とにかく彼女は運が悪い。というよりも、ドジなのかアホなのか。
先日新しく王宮に侍った、姉上の侍女。彼女はまだ成人前の娘であるが、身なりはきちんとしていて礼儀も正しい。だが、どうしてか彼女にはツキがないというかなんというか。別に常に目で追っているわけではないが、必ず日に三度は転倒しているのを目撃している。更に失くし物が多いのか、王宮内をパタパタと一人で走り続けていることもある。その度に手伝ってやるのだが、「ありがとうございます白龍様!」と本当に嬉しそうに笑うものだから、咎める気も失くしてしまう。しかし、だ。それは姉上の侍女だからで、別に俺が彼女を好いているわけでもないのだ。
「それじゃ、お願いしますね」
「はい! いってらっしゃいませ、白瑛様」
「……」
深々と頭を垂れ、姉上を見送る。城下へ用があるとのことで青舜と出かけると言った姉上は、あろうことか彼女に俺の世話役を命じた。いや、逆だろう。つまり姉上は、俺にのお守りを任せたのだ。城を出る際、青舜が「皇子、ドンマイです」というような視線を送ってきたのが更に腹立たしい。お前が代われ、青舜。
「はぁ……」
「白龍様。私はいかがいたしましょう?」
俺の心境を知る由もなく、満面の笑みで姉上たちを見送ったは、俺に向き直って言う。
「別に……俺はいつも通り鍛錬を」
「では!」
ぱん、両手を合わせて、「タオルをお持ちしますね」とは言うが、別にいい。しかしそう告げるよりも先に、は脱兎のごとく走り出してしまった。その後姿からは、嫌な予感しかしない。
「きゃああああああっ!」
やっぱりか。着物の裾を思い切り踏みつけて転倒したは、頭から花壇に突っ込んだ。
「あたたた……」
「だから言っただろ……何もしなくて良いから」
「そんなわけには参りません! わたくしは白瑛様より、白龍様のことをお任せされたのですから!」
「だから、それはな」
建前だ建前。誰もお前に世話をされたいとは思っていない。……なんてことは勿論言えない。そもそも、何でも出来る姉上が新たに侍女をとったのも、には特有の愛嬌があったから。失敗してもめげないしへこたれない。何より笑顔が可愛いと、癒されると姉上は言っていた。確かに、彼女の豊かな表情は、荒んだこの国にとって優しい光のようにあたたかい。だから俺も、姉上の頼みと言う以前に、放っておけないという気持ちになる。
「では、何かお申し付けくださいませ! 何もせずにいるなんてイヤです」
それは単に自分が暇なだけなのだろうか。仕事にかこつけて暇つぶしにされるなんて、とは思うものの、純粋すぎる目で見つめられれば誰だって折れてしまうのではないだろうか。
「……そう、だな。じゃあ、外出の準備を」
「え?」
姉上はに世話を命じたけれど。ずっと城に居ろとは言っていないのだから、出かけたって良いのだ。たまには外の空気を吸わないと、気が滅入ってしまうだろう。彼女も、自分も。
「俺も城下に行きたくなった。付き合ってくれるか」
「は、はいっ! お供いたしますっ」
明るい笑顔を向け、はすぐに俺と自分の上着を持ってきた。それを受け取ろうと廊下を早足で歩く彼女へ近づくと、その後ろから細身の影が現われた。
「よう、お前ら。どこ行くんだよ?」
「きゃっ!? 神官様……!?」
の腕を後ろから掴んだ神官ジュダルは、俺を見てにやりと笑う。嫌な予感がする。
「出かけんのか? いいなあ。俺も連れてけよ!」
「断る」
「んだよ、ケチケチすんなよな。なあ?」
「え? あ……え!?」
「神官殿。彼女に近寄らないで頂きたい」
ずいっと、へ威圧をかけるジュダル。俺と奴との板ばさみになっているはおろおろと視線を泳がせ、あっと小さく声を上げる。
「か、夏黄文さんっ!」
「はあ?」
渡り廊下をこそこそと歩いていた夏黄文が、名前を呼ばれてギクッと肩を震わせる。ああ、やはりあいつも巻き込まれたくはないのだ。という侍女の運の無さは、本人と姉上以外の誰もが知ることだから。夏黄文は気づかないふりをして歩き去る。賢明な判断だと俺は素直に賞賛した。
「あれ……?」
聞こえなかったのかな? なんて不思議そうな顔をして首を傾げる。しかし夏黄文に助けを求めたところで何かが変わるわけでもあるまいに。ただ犠牲者を増やすだけだと何故わからないのか。
「なあ、いいだろ? 俺も一緒に連れてけよ白龍!」
「嫌だ……」
ジュダルは俺の肩に腕を乗せる。重い。こいつくらいだろう。の不運を面白がって、付きまとう変わり者は。だからこそ、俺はジュダルとは絶対に行きたくなかった。
なのに、
「いいよな? !」
「は、はいっ!?」
わけのわからないまま、強制的に了承させられてしまったに、出かけると提案してしまった俺は溜め息しか出てこなかった。
「なーなー、あそこに寄って行こうぜ!」
「却下だ」
「あれあれっ! 面白そうなことやってんぞ!」
「一人で行けばいいだろう」
「……」
