Story

    あいするということ




    ※ フリージャンル夢企画「利き夢」様に提出させて頂いた作品です。


     帰れないから、帰ろうと思うこともない。帰る場所がないならいっそもうこの場所で生きていくしかないって、半ば自棄になりながらも客室の高床に身を投げる。ぼすん、と柔らかな布団が沈んで疲弊した身体を包み込み、次第に微睡んでいく。ぼんやりとした視界でシミのない天井を見つめていると、不意に扉を控えめに叩かれる。

    「さん、すみません。少しよろしいですか?」
    「あ、はい」

     声の主に、慌てて飛び起きて返事をする。完全に就寝の格好だったので、上着を羽織って乱れた髪を軽く結わえ、部屋の扉を開ける。

    「ジャーファルさん、何かありましたか?」
    「ああ、お休み中でしたか……タイミング悪くて申し訳ない」
    「いえ」

     いつもと同じ格好。忙しそうなシンドリア国政務官のジャーファルさんがそこには立っていた。何か用でしょうか。思ったことを口に出して尋ねると、いえ、と少し歯切れ悪く答える。

    「特に、大した用ではないのです。お疲れのようでしたら、日を改めます」
    「そんな、気になさらないで下さい。貴方こそお忙しいのでしょう」

     王の片腕として、休みなく働き続ける勤勉な方。かたや私は、行く当てもなく彷徨っていたところを拾われて保護された、可哀想な村娘。そう、私は可哀想なの。可哀想でなくてはいけないの。
     王様は私に言った。行く当てがないのなら、この国の国民になれば良いと。身の振り方が決まるまでは、王宮に滞在していても構わないと。他国から集った八人将達は、皆それぞれが食客として国のために尽くしているそう。それには今目の前にいる、ジャーファルさんも含まれている。私とは、違う。

    「私の事は気にしないで良いのです。こうして衣食住を提供していただいている、こんな幸せなことがあるでしょうか」
    「それこそ気にしなくても大丈夫ですよ。我らが王の意向ですから、安心してお過ごし下さい」

     ジャーファルさんはそう言って優しく微笑んだけれど、私は知っている。王が難民を受け入れるせいで、国の運営が思わしくないこと。その度に政務官である彼が雑務に追われ、頭を抱えているのも、知っている。私は、知っているのだ。

    「それで、御用というのは……」
    「ああ、いえ。どうしているかと思いまして。シンドバッド様も、最近の貴女の様子を心配していたので」

     私はずるい。

    「……ありがとうございます。ジャーファルさん」

     国の現状を把握していながら、自分のすべきことを理解していながら、それでも彼らの優しさに縋っている。私が可哀想であればあるほど、彼が優しくしてくれるから。なんて狡猾で、愚かな女だろう。

    「外へ、出ませんか? 今日は星が綺麗ですよ」
    「え? ですが、お忙しいのでは……」
    「少し休憩しようと思っていました。付き合っていただけると、嬉しいのですが」

     ひとりで星見なんて寂しいでしょうと笑う。その言葉の真意は私を思ってのことだとすぐにわかって、再び心が痛んだ。それと同時に、こんなにも思ってもらえるなんてという幸せに浸る。私ってやつは、本当に浅ましい女だ。

    「そういうことなら、喜んで」

     気づかないフリをして、ジャーファルさんの誘いに乗る。促されるままに後についてテラスへ出ると、彼の言葉通り満天の星が視界いっぱいに広がった。

    「……」

     自然と吐息が零れて、隣のジャーファルさんが「ね、綺麗でしょう」と言った。私にとってはその立居振舞いのほうが、ずっと美しいと感じる。

    「ええ」

     小さく返事をして、遠くの星を見た。小さいけれど懸命に輝き続ける星たちは、今の私を嗤っているみたいだった。

    「帰りたいですか?」
    「え?」
    「貴女の、生まれ育った故郷に」

     突然何を言い出すかと思えば、星を真剣に見つめる私が、故郷に帰りたいと思っているように見えたらしい。

    「帰りたくない……わけでは、ないのですが」

     帰りたいという気持ちは勿論ある。いくら私でもそこまで薄情ではない。けれど、ただそれ以上にこの場所が愛しくて、依存してしまっているのも事実だ。王に許されて、この国に受け入れられて、ジャーファルさんに声をかけてもらえる。この幸せを手放すのが口惜しいのだ。

    「だけど私には帰る資格も、ここにいる資格もないから。ジャーファルさんや王様に目をかけてもらえる資格もないって本当はわかってるんです」

     どこへも行けない私は、この沢山の星たちに埋もれてしまえばいい。この輝きに霞んで、誰の目にも留まらないくらいに小さく、小さく。

    「……貴女はおかしなことを言う」
    「!」

     不意に、ジャーファルさんが手を伸ばして私の髪をひと束掬った。彼は、こんな動作をするひとだっただろうか。まるで、酒に酔った王様のようだ。

    「私やシンドバッド王が、何の見返りもなしに未だに貴女を保護していると本当に思っているのですか?」
    「え、え?」

     珍しく意地悪く含み笑いをするジャーファルさんに、戸惑う。私を保護している意味なんて、そんなの、貴方達が優しいから。それ以外の理由なんて見つからない。

    「貴女は自分を卑下しすぎだ。誰かが貴女をそうやって貶したのですか? 居場所を求める資格が無いと、蔑んだのですか?」
    「……いいえ」

     わかっているわ。私が一番、私自身を大事にしていない。自分の愛し方がわからない。それでも愛してほしいから、優しい誰かを求め続ける。悪循環。
     ジャーファルさんが暗にそんなことないよと私の悪い思考を否定して、安心させるように柔らかな微笑と共に優しく手で頬に触れる。

    「仮に帰りたいと言っても、今更帰す気もありませんでしたけどね」
    「何、言って……」
    「わかりませんか? 私だって貴女を手放したくないと思うくらいには、惹かれているんですよ」

     想いを伝えるのって案外難しいんですね、とジャーファルさんが言うから、私も頷いて、そうですね、と返した。

    「ジャーファルさん」
    「はい」
    「私、シンドリアに定住したいです」
    「……最初から私はそのつもりでしたが?」

     ひとを愛すること。それこそが最も難しく、案外簡単なことだったのだ。

    End.





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