

むずかしい話じゃない

※ 「金星」様より題名お借りしました。
独りぼっちになってから、黒い手紙を"誰か"に送り続けた。宛先のあるその手紙に特定の宛名はなく、ただ黒い封筒に入れた手紙に切手を貼って出し続けた。届くことの無いこの想いを、いっそ一思いに嘲笑ってほしくて。
返事がやってきたのは、翌年の冬。もうすぐクリスマスだねとか恋人たちが甘い世界に浸る中で、黒い手紙を受け取った少女は安堵の涙を流した。これでやっと終わらせることができる。そう言って、泣いていた。
「どうしてそんなに死にたい?」
手紙を受け取って、更に返事をしにやってきた男はそう言って、少女を冷たい目で見下ろした。死にたくて死にたくて、少女は自分という殺し屋に依頼の手紙を出していたことが、ただ純粋に疑問だったのだ。死にたいのなら勝手に死ねばいい。殺し屋に高い金を払って命を絶つことが、何になるのだろうと。殺し屋の男は理解できずにそれまで変わることのなかった表情を少しだけ歪めた。
「自殺志願者なら止めはしないから、勝手に死ねばいいのに」
「だって、それじゃあ独りなのは変わらないから……」
少女は涙を流しながら、それでも嬉しそうに笑った。それから黒い男をじっと見つめる。
「両親が死んで、財産が欲しいだけの連中はたくさん来る。でも、その人たちに私は邪魔なんだ」
「だから、死ぬの? 君を邪魔だと思う連中のためだけに、わざわざ?」
男は少しだけ目を見開いて問う。しかし、少女は双眸を細め、笑顔で言った。
「残らないもの。何も」
それから男へと通帳を差し出す。受け取った男はページをめくって、その額に手を止めた。変わらず無表情のままだが、少なからず驚いているようだった。
「父さんが残したお金、全部あげるから……ねぇ、お願い。私の心臓が止まるまで、一緒に居て」
「一突きだよ? ……一瞬だ。一緒に居る時間なんて、ほんの僅かしかないのに」
それでもいいと、少女は笑う。孤独を終わらせたい彼女にとって、時間などは関係の無いものだった。ただ、自分の最期を誰かに看取ってほしいと、思うのはそればかりだ。
「俺は金さえ貰えればどんな殺しもするよ。君の意向や主張は関係ない」
身体のいたるところに仕込んだ針を一本だけ抜いて、男はそれを少女の首筋にあてがった。一突きだ、と言った男の言葉を信じて、少女は目を硬く瞑った。それから、
「そういえば……」
これから殺そうとしている標的を目の前に、世間話でもするかのように気の抜けた抑揚の無い声が男の口から発せられて、少女は閉じていた瞼を静かに開いた。
「手紙にも書いてなかったけど、教えてくれる?」
「な、に……?」
「君の、名前」
男は自分自身が口にした言葉に内心驚きを隠せなかった。どうして、知りたいなどと思ったのか。これまで幾千もの仕事をこなしてきたが、これから死に行く標的の名前など、知りたいと思うことも無かったのに。どうして、この少女のことがこんなにも気になるのか。不可解な感情に、男は僅かにだが表情を歪める。
ああ。一瞬泣きそうに息を詰まらせた少女は、男とは対照的に一筋の涙を流した。消え行く存在である自分に、名前など必要が無いものと、彼女自身がそう思っていたからこそ、彼女は名前を明記していなかった。しかし目の前の殺し屋の男は、自分の名前が知りたいと言った。それが何よりも嬉しくて、涙で表情を歪めながら少女は名前を口にする。
「……」
。そう少女の名前を反復した男に、は「死神さん。貴方の名前は?」と尋ねた。死神ではなく殺し屋だけど、と心の中で呟いて、男は同様に自分の名前だけを簡潔に口にした。
「……イルミ・ゾルディック」
イルミ。少女の唇からも発せられる相手の名前。イルミを見つめるは、良かった、と言って笑った。
「来てくれたのが貴方でよかった。私を殺すのが、あなたで……本当に良かった」
は手紙を出し続けた。自分を殺してくれるなら誰でも良いと、殺し屋一家のゾルディック宛に黒い封筒を送り続けていたのだ。偶然にも興味を持ってくれたイルミがやってきて、少しの間でも話ができて、幸せだと。はそう思った。
「もう、思い残すことはないから……」
一思いに殺して欲しい。そう言って再度。瞳を瞑る。針をの首へと伸ばし続けていたイルミは、それを踏み込むことに躊躇った。何故、そのような感情を抱くのかわからない。ただ、単純に気まぐれだったのかもしれないが。
「……」
イルミは針を仕舞う。こんなもので一突き、にはしたくない。普段ならば相手の血液で汚れたくはないし後処理が面倒なので絶対に他の殺し方はしないのだが、今回ばかりは違った。
「……俺は、優しくない」
「……ッ!!」
それだけ呟いて、イルミは少女の、の胸を筋肉操作した右手で貫いた。鋭い爪が、彼女の肉を切り裂く。
「か、はッ」
針なら、心臓も脳も一突きで済んだ。それでも、イルミは針をあえて仕舞っての心臓を抉った。それは、単なる気まぐれで済むのだろうか。もう一度「俺は優しくない」と言ったイルミに対して、は弱弱しく口にする。
「これ、で……い、いの」
「!」
「こ、痛みも……ぜ、ぶ……持って、から」
途切れ途切れに言葉を搾り出すの唇からは、止まることなく血があふれ出す。
この痛みも全部、持っていくから。
「……ありが、と」
ありがとう、優しい死神さん。
最期に、そう言っては鼓動を止めた。彼女の生命活動が停止したのを確認して、イルミは自分の赤く染まった掌を見下ろした。べっとりとして生温く滑って、気持ち悪い。だがしかし、それを拭おうとはしなかった。
「調子狂うなぁ……きっと、キルアが戻ってこないからだ。うん、そうに違いない」
などと、逃避的に言葉を口にする。だって、そうでなくては、芽生えたこの感情に説明がつかない。今日初めて出会ったばかりの娘の、この温もりを覚えていたいだなんて。
「……」
初めて、自分から相手のことを知ろうとした。孤独がイヤだなんて、よくわからないことを言う娘だった。死ねば人は土に還るのだから、結局は独りになるだけなのに。それでも彼女は自分に殺されることを選んだ。……そう、望んだのだ。
「生きたいとは、思わなかったんだ」
そうしてぽつりと呟いた言葉に、愕然とした。今自分は、何を言ったのだろう。どうして、この娘と生きてみたかったなどと、思ってしまったんだろう。
「……まあ、今更か」
溜息交じりに言い捨てて、冷え切った娘の身体を抱き上げて外に出る。もう黒く染まった空からは、白く冷たい雨が降り注ぐ。肌に触れるとすうっと溶けて消えるその儚い存在は、まるで今の自分の心境のようだった。
「ただいま」
「……今回の仕事は、どうだった」
「? 別に、いつも通りだけど」
専用の椅子に腰掛けてニヤリと笑ってみせる父親に、淡々と返す。父のシルバはそうかと一言口にしたのみで、その他に喋ることはなかった。
「……簡単、だったよ」
だけど、何だろうこの違和感は。何から何まで全てがおかしいと、気持ち悪いと思う。苛立たしい感情をどこへぶつけて良いのかさえもわからない。
「自殺志望者の手伝いは、もうしたくないね」
ところどころ血がこびりついた黒髪を鬱陶しそうに払いながら、イルミはただそう、吐き捨てた。
End.

