Story

    郷愁オーデコロン





     レオリオはお洒落に煩い男だった。ネクタイはともかく、サングラスはレオリオがかけるとただガラの悪いチンピラにしか見えないと正直に感想を伝えれば、「お前は何にも解ってねーな」と笑われた。私だって女としてそれなりに身なりには気を遣っていたつもりだったが、レオリオは割りと度が過ぎるほどに綺麗好きで、一々細かいのだ。今は亡き彼の親友は、レオリオは身支度にかかる時間がとても長いんだと呆れていた。そんなお洒落の中でもレオリオが最も力を入れて集めていたのは、香水だった。

    「加齢臭対策?」
    「ばっかやろう。俺はいつお前よりも年上になったんだ?」

     少しきつめの香水が、私は少しだけ苦手だった。レオリオは「この良さが解らないなんてお子様だな」と言って笑ったけれど、どうにも慣れなかった。

     親友が死んだ日、レオリオは突然医者になると言った。突然だったのは、彼がそう言い出しただけであって、もっと前から考えてはいたそうだ。けれど、レオリオが願う万能な医者になるためには、勉強だけではなく莫大な額の金が要り様になる。それは、親友が受けられなかった手術費用よりも、ずっと多かった。しかし問題はそれだけではない。町の誰もが、レオリオのことを応援しようとはしなかったのだ。周りの大人は口々にお前には無理だとか止めておけと言い、引き止めこそすれど誰も後押しをしない。だから、彼には私だけだと思った。口を開けお互い軽口しか出てくることのない間柄だったが、今回ばかりは「無理だ」なんて、そんなこと言えるはずがなかった。

    「お前も、どうせ俺には無理だとか言うんだろ」
    「言ってほしいの?」
    「……馬鹿野郎」
    「応援してるよ。だから、ほら」
    「?」

     私が渡したのは、ハンター試験の応募用紙だった。その瞬間、私が何を言いたいのか理解したレオリオは、目を輝かせた。

    「その手があったか……! そうだよ、ハンターになれば、医大に入れる……」

     ありがとうな、。レオリオは私の手を握ってそんな風に礼を言った。私はどういたしまして、と言ったけれど、少しだけ後悔した。レオリオが、この町からいなくなる、その後押しをしてしまったのだから。それでも乗りかかった船ということで、二人でハンター試験対策を講じた。特訓にも付き合ったし、その合間に独学で医学の勉強を進めるレオリオのために夜食を作ったりもした。誰も味方がいないなら、私だけは傍にいないといけないと思ったから。

    「じゃあ、行ってくるな」
    「落ちたら慰めてあげるから、頑張れ」
    「本当に一言多いよな、お前」

     本当にそんなこと思っていないよ、嘘だよ。受かるように、応援しているよ。
     言いたかったけれど、そんなのは私じゃないから。レオリオの緊張が少しでも解れるように、いつも通りの私でいようと思った。

    「落ちたら……ううん、落ちても受かっても、試験が終わったら帰ってくる、よね?」
    「落ちる前提かよ。……まあ、あいつに報告もしたいしな、戻ってくるぜ」

     私に会いに帰ってきてくれるわけではないのかと少しだけ残念に思ったが、口にはしなかった。相変わらずきついくらいの香水に、私は「臭い」とまた軽口を叩く。

    「お前なー……これは男の嗜みだと何回言えばわかるんだよ。あと、香水は香水でも、俺のコレはオーデコロンだ」
    「それってどう違うの?」

     私はこのとき、香水にもいろいろ種類があることを初めて知ったのだった。オーデコロンは、ほら、香りが爽やかなんだよ。スッとするだろ! なんてわけのわからない力説をかましたのちにレオリオは飛行機で旅立った。
     彼の説明だけではよくわからなかったので後々調べてみたところ、オーデコロンは香水の中でも香料の含有量が一番低い。つまりは香りの濃度が最も薄く、匂いの持続性も低いということだ。レオリオの場合は多少つけ過ぎ感が否めないが、通常のコロンは他の香水に比べて香りが薄めで、使いやすくもあるのだろう。

     香りの持続時間が短い、か。

    「本当だ……もう、消えちゃった」

     あれだけきついきついと思っていた匂いだったのに。レオリオが町からいなくなって、彼の家からも私の隣からもあの匂いはもうしない。レオリオの存在を感じられない。
     そもそも、レオリオには私だけだったのではない。私には、レオリオだけだったのだ。

     数ヵ月という時間は、今までは特に気にしたこともない、取るに足らない時間経過だったはずだ。初めて、一日一日が長く、永遠のように感じられた。元々筆不精だしメールもあまりするようなこともなかったから、今どこで何をしているなんて近況報告は届かない。もしかしたら、途中で死んでしまっているかもしれない。それは誰にも、解らないのだ。
     レオリオの部屋を掃除していると、携帯電話が震えてメールが届いたことを知らせた。

    「!」

     ハンターになったから帰る。そう素っ気無いメールを読んで、泣きそうになった。いつ頃着くとか、今どこにいるとか、そんな情報が何もない状況で、ただただ無事であったことを喜んだ。帰ってくるんだ。ハンターになったんだ。良かった、おめでとう。ホウキを持っていた手に力が入る。彼が帰ってくるまでに、埃が溜まってしまった部屋を綺麗にしておこう。綺麗好きなレオリオに、女失格だと笑われないためにも。

    「……やっと終わった」

     医学書なんかが多い狭い部屋で、そのまま綺麗にするのは割と骨が折れる作業だった。一部見てはいけないような本もあったが、まあそれも男の嗜みとやらなのだろうということで見ていないことにした。
     額に浮かんだ汗を腕で拭っていると、ふわり、鼻腔を覚えのある香りが通った気がした。レオリオの部屋の掃除をしていたから、それのせいかとも思ったが、また。
     まさか、と思い咄嗟に家のドアを開けると、そこには彼が立っていた。

    「お、なんだ。泥棒か?」

     数ヶ月なんだからそんなに変わるはずもないが、それでも記憶の中のレオリオと全く違っていなくて安心して、私は彼に飛びついていた。驚いて、汗臭い、と軽口を叩きながらも私を受け入れて支えてくれたレオリオは、お気に入りのオーデコロンをつけていた。その香りを間近で嗅いで、堪えきれずに涙がこぼれる。私の汗とレオリオのオーデコロンが混じって、よくわからない臭いになっていたけど、そんなのもうどうでもいいやと思うくらい、私は彼が帰ってきてくれたことが嬉しかったのだ。

    「おかえりなさい」

     きついと思っていたオーデコロンの香りが、とても恋しかったんだ。

    End.





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