Story

    月桂樹にサヨナラ




    ※ オールジャンル夢企画「Earth」様に提出させて頂いた作品です。


     花冠を編む、指を見つめる。
     けっこう前からその視線には気づいていたのだけれど、あえて声はかけずに居た。けれども小さくてまあるい瞳はじいっと指先を見つめたまま瞬きひとつしないので、その視線に耐えかねてとうとう私は瞳の主を振り返った。

    「そんなに物珍しそうな目で見ないでくださいな、白龍様」
    「え? でも、私の姉上はこんな風に花冠を作ってくれたことはありません」

     だから、珍しいのだと。幼い皇子はそう言って笑った。確かに、彼の実姉である白瑛皇女は武術には長けているがこのような遊び事をしているところは見たことがない。料理も不得手だと噂に聞くし、もしかすると案外不器用なお方なのかもしれない。
     仕上げの結び目までも楽しそうに見つめる皇子に、なんだかくすぐったい気持ちになる。

    「さまの指は、魔法使いのようですね」
    「?」
    「摘まれた草花が、まるでまだ生きているかのように綺麗です」
    「まあ、白龍様」

     皇子があまりにも可愛らしく笑うものだから、ついつられて笑顔になる。完成したばかりの花冠をそっと彼の頭に乗せて差し上げれば、わあ、と小さな歓声が上がる。

    「些細ながらも、わたくしからの贈り物です。受け取ってくださいませ」

     彼は煌帝国皇帝、白徳様の第四子だ。私は弟の練紅徳と、彼が囲っていた側室の娘である。正室ではないことから、立場では他の兄弟姉妹より下なのだが、この白龍皇子だけは、よくこの庭へと足を運んでくださる。ルフという魔力の源が豊富なこの庭では、あらゆる地方の植物が息吹く。この庭は私のお気に入りの場所でもあったのだ。
     一度喜びに声を上げた白龍様が、自の頭に乗った冠を見上げて、ふと、あることに気がついて首をかしげた。

    「? でもさま、この冠には花がついていません」
    「ええ。月桂樹、という植物なのですけれど。この草で編んだ冠は"月桂冠"といって、どこかの国では勝利を収めた英雄にのみ与えられる特別なものであるとか」
    「げっけいかん……? では、花は咲かないのですか?」
    「咲きますよ。小さくて、淡黄の控えめな花です。もう少し月日が経てば、つぼみが出てくるでしょうね」

     白龍様は月桂冠を手に取り、不満げに見つめる。私の回答に納得がいかないようだ。

    「何故摘み取ってしまったのですか? 私は花も見てみたかったです」
    「……花や宝石には、言葉があるのを、ご存知ですか?」
    「??」

     疑問へ問いかけで返した私に、白龍様は再び小首をかしげる。石言葉や花言葉というのは、一体誰が考えてつけたのか。実際にそのような意味を持つのかも不明である。

    「月桂樹の持つ言葉は、栄光」

     緑一色の冠を手にした白龍様の目がまるく見開かれる。摘んだ花籠を手に、立ち上がり、彼に背を向けた。立ち去ろうとした背中に、もう一言だけ、白龍様の疑問が投げかけられる。

    「ではっ、月桂樹の"花"には、どんな意味があるのですか?」
    「……それは、またの機会に」

     花咲く季節よりも前に摘み取ってしまったのには理由がある。花言葉が嫌いで刈られる花は堪ったものではないと思うが、それはそれだ。白龍様からの問かけに答えを濁したまま、私は今度こそ足早に歩きだす。

    「貴方様の未来に、光があらんことを願って」

     それが、十年ほど前の出来事だった。





    「もう、会うこともないと思っていましたわ。白龍」
    「……そうですね。義姉上」

     協定を結ぶため、父の名を語った王妃の命で他国の皇子と婚儀を交わした姫たちの一人として、私も煌からは巣立っていた。先日便りで、その父上が亡くなられたとの報告を受けて久方ぶりに帰郷したのだが、懐かしく足を運んだこの庭園で、彼と再会することになるとは思いもしなかった。いや、義兄弟なのだから王宮内で会わない事はないのだろうけれど、十年前に火事で前皇帝とその第一子、第二子が亡くなって以来、白龍は私を避けていたから。こうして二人で話をするのは、本当に久しぶりのことだった。
     白龍は気まずそうに目を伏して、黙したままだった。しかし、気まずいのは私とて同じことだ。前皇帝が亡くなり弟である父が王座に就いてから、以前とは立場が逆転してしまったのだから。家族を亡くし、更に養子として受け入れられたと言っても周りの皇子皇女は今までどおりにとはいかない。つまり、避けていたのはお互い様だったということ。あの頃の記憶が幸せすぎて、今悪い夢を見ているのではないかと、そんなことを思ってしまう私は愚かだろうか。

