

スカーレットに乾杯

※ オールジャンル夢企画「Earth」様に提出させて頂いた作品です。
蜘蛛は、蟲だ。
蜘蛛は、八本の脚を持つ生物だ。
蜘蛛は、糸を網状に張り巡らせて獲物がかかるのを待つ。
蜘蛛は、毒をもっている。
獲物を一撃で殺せるほどの、猛毒を。
「素敵な色ね」
「……何の話をしている」
あなたの眼の色よ、と答えたら、彼の瞳は更に輝きを増した。右手に巻かれた鎖をジャラリと鳴らしながら、それを振り翳す。勿論自ら当たりに行ってなんてあげない。それに、噂で聞いて知っているのだ。彼の鎖は、あのウボォーギンでさえも破る事が出来なかった強固なものだという。そんな危ないものを、私が黙って受けるはずがない。
「私はもう、蜘蛛を抜けたのに。どうして攻撃するの」
「……ッ、貴様が! クルタ族虐殺に加担しているからだ……!!」
歯をむき出しにして怒りをぶつけてくる少年の鎖での攻撃を、私はただひたすら避け続けた。彼が私を"蜘蛛"と認めているから、何を言っても無駄なのだろう。きっと、きっと、きっと。わかってなんてもらえない。私がどうして蜘蛛を抜けたのか。私がどうしてここにいるのか。彼がどうして、私の存在を知ったのか。
「狩には参加した。緋の眼も奪った。……その日私は、蜘蛛を抜けた」
「!?」
淡々と告げられる事実。美しいブロンドをなびかせて、少年は鎖を操る手を止めた。私の話を聞く気くらいはあるらしい。
「団長や仲間のため。そういう建前で誤魔化して、私は他人の命を奪った」
「……」
「だけど、あれから夢に見るんだ。逃げ惑う人々の悲鳴、炎のはぜる音、死体を踏み潰して、緋に輝く瞳を抜き取る感触が」
ぞわり、少年の怒りが頂点に達したのが解る。振り翳した鎖を、私はもう避ける気力はなかった。
「……ごめん」
ただ小さく、誰へかわからない懺悔に、少年の手が止まる。ごめん。ずっと言いたかった言葉だった。
「私はもう、蜘蛛じゃ……ない」
あの日、蜘蛛を抜けた私は普通の人間に戻るため、念を封印した。そこそこ人気のある、ヨークシンシティの中心街の一角にある喫茶店。そこで普通のアルバイトとして雇ってもらい、近場に部屋を借りて暮らしている。
先日、マチがある情報を持って訪れた。彼らには旅団を脱退した後からは一度も会ってはいないが、シャルナークの情報網にかかれば私の居場所などすぐに見つかってしまうだろう。隠してはいないことだし別にどうだって良いが、それよりも彼女が土産にと持ってきた情報が厄介であった。
『クルタ族の生き残りが、復讐でウボォーを殺した』
マチが店を訪れてまで私にその情報を持ってきたのは、クルタ族虐殺に加担したことを後悔して旅団を抜けた私が、その復讐者に肩入れしてやいないかと探りを入れるためだった。無論そんなことはしていないと強く念を押し、彼女はそれを信じて帰って行ったが、それからも入れ替わりで団員たちが来ることが多くなった。フィンクス、シャルナークと続き、フランクリンが来たことには流石に門前払いをしてしまった。後で時間を作って会ってあげたので許して欲しい。彼の容姿は営業妨害だという判断と店長が怯えていたから。しかし、それ以上にノブナガの訪問が最も厄介だった。ウボォーギンと一番仲が良かった彼のことだから、その頃した奴が許せないのだろうと思うのだが、如何せん「本当に何か知らないのか」としつこいのだ。何日も何日も日替わりでまとわりつかれて、そろそろストレスと怒りが爆発しそうだと思うと同時に、私は彼らの言うその"鎖野郎"とやらが気になってしまったのだ。
アルバイトが休みの日は情報収集をして、彼が組織の人間であることを突き止めた。ある程度の情報は団員の皆に聞いて知ってはいたのだが、それだけだ。"最近自分のことを嗅ぎ回っている奴がいる"という情報を向こうも知って、わざわざ姿を現してくれたのが三時間前のことであった。
