Story

    ダウト





     シャルナークは幻影旅団の仲間達にも「金の亡者」と呼ばれるほど、誰よりも金が好きだ。しかし金があるからと言って特別贅沢をしているわけではない。夜の街で適当に女を買うことはあっても、豪奢な服装を好むでもなく、宝飾品や骨董品を集める趣味もない。ただ、「金がある」。その事実に満足していたのだ。
     流星街で幼少を過ごし、望めば望むほど、それらは遠くなって。強くなって、蜘蛛を作って、金の持つ価値を知ったからこそ、それに執着しているのかも知れない。と、通帳に振り込まれた額を見ながらシャルナークは溜息を吐いた。先日団長のクロロから調べ物をして欲しいと個人的な依頼があり、それなりの報酬を貰ったのだが、問題はその使い道だった。
     金は好きだ。何よりも、好きだ。そのはずだったのだが、最近シャルナークには、金よりも気になっているものが確かにあったのだ。

    「何買ったら……喜んでくれるかな」

     どうしてこんなことになってしまったのか、当人であるシャルナークでさえ、原因など解りやしない。それほどに、彼の恋の相手は極一般人なのだった。
     蜘蛛でのシャルナークの役割は、主に情報収集だ。そのため一般人に混じって街をうろつくこともあるし、彼の好青年のような出で立ちから、誰も極悪犯罪者とは疑いもしない。そして、彼女もそうだった。
    「いらっしゃいませ」。考え事をしながら歩いていた通りで、そう声をかけられて立ち止まってしまったのが間違いだったようにも思う。街角のティッシュ配りと同じように無視して去ってしまえばよかったものを、どうして応じてしまったりしたのだろうと。そう思えば思うほど不思議なのだが、それは彼女の笑顔が魅力的過ぎたせいだろうか。一瞬にして、惹きつけられてしまったのだ。ただの客引きで作り笑いとは思えないほどに綺麗な顔で彼女が微笑むから。
     結局シャルナークは、彼女の家が経営する花屋から一輪の花を買ってしまったのだ。ちょうど女性が持っていたダリアの花を。

    「花言葉は移り気って……まんまだよ」

     気になって調べてみたが、シャルナークは苦笑するしかなかった。律儀に一輪挿しに飾られたダリアの鮮やかな赤色に、彼女の笑顔を重ねてみる。まだ数えられるほどしか見たことが無い笑顔を思い出して、顔が火照る。思春期のガキか、俺は。一人ごちて机に突っ伏した。
     殺しをも厭わないA級首の盗賊が、一般人の女に恋焦がれるなんておかしな話だ。だからこそシャルナークは仲間には絶対に言えないと思ったし、実際このことを知っている人物は誰一人いない。街を歩いていてフィンクスやノブナガと「イイ女がいた」なんて物色したりするようなこともあったが、そういうのとはわけが違うのだ。現在単独行動中のシャルナークは、滑稽な自分の姿を仲間に見られないことをこの上なく幸運に感じていた。
     とにかく、シャルナークは大事な金と彼女の笑顔を天秤にかけ、悩んでいる真っ最中だった。しかし秤にかけるまでもなく彼は彼女に入れ込んでしまっているのは明白だったので、しかし今度はどうやってプレゼントを贈るかだった。お金が大事などと言って、ただ玉砕するのが怖いだけなのだ。

    「いっそ店の花を買い占めるとか? ……いやいや、それもなぁ」

     使い道が無ければ溜めればいい。その結果溜まりに溜まった金なのだ、今更小さな花屋の全ての花を買い占めたところで財布に打撃は無い。だがしかし――考えれば考えるほどわからなくなって、シャルナークは三日三晩悩み続けた。そして、結局何も決まらぬまま今日も彼女の店を訪れる。



    「やあ、」
    「シャルナークさん、またいらしてくださったんですね」

     彼女はフラワーアレンジメントの練習中と言って、毎日レジカウンターに違う作品を並べていた。そしてシャルナークは、毎日一輪の花とその作品を買っていく。前に暇つぶしでプレイした恋愛ゲーム張りに、彼女の高感度を上げようと必死だったに過ぎなかったが、店に通いつめたシャルナークの思惑通り、二人の関係はただの店員と客から、店員のと常連客のシャルナークと言う、少しだけ顔見知りの関係にはなったところだった。
     色々と自分なりに調べたところ、いきなり高価なプレゼントをされても戸惑うだけで高感度は全く上がらないらしいし、むしろドン引きだという意見が多数だった。それに反して、毎日コツコツと通うのはポイントが高いらしい。団長から呼び出しが来るまでは暇なのだからと、シャルナークはと仲良くなるために好青年を演じて通い続けたのだった。

