Story

    貨物列車は止まらない




    ※ 黒バス夢企画「夢を見た」様に提出させて頂いた作品です。


     夢を見た。
     なんの? そう尋ねられても、それがイマイチ思い出せない。些細な、どうでもいい内容だったのだろうなと思いつつ、それでもはっきりと、目覚めたばかりの私はベッドの中で口にしたのだ。……懐かしい、と。
     まどろむ意識の中でぼんやりと覚えているのは、幸せだったこと。ぽかぽかとした陽だまりのような想いが胸にあって、起きたとき、無意識のうちに涙を流していた。素敵な夢のはずなのに、何故だか切なくて悲しくもあるなんて、とても不思議だった。



    「覚えていないんじゃなくて、覚えていたくないんですよ。きっとね」

     今日一日ぼんやりしていて、どうしたんですか。
     黒子君がそんなことを言って尋ねてくるから、私はありのままの出来事を話すことになったのだけれど、どうにも彼の結論が腑に落ちなくて「そうかなあ」首を傾げる。
     覚えていたくない夢なら、もっと、違う気持ちになるんじゃないだろうか。だって、夢の中で私はとても幸せだったのだ。目覚めたとき、それが手を伸ばしても掴むことの出来ない現実であることが、悲しくなってしまうくらいに。

    「……逆よ。きっと、私は覚えていたかったと思うの。だけど、忘れてしまったから、こんなにも悲しいんだわ」
    「そう、ですか。では、どんな夢だったんでしょうね」

     困ったように微笑みながら、黒子君が言った。





     夢を見た。
     今度は何となく、覚えている。その内容はやはり不明瞭だったけれど、規則正しい揺れと風を切る音に、心地良さを覚える。
     ああ、気持ちが良い。そう思うと同時に、やはり奥底に眠る感情は、言い知れぬ切なさと寂しさだった。



    「でも、やっぱり、よく思い出せないの」
    「また、夢の話ですか」

     小さく溜息を吐いて、黒子君が言った。最初に話てから三日が経過しているが、毎夜同じような夢を見るのだ。そしてその夢は、少しだけ覚えていることが違ってきている。

    「覚えていないなら、忘れてしまえばいいじゃないですか」
    「でも、一昨日よりも昨日、昨日よりも今日は、少しだけ違うの」

     覚えていることが違うのか、それとも夢の内容自体が違うのかは定かではない。しかし私の話を聞いて黒子君は更に息を吐く。どうでもいい、とでも言いたげに。
     私と彼は中学からの同級生で、彼がバスケ部だったことも知っているし、影が薄いことで得も損もしていることを知っている。けれど私は彼を見失わないし、彼が此処にいることを覚えている。黒子テツヤという人間が、ここにいることを知っているのだ。

    「忘れたくない、幸せなときが、きっとあったはずなのよ」
    「……僕には、関係のないことです」

     最初に尋ねて来たのは黒子君のほうなのに、関係ないだなんておかしな話だ。
     第一、私が忘れたくないと思うのは、今までで最も幸せな瞬間は、あの頃しかないのに。

    「忘れちゃっても、いいの?」
    「……」

     黒子君は何も言わず、私から離れていった。

    「……きっと夢の中の私は、忘れたくないのよ」



     それから幾夜が過ぎて、幾度の夢を見ただろう。数え切れるのも忘れるほど、私は夢を見続けた。同じか、違う夢か、それすらもわからないまま。





    「ッ!!」

     唐突に、頭に衝撃が走る。視界が暗転して、身体がふわりと浮く感覚。そのまままどろみに包まれて、また、私は。





     夢を見た。
     瞼の裏に薄っすら光を感じて目を開ければ、そこは列車の中だった。ガタンゴトン、ガタンゴトン、車輪がレールの上を走り、目的地まで運んでくれる。
     窓の外は夜だった。確かに私は光を視たはずなのに、真っ暗な闇が広がっていたのだ。恐る恐る、窓を開けてみる。すると、はるか彼方に、小さく、だけどとても強い光が見えた。その光を掴みたくて、窓の外に手を伸ばそうとしたとき。誰かに「危ないよ」と肩を掴まれる。その人物を振り返り見た私は、だけど、と小さく不満を漏らす。

    「行かなくちゃ、見失なってしまうわ」
    「でも、僕はここにいる」
    「だけど私には、あなたを探せない」

     大丈夫。そう声の主は静かに笑って、光の方へ指さした。それは今し方、私が掴もうとした光。見れば、針の穴のように僅かだった光は徐々に大きくなっていって、列車を覆う闇を払拭していった。ここはトンネルだったのだ、と私はそこでようやく気づく。出口は近くにあって、己の状況が理解出来ないからこそ、必死にもがいていた自分が滑稽に思えた。