自分たちと同じく久しぶりに街へ来たらしいジュダルは、色々な物に目を奪われては俺達を巻き込もうとする。そうはさせるかと反発しつつ、街を歩く。半歩後ろを歩くは戸惑いの色を隠せずにいた。
「なーなー白龍」
「……」
「白龍ってばよー」
「……、るさい」
いい加減に邪魔になる。そもそもコイツはあの女の駒で、俺の憎き敵であって。こんな風に一緒に出掛けていい関係なんかじゃ絶対にないのだ。
「行くぞ、」
「え……!?」
呟くと同時に、の手を引いて走り出す。無論彼女は驚きつつも俺についてくる。遠くでジュダルが「あっ」と驚きの声を上げたが、それ以上追いかけてくるようなことはなかった。ヤツの暇つぶしも、その程度ということだろう。
ジュダルの姿が見えなくなるまで走り続けると、の足がもつれたのか、彼女は短い悲鳴を上げて倒れた。
「きゃあっ!?」
「うわっ!? ……っ」
の手を引いていた俺に全体重がかかるのも当然のこと。
「痛……っ」
「も、申し訳ありません白龍様!」
「いや、俺が走らせたんだから……」
別に良い。そう言っての手を引いて立ち上がる。衣服についた土埃を払いつつ侍女を見やれば、何かを言いたそうにそわそわとしていた。
「どうした?」
「えっ!? や、あの……申し訳、ありませんでした」
「何がだ?」
そう尋ねると、顔を上げたが一瞬泣きそうな顔をして、ギクッとした。
「せっかくのお休みでしたのに……私は白龍様の足を引っ張ってばかりです」
「まあ……気にするな」
流石に本当のことなので、「そんなことはない」とは言えなかった。でも、そんなドジでそそっかしいところもの良いところなのだと割り切ってしまえばそれはそれで良い。失敗を笑って許せるのは彼女くらいなものだろう。これがもし夏黄文とかなら拳で殴っているところだ。
「それで良くて、姉上はお前を傍に置いているのだし。今更気に病むことではないだろう」
「……気にしていないわけ、ないじゃないですか」
やれやれと、先を歩き出した俺の後ろでがつぶやく。いつもの彼女にしては暗い声だ。
「こんな、私にも……皆さんが優しく接してくださるからっ! 私にも何かお返しできればと、ずっと思っているだけで……」
失敗しても笑顔でへこたれない。能天気なやつだと、思っていたけれど。目の前で涙をいっぱいに溜めている少女は、いつもの能天気さなど欠片も無かった。
「……」
「ずっ……す、すみません。こんなつもりじゃ、なかったのですけれど」
鼻を啜って、次々と溢れる涙を着物の裾で拭って、目がウサギのように真っ赤だ。どうして彼女を、能天気などと思えたのだろう。失敗を重ねて、それでも咎められることなく許されて。侍女として無能だと言われて、笑えるはずなどなかったのだ。
一人で抱え込んで、悶々とするのことを想像して胸が苦しくなった。すまない。小さく呟いて、項垂れる頭を出来る限り優しく撫でた。
「はっ、白龍皇子!?」
「悪かったな。そんなに思いつめているなんて、知らなかった」
「いえ……」
驚きを口にはしたが、拒否は無く、彼女はじっとされるがままだった。侍女に抱く感情は特別なものではない。が、自分の失態を回り以上に重々しく受け止めていたがどこか愛しく感じている自分に、俺は心底驚いていた。そんな折、背後からかけられた声。
「あら、白龍……も一緒?」
「皇子。今日の鍛錬はサボりですか?」
「うわっ!? 姉上、何故こちらに!? それに青舜まで……」
「何言ってるんですか。留守を頼んだのは姫の方ではないですか」
どうして、などと問う俺に青舜と姉上は呆れたように口にした。確かに、と俯いた俺に、姉上はくすくすと笑いながら言った。
「白龍が誘ってあげたの? 今日は天気が良いですからね」
「い、や……姉上、別に大した意味は」
「照れなくても良いですよ。は可愛いもの」
「はっ、白瑛様!?」
どうやら先ほどの光景を見られていたらしく、恥ずかしさを押し隠しながら姉上に弁解する。が泣いていた理由を聞いた姉上は、一瞬目を丸く見開いてから、先ほどの俺と同じように申し訳なさそうな顔をした。
「はよくやっていると思うわ。貴女が笑ってくれるだけで、私は……」
「白瑛様……」
「失敗は誰にでもあるわ。だから大丈夫よ」
俺よりも柔らかな指と表情で優しくの頭を撫でて、姉上は言った。城へ帰ろうと。
「帰ったらお茶にしましょう。淹れてくれるわね? 」
「! は、はい。勿論ですわ!」
はドジで失敗ばかりだが、茶を淹れるのは他の誰よりも上手い。自分に出来ることを思い出して嬉しそうな顔をした侍女は、急に軽い足取りになる。
「で、では、早く参りましょう! この、とびきり美味しいお茶をご用意してみせますわ!」
「お、おい。そんなに急いだら――」
「え? きゃあああっ!!」
前を見ないで急ぐものだから、そこらに転がっている小石に躓いて転倒するのは目に見えていることだ。膝をすりむいたは、起き上がり、それでも嬉しそうに笑った。それを後ろで見ていた俺と姉上は、顔を見合わせて、笑った。そして、侍女が張り切って淹れてくれるという茶を楽しみにしながら、帰路を辿るのだった。