    「あのさ、」
    「はい、なんでしょう」
    「この辺で宝石店ってあったりする?」
    「宝石店、ですか?」
    「うん、俺、この辺の地理にはようやく慣れてきたけど、まだそういう店はわからなくてさ」

     今度母親の誕生日だから此処の花束と一緒にプレゼントを贈りたいんだけど、とシャルナークは続けた。勿論全てが嘘だが、の前ではシャルナークは三ヵ月前にこの街に転勤してきたばかりの会社員ということになっている。好青年を演じながらの出任せに、は笑顔で頷いた。

    「優しいんですね、シャルナークさんは。宝石店なら、この通りを行った先に――」
    「あ、待って、違うんだ」

     カウンターから身を乗り出して道を説明しようとするの言葉を慌てて遮る。

    「花屋が休みの日でいいんだけど……一緒に行ってくれないかな? 男一人でそういう店は、入りづらくてさ」
    「……そういうことなら、喜んで」

     少し苦しい言い訳だったかと思いつつの顔を伺うと、彼女は疑う素振りもなく、シャルナークの頼みを快諾した。



     初めて店以外で見るは、特に気合を入れてお洒落をしてくるというような事はなかったが、普段から身奇麗にしているために違和感は無かった。いつもしているエプロンは外されて、落ち着いたロングスカートと淡い色のカーディガンを羽織っていた。待ち合わせ時間にシャルナークが行くと既に彼女は待っていて、いつものように柔らかく微笑んでくれる。何だか自分が、彼女と同じような一般人になったみたいな錯覚に陥る。今から行く場所は、その後の仕事のためなのに。

    「わあ、きれい……」
    「やっぱ、もこういうのは興味ある?」
    「それは……一応女ですから。でも、いいんです。仕事柄手荒れが多いので、私の指には似合いません」

     ショーウィンドウに並ぶ指輪を見ながら、まるで遠いもののように言う。こんなもの、君が望めば十でも二十でも、好きなだけ買ってあげられるのにと、シャルナークは口に出せない思いを胸の中で呟いた。

    「それで、お母様へのプレゼントは決まりましたか?」
    「うん、一応ね。最初にが見てたやつ、ペンダントの方。俺も綺麗だなって思ってさ」

     良かった、と言っては嬉しそうに微笑んだ。お礼に食事でもとシャルナークが誘うと、早くお母様の元へ行ってあげてくださいと言われてしまったシャルナークは了解するしかなかった。

     全ては嘘で、ただ君と最後にデートがしたかったんだって言ったら、君はどんな反応をするかな?

     今更そんなことを考えたところで無意味であることを、シャルナークは理解していた。所詮自分は盗賊。汚れた手で彼女に触れることなど、きっと許されはしないのに。
     日が落ちた頃、連絡を取り合う。発端は、蜘蛛随一天然なシズクが突拍子もなく「ダイヤが欲しい」と言い出したことだった。団長からの命令でない限り、蜘蛛は群れで動かない。興味のある有志で集って、ひとつの標的を奪いに行くことはしょっちゅうだ。主に男性メンバーは酒だったり、女性メンバーは宝飾品なんかが多いように思う。今回も、そのはずだったのだが、傍観していた団長のクロロが「どうせやるなら派手にやれ」と言い出したのだ。先のオークション開催までは特に予定もなかったので、彼は暇だったに違いない。そうして品定めをするために、シャルナークはこの街にやってきたのだ。



    「……簡単過ぎてつまんねーな」
    「でもフィンクス、見回りの警官二人楽しそうに殺してたよね」
    「団長が派手にって言うから、ひとつ残らず奪ってきたけど」

     滞りなく仕事が終わって、シズクは一番大きなダイヤだけを持って珍しく恍惚とした表情でそれを眺めていた。それ以外は本当にどうでも良かったようで、後は皆で分けていいよ、と言って、マチが遠慮なく半分以上持ち帰った。フィンクスは特別宝石に興味はなく、暴れ足りないとぼやいていたのでシャルナークが宝石を換金して酒でも買えばいいと告げると、彼は眼を丸くしてシャルナークの心配をした。お前は良いのか、と。