    「光が強ければ、影の存在も強くなる」

     昔誰かが言ったのと同じ台詞を、夢の中の声は唱えた。
     嗚呼、だから、夢の中のキミはこんなにも輝いて見えるのだろうか。



    「……ん」
    「あ、起きました?」
    「……黒子君?」

     どうして、と呟く前に、起き上がろうとした身体を止められる。体育の授業中、頭にバレーのボールがぶつかったのだと、丁寧に教えてくれた。黒子君は保健委員でもないのに、という疑問は口にはしなかった。
     まだ寝ていてくださいと、ゆっくり押し戻される。こんなときの黒子君は結構強情なので、言うとおりにしながら私はふと、夢の内容を思い出した。

    「……ねえ、あの時の帰りの電車で、覚えてる?」

     小さく尋ねた言葉に、黒子君は一度目を瞬いて、それからすぐに理解したようで「ええ」と頷いた。

    「覚えてますよ。"あの時"――さんが僕と同じ電車に乗ったのは、後にも先にもあの一度きりでしたから」

     中学時代。特に何てことの無い、バスケの練習試合で、一度試合の風景を見てみたいのだとせがんで、見学させてもらったことがあった。思えばその頃から彼の様子は何だかおかしかったのだけれど、バスケのルールもよく知らない私には、彼の変化に気づけるわけもなかった。
     黒子君は確か、私の頼みを断った。そこで引き下がれば良かったものを、めげずに私は、部長である赤司君に頼んだのだ。その結果、

    「貴女は僕に、気づかなかった」

     そうだ。私は彼に、黒子君に気づくことが出来なかった。そこに存在しているはずなのに、目を奪われるのは他の――青峰君や緑間君のプレーばかりで、私が一番目に焼き付けたかった、大好きだった男の子の存在に、気づくことが出来なかった。
     結局試合は帝光の圧勝で終わったけれど、私と黒子君の心は重々しく沈んでいた。一緒になった帰りの電車の中で、申し訳なさでいっぱいの私に黒子君は夢の中と同じようなことを言ったのだ。

    「……光が強ければ強いほど、影も強くなる……」

     それなのに、試合中の黒子君は弱々しかった。きっとあの頃はもう既に、チームに絶望すらしていたのだろう。私はそれに気づけず、余計に彼を傷つけた。
     罪悪感を抱き続けた私は彼に告白することも出来ず、未だにクラスメイトという関係で甘んじている。高校まで追いかけて、見苦しいったらない。それでも毎日見る夢は、あの頃のものばかり。黒子君が大好きで、彼の大好きなバスケについてもっと知りたくて必死だった。幸せで、切なくて、苦しかった、私の青春。

    「夢の中で私、光を視たの」
    「……光、ですか」

     僕は影だ。光じゃないと、小さく黒子君の唇が震える。だけど、その光の中心には確かに彼がいたのだ。

    「青峰君じゃない。火神君でも、ないわ。……私の光は、黒子君だから」

     誰が何と言おうと、それだけが真実だった。確かにあの試合では見失ったけれど、それ以外の日常生活で、私が黒子君を見失ったことは一度だってない。いつだって、私の目には彼が光り輝いて見えていたのだ。いや、見えているのだ。

    「それは違いますよ」

     きっぱりと黒子君が言う。遠まわしの告白を否定されたようでとても悲しかったけれど、「だって」と黒子君が言葉を続けたので黙って聞いた。

    「僕にとっての光は、貴女なんですから」

     光が、影を失わないのは当然でしょう?
     薄っすらと微笑んで黒子君が言うから、私は一瞬何のことだかわからずに呆けてしまった。

    「貴女が望む限り僕はどこへも行きませんから、安心してください」

     そんな言い方、ずるい。
     恥ずかしくて布団を顔まで手繰り寄せた私の頭を優しく撫でて、今日はあとどうしますか? と黒子君が尋ねる。

    「……もう少し、眠るわ」
    「はい、どうぞ」

     どうぞ、と言ったきり、動かないクラスメイトを見上げる。もしかして本当に、私の傍を離れないつもりなのだろうか。もう授業に戻っていいよ、と口を開く。だがしかし、彼はあっけらかんと言い放つのだ。

    「僕がいなくなったところで、誰も気づきませんよ。……貴女以外はね」

     小さな皮肉を交えながら、黒子君が嬉しそうに笑う。他の誰もが君に気づかなくても、私だけは見ていてあげる。もう、見失ったりしないと、決めたのだ。

    「おやすみなさい、」

     沢山の思いを積み込んで、夢の列車はどこまでも走ってゆく。
     強い光と、確かな影を生みだしながら。

    End.





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