    「迷宮を攻略したと、聞きました」
    「!」

     ぴくりと、白龍が肩を震わせる。ジンを手に入れたからと言って戦う力も持たない私が何を言っても無意味なのだが、彼のことはそれくらいにしか解らないのだ。迷宮攻略を果たし、片腕を失い義手をつけている義弟に、何と言えばいいのだろう。それ以前に彼は、どうしてこんなに変わってしまったのだろう。

    「貴方はその力を、何のために揮うのですか」
    「……貴女には、関係ありません」

     ぴしゃりと言い放ち、睨みつけてくる。昔のような純粋な光は、もう宿っていない。闇を映した瞳。

    「そうね……関係ないわ。私は他国へ嫁いだ身ですもの……」

     それでも、彼を心配しているのは何も実姉の白瑛だけではないのだ。血の繋がりはなくとも、私は彼を本当の弟のように思っていたのだから。
     白龍は金属器となった得物を握る手に力を込めて、思いつめた顔で呟いた。

    「……俺は、俺の使命を果たします」

     そして、続ける。

    「姉上や、貴女を、守るために」
    「……!」

     それだけ言うと、白龍は背を向けて歩き出す。何も言わずに立ち尽くした私は、ぼんやりとした頭で彼の後姿を見ていた。
     最後に私を見つめた彼の瞳は、ほんの少しだけ、昔に戻っていた気がしたから。

    「待って、白龍!」

     何故、呼び止めてしまったのだろう。訝しげにこちらを見つめる白龍は、用があるなら早くしろとばかりに視線で急かしてくる。しかし、大した用事があったわけではない。ただ、何故だろう。いつかその目的が果たされたとき、彼は心を保っていられるのだろうか。この国の闇を相手に一人で立ち向かうのは、心根が優しい彼には、どうしても難しいことのように感じてしまうのだ。
     彼がここへ足を運んだ理由が、ただ何となくだけれど、引き止めて欲しいからであるような気がして。そんなこと望まれていないのに、このままでは彼が遠くへ行ってしまう気がして、声をかけずにはいられなかった。

    「……月桂冠を、あなたに」
    「……」

     適当に摘み取った月桂樹を、白龍の木製の義手へと巻きつけて編んでやる。あの頃の話を覚えていたのか、彼は月桂樹を見てふと自嘲気味に笑った。

    「今の俺には、似合わない植物ですね」

     小さくありがとうございます、と言って今度こそ背を向けた白龍に、私は小さく嘆息する。いいえ、白龍。その"花"は、今の貴方によく似合う。
     月桂樹の草の間に控えめに存在する花に気づかないまま、白龍は庭園を後にした。

    「ごめんね」

     貴方は私を守ってくれると言ったけれど、その必要はない。

    「……」
    「どうしたの? ジュダル」

     白龍と別れた私を待ち構えていたのは、この国の神官と呼ばれる、マギのジュダルだ。

    「あの人が、待ってるぜ。……お前、まさか裏切ったりしないよな?」

     貴方がそれを言うの?
     そう嫌味を言えば、彼は嬉しそうに笑った。

    「ま、どうでもいいか、そんなの。あの人がお前の報告を聞きたいってよ」
    「……」

     他国に嫁いだのも、あの方の命令。協定という建前で、実際は国を内部から操るために過ぎない。他の姫たちはそれを知らず、良い様に駒として使われているだけなのに、何と滑稽なことか。私は違う。愚かな姫たちとは、違うのだ。いや、全てを知りながらも彼女の駒として動く、私ほど愚かな娘はいないだろう。

    「私は非力だから、白龍は守ってくださるんですって」
    「本当のお前を知ったとき、白龍がどんな顔をするか……見物だな」

     ジュダルは楽しそうだ。私は正直あまり、楽しくは無い。彼の真っ直ぐな好意に応えるどころか、嘲笑い切り捨てることしかできない自分自身に絶望しか残らない。
     だからせめて、彼の前では、過去の自分でいたい。いつか彼が私を敵と認識するようになるまで、彼の記憶にある、綺麗な私のままでいたいと願う。

    「さよなら、白龍」

     足元でゆれる小さな淡黄の花を、誰にも気づかれないように踏み潰した。

    End.





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