    「今回は俺、もともと乗り気じゃなかったし、いいんだ」

     だって、きっともう会うことはないから。この街での仕事は終わって、この場所に留まる理由は無いのだ。
     そう思って、なのに、



    「なんで?」
    「……」
    「なんで君が、それを持っているんだよ」

     戸惑うシャルナークの言葉に、はいつもの笑顔を歪ませた。
     また引っ越すことになった、もう会えないという旨を伝えるために最後に花屋を訪れたシャルナークの前に現れたの手の中には、昨日シャルナークが唯一あの宝石店から”買った”ペンダントだった。母親に買うといって、を騙した。それは昨夜の仕事の時に、仲間達に見つからないように適当な場所に捨ててきたはずだった。本当はに似合いそうだと思って、買ったものだったから。

    「……偶然、だったの」

     は語る。夜中に目が覚めることはよくあることだったが、昨日は偶々寝付きが良くなくて、気分転換に散歩に出たのだが、日中にシャルナークと歩いた道を思い出して宝石店に寄ったこと。鍵は開いていて、否、頑丈な扉はそこには姿かたちも無くなっていて、店内はいつも通り整然としていたが、ショーウィンドウに並んでいた煌びやかな宝石たちはどこにもなかったこと。何があったかもわからないまま立ち尽くしていると、やがてパトカーのサイレンが聞こえてきたため慌ててその場を離れたが、途中で警官の死体を見た。叫びだしそうになるのを堪えてまた走ると、今度は何かに躓いて転んだ。中に入っていたのは、シャルナークが買ったと言っていたペンダントと同じもので。

    「さっき、宝石店に行ったら……幻影旅団にやられた、って。でも、偶然かもって、思って……貴方が勤め先のことや、お家のこと、全然話さなかったのも……だから、直接聞くまではと思って……でもその反応を見たら、聞くまでもなかったみたいだけど」

     自嘲気味にが笑う。いつもとは違う、醜い笑顔。シャルナーク自身が望んだ彼女の顔は、そんなものではなかったのに。何も知らないまま、自分が好きなあの笑顔で送り出して欲しかった。けれどもう、不可能だと悟る。バレてしまった以上は、殺すしかないのだと。

    「あなたって本当に嘘吐きね」
    「っ」

     そうだ、嘘吐きだ。もっと蔑んで、憎んで、そうして俺に、殺されればいい。こんなやつ、殺しても何ともないと思わせて。罪悪感なんて、生まれないように。

    「……え?」

     愛用の携帯を取り出しながらの表情を眼に焼き付けようと顔を上げたシャルナークは、驚愕する。彼女は、は笑っていたのだ。憎しみも、哀れみもない、屈託の無い顔で。

    「あんなに綺麗に盗みを働く人が、毎日あんなに通って、花を買っていたのは何のため?」
    「……」
    「貴方の言葉には嘘しか無かったとしても、貴方の行動は、誠実だった。少なくとも、私にはそう見えたわ」
    「……それは、」

     君が欲しかったから。喉から手が出るくらい、焦がれていたんだと、伝えられればどんなにいいか。
     それでも蜘蛛としての自分が、それを拒んだ。

    「わたしを殺しますか?」
    「……殺す、だろうね。そうしなきゃいけない」

     でも、やっぱりの笑顔は何よりも綺麗で、汚れていなくて

    「わかってるのに、できないや。俺、仲間に殺されるかも知れない」

     携帯を仕舞って、両手を軽く挙げる。降参だよと、態度で伝えた。は唇に笑みを浮かべたまま、微動だにしなかった。こんなに強い女だったのか、と正直脱帽する。

    「ねえ、」

     正直、手に入るとは思っていない。断られたら監禁しよう。時間をかけてじっくり調教すればいい、それで全てがすむ話だ。自分は欲しいものは力ずくで手に入れる、盗賊なのだから。

    「俺のものになってよ。女を囲うだけの財力はあるんだよ。仲間が知らない隠れ家もある」
    「あなたって本当、嘘が下手ね」

     それでも盗賊なの? 今までに盗んだどんな宝よりも綺麗な顔で、が笑った。

    「それよりも言うべき言葉があるでしょう?」
    「……君は答えてくれるの?」

     さあ。
     極悪な盗賊を前に、は悪戯な笑みを浮かべたまま。今の顔は何だかマチに似ているような気もする。俺、マチには敵わないんだよなとどこか頭の片隅で考えながら、シャルナークはの顔を見つめた。

    「俺を好きになって。俺の全てで、君を愛すから」
    「……そういうことなら、喜んで」

     デートに誘ったときと同じ台詞で、だけどそれ以上に嬉しそうな顔でが応えた。それから店先に並ぶ鮮やかな花の中から一輪の咲きかけの薄紅のチューリップをシャルナークへと差し出す。

    「嘘吐きなあなたに、」

     真実の愛を。

    End.





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