日からお前を友と認めよう。総北の巻ちゃんのように、そんな関係になれたらいい。
そう思い手を差し出したが、はとても驚いた顔をした後、戸惑いながらも俺の手を握り返し、
「どう、いたしまして!」
ファンの女の子の、誰よりも美しい顔で笑ったのだった。
「……っ?」
その瞬間俺の胸に沸いた感情が何なのか、この時の俺はまだ気付いてはいなかった。