Story

    君の心−前編−





     暗殺者の名家として知られるゾルディックの屋敷に、一人の女が訪れたのはつい三日前のことだった。彼女は別に執事見習いとしてやって来たわけではなく、長男であるイルミの婚約者として、義母のキキョウより同棲を提案されたのだった。籍はまだ入れてはいないが、少しずつこの家の方針にも慣れていってほしいから、とキキョウはに伝え、もこれを了承した。しかし、この三日間、は婚約者であるイルミに会うことはなかった。何故なら彼は仕事の為、がこの家を訪ねた少し前に出かけたと言うのだから驚きだ。彼の母親は当事者であるイルミの与り知らぬところで、事を進めてしまっていたのである。

    「イルミさんが不在の時に、私が本家にお邪魔するわけには参りません……!」

     の訴えも空しく、キキョウは嬉々としてを他の家族に引き合わせ、紹介した。いくら何でも強引すぎる、とが思ったとおり、紹介されたイルミの弟達もぽかんと口を開け、何を言っていいか解らないと言った様子だった。それもそのはず、この婚約は、それまでイルミ本人と両親しか知らずにいたのだから。
     ゾルディック程ではないにしろ、の生まれ育った家もまた、名の通った暗殺一家だった。お見合いの話があったわけでもなかったのにがイルミの婚約者として認められたのは、それは一つの事故だった。



    「は? ……依頼主が死んだって、なんで」

     イルミは無表情のままだったが、その声は酷く憤慨した様子で電話の相手に問いかける。

    「どうやら、お前のターゲットも別の暗殺者に依頼を出していたらしい」

     父親からの返答に、頭部に針が刺さったまま動かなくなった死体を冷たい瞳で見下ろしたイルミは、小さく舌打ちする。全く、余計なことをしてくれた。
     つまりは、ただ働きである。普段なら前払い金である程度は払ってもらうのだが、今回の依頼主はへそ曲がりで、仕事が完遂するまで信用出来ないと言い捨て、後払いで押し切ったのだ。もしも受けたのがイルミ本人であればその場で殺してしまっていたかもしれないが、人の好い祖父がこれを受けてしまったのだから仕方のないことだ。ただ働きはしたくない長兄は、ふつふつと沸きあがる怒りを何とか押さえ込んで、父に再び尋ねる。

    「で、その依頼主を殺したのは?」
    「ああ、それだがな……」

     今、母さんが行っている。その言葉に、元々大きなイルミの瞳が更に見開かれる。どういうことだろうか。まさか、仕事が失敗したことを相手の家のせいにして営業妨害として依頼料をふんだくるつもりか? いや、それは違う。暗殺者は依頼があるから殺すのだ。悪いのは自分達の依頼主を殺すように依頼したターゲットであって、相手の暗殺者ではない。母親の突拍子もない行動は毎度のことだったが、父も何故止めないのだと口を開こうとしたイルミは、更に父シルバから聞かされた事実に頭を抱えた。

    「依頼主を殺した暗殺者だが……是非ウチに嫁に来てもらいたいと、飛び出して行ってしまったんだ」
    「……は?」

     暗殺者が女だったのかという事実はさて置いて、何故それが嫁という単語に結びつくのかがわからない。そして、一体誰の。

    「お前しか居ないだろう……」
    「本当、何で止めてくれないのさ親父……」

     突発的な母の行動に父も呆れてしまっている様子で、電話口から何度か疲れたような溜息が聞こえてくる。悪いが母さんの手前一度会ってくれないかと懇願に近い頼みに、イルミは首を立てに振るしかなかった。
     それからキキョウに連れられてやってきたのは、まだ成人して間もない、少女と言うには大人っぽく、女性と言うにはまだ幼さが残る女だった。彼女はと名乗り、キキョウのマシンガントークに愛想笑いを浮かべるだけだった。ああ、可哀想にと、少しだけイルミはに同情したが、それ以外の感情は沸かなかった。ただ本当に暗殺者なのかと、あまりに一般と変わらない少女に、そう疑ったことくらいだ。