最初は私が単独犯であることをかなり疑ってはいたが、今はどうだろうか。私が鎖を受け入れようとしても助けに来ないところを見て、恐らく信じただろう。赤い眼がすうっと、元の色へと戻る。
「殺したいなら殺せばいい。彼らの眼を見たときに、綺麗だと思ったのは本当よ」
これなら世界七大美色に数えられるだけはあると、納得さえしてしまったのだ。少年、鎖野郎は構えていた手をすっと下ろして、少し困ったような、情けない顔をしていた。やや数秒たっぷりと考えて、わずかに口を開く。
「……名は、何と言うのだ」
「え?」
「お前の名は、何と言う? 蜘蛛の番号ではなく、お前の名は」
尋ねられた言葉の意味が一瞬理解できなくて返事に詰まった。否、意味ではなく理由が。それを尋ねられる理由が私にも見当たらずに困ってしまったのだ。
「」
偽名ではなく、本当の名前を教えた。それを聞いた少年は一度反復して私の名前を呼んだまま、考え込んでしまった。だから私は、意を決して尋ねてみる。
「貴方の……名前、教えてくれないの?」
「……クラピカだ」
クラピカ。少し変わっていて、だけど何だか温かそうな名前、だと思った。私が殺したあの人に、似ていると、思った。
「どうして、色が戻ったの?」
「!?」
「憎い仇を前にして、どうして緋の眼にならないの」
貴方になら、殺されてもいいのに。そう思って私は、鎖野郎の正体を探ったのだ。懺悔して後悔して、今やっと、答えが見つかった気がした。
「私はもう蜘蛛ではないから、昔の仲間の敵討ちなどしないけれど。でも、貴方にとって私が蜘蛛であるというのなら。私はもう抵抗しないから、殺してくれてかまわない」
逃げ続けたのは、まだきちんと事実を伝えていなかったから。今はもう、思いの丈全てを出し切ったから。後悔していないから。それでも目の前の少年が私を憎いというのならば、己の罪として受け入れよう。
「……殺さない」
「!」
「私は貴女を、を殺せない」
スッと彼が手から念を解く。じゃらりと巻かれた鎖は見事に消え、最初から無かったよう。
「……なんだ。操作系って聞いてたんだけど。具現化じゃない……シャルのうそつき」
「敵の目を欺くため、だ」
呆れ顔で、此処にはいない元仲間に向けてぼやいた私に、ふっとクラピカは笑みを浮かべる。
「他の蜘蛛の居場所を知っているか?」
「知らないわ。彼らは私の居場所を知っているらしいけど、私は知ろうとは思わないから」
そうか、と俯いたクラピカに、私は一つの提案をする。それはきっと、とても恐ろしい選択肢。
「私と一緒にいれば、きっと彼らの方からやってくるわよ」
こちらから行くのではなく、獲物がかかるのを待つ……というのは、本物の蜘蛛に似ている。幻影旅団という盗賊団は、実は行動派であることから、私は蜘蛛という俗称はあまり好きではない。何故なら、蜘蛛という言葉は私にこそ相応しいから。
「私を殺さないなら、一緒にいさせてよ」
眼を丸くして、クラピカは私を見る。先ほどまで涙を浮かべて懺悔した面影はなく、面食らったように立ち尽くす少年へ、近づいた。今更身構えたってもう遅い。
「私を許したキミの、責任」
あ、と彼が口を開く前に、素早い動きで自分の唇を重ねた。動けずに固まっている少年の瞳が、再び色を変えてゆくのを間近で見ながら、満悦に微笑む。
「素敵な色ね」
にっこりと微笑んだら、彼の顔が、眼の色と同じかそれ以上に赤く染まった。
蜘蛛は、盗人だ。
蜘蛛は、十二の手足と頭で形成される組織だ。
蜘蛛は、個人の欲求を満たすべく思い思いに動き続ける。
蜘蛛は、毒をもっている。
獲物を一撃で虜にしてしまうほどの、猛毒を。
私は、蜘蛛だ。
End.