    「それで、どうかしら?」

     家柄も実力も、申し分ないと思うのだけれど。母の心の声が聞こえて、イルミは静かに溜息を吐く。
     両親が若くに結婚しているからか、母親はイルミにもそろそろ身を固めて欲しいということは前々から聞いてはいた。もしここで断っても、恐らく母はこの先も嫁候補を見つけては強引に自分と引き合わせようとするだろう。そう考えれば、面倒事は多くはない方がいいだろう。見たところ従順そうだし、母のように口うるさくも無さそうだ。

    「別に俺は、いいけど」

     その返答を聞いて、相手は信じられないといった様子で目を見開く。イルミが断るのを期待していた様子であったが、イルミが了承したことによってキキョウが舞い上がってしまい、へと詰め寄った。

    「それで、貴女はどうかしら? さん!」
    「え、あの……」

     ゾルディックの名を知らない者はいない。裏世界で生きる者であれば尚のこと、その悪名は耳に届いている。断れば殺されてしまうかもしれない。というよりも、キキョウの迫力に気圧されたは、

    「不束者ですが、宜しくお願い致します……」

     そう答えるほか、選択肢は無かったのである。
     話がまとまった後で、はキキョウのいない隙にイルミへと問いかけた。

    「どうして断らなかったのですか」
    「何、俺じゃ不満だった?」
    「そういうわけでは、ありませんが……」

     互い、殺しの技術ばかりを磨いて成長した立派な暗殺家の長子である。勿論それまで恋愛というものを経験したことなどなく、それがいきなり結婚へ飛躍するなどとは思いもしていない事だった。
     男のイルミなら、まだそれもいい。恋愛ごとや結婚に関しては無関心なことこの上ない。現に目の前の男は「母さんが面倒だったから、誰でも良かった」と吐き捨てた。にとっても、家柄から考えれば政略結婚が当たり前と頭では解っている。キキョウに声をかけられた後で実家に連絡し母親に事の顛末を伝えれば、あのゾルディック家に嫁ぐことが出来るのなら大変喜ばしいことだと歓喜していたのだから、これは良いことなのだ。と、頭ではそう思っていても、心がついていかないのである。恋愛に憧れを抱かない女など、いないのだ。

     かくして二人は婚約者となり、急な話で何の用意もしていないからと一度は実家に戻っただったが、一月も経たないうちにキキョウにより呼び戻されてしまったのだ。



     用意された簡素な部屋で、ベッドにごろりと寝転がりは天井を仰いだ。イルミがいなくて少しだけ安堵している自分に気がついて、自嘲する。何故、こんな話を受けてしまったのだろうと。実家に帰ったときに、正直に話せば良かった。自分はまだ嫁ぎたくなんか無いと。それも、あんな能面のような、感情がわからない人の元へなど、どうして。
     自分も弱小ながら暗殺者の端くれとして、毒や熱、電気などあらゆるものに対する耐性はある程度ついている。この家のように全ての料理に毒が入っていたわけではないにしろ、生活する分には何ら問題ないことが、ここ数日で証明されてしまった。むしろもっと弱い娘なら、ゾルディック家に相応しく無いと婚約が白紙に戻っていたかもしれないのに。中途半端に鍛えられた自分を少し恨めしく思う。
     更に、家に慣れる為にとキキョウは言ったが、そもそもこの家には執事が多く仕えているのだ。一般家庭でするような仕事はほぼ無いに等しく、かといって籍も入れていないうちからゾルディック家の暗殺の仕事を任せられるはずも無い。せめて下の兄弟達と仲良く出来ないかとも思ったが、如何せん彼らは彼らで日々訓練や勉強があるのでそれも邪魔はしたくない。
     は深々と息を吐いた。

    「暇だわ……」

     あまり気乗りしないが、婚約者であるイルミが帰宅しない限りは、話が進まないのである。

    End.





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