Story

    翼が折れたら這い蹲って進もうか





     弱いくせにって、自分なんかって彼はよく言う。その口癖は訓練兵の頃から変わらずに、調査兵団所属になった今でもなくならない。すぐに自分の命を捨ててもいいような発言ばかりをして、いつだって彼は私を困らせる。
     頭の回転の速さと機転の良さに定評のある彼は、私の気持ちにもきっと気づいている筈なのに、あえて気づかないフリをしている。振るでもなく、受け入れるでもなく、私が切り出さないように、私の話を聞かないように。それでいて私が離れていかないように絶妙な距離を保っている彼は、ひどく残忍だ。兵を切り捨てたエルヴィン団長や、多くの巨人を切り捨てたリヴァイ兵長と同じくらいに。
     アルミンは私に優しくする一方で決して私を受け入れようとはしない。しかし、それを理解していながら決して彼から離れようとしない私の方こそ、愚かしいと言えるだろう。

    「アルミン、団長が呼んでいる。作戦会議だって」

     私が声をかけると、アルミンは振り返ってありがとうと言った。すれ違うように彼が部屋から出て行って、私はゆっくりと窓際まで歩いて、今し方までアルミンが腰掛けていた椅子に座ってみる。そこはまだ彼の体温が残っていて、ホッとするはずなのにどこか悲しくて、涙が溢れてくることはないけれど私は目尻を拭うフリして窓の外を見た。
     暗く淀んだ空。いつか壁の向こうに行くと彼は言ったけれど、私はその夢を共有したいとは思わなかった。何故なら、私が頑張れば頑張るほど、アルミンがどこか遠くへ行ってしまいそうな気がしたから。彼は幼馴染のエレンやミカサを遠くに感じると言ったけれど、私に言わせてみれば、アルミンだって十分に私から遠いところにいる。それなのに、外の世界になんて行ってしまったら、今よりもっともっと手が届かなくなってしまうだろう。そうだ、彼は私から逃げようとしているのかも知れない。そう思って、今も尚、彼の足に枷をつける方法を模索している。枷とはもちろん物理的なものじゃないけれど、それほど重たい何かを、私はずっと探し続けている。

    「」

     やがて会議を終えたアルミンが戻ってきて、私の傍へやってくる。私はアルミンの椅子を陣取って、窓に向けて頬杖をついて、隊服も脱いで、薄着で彼を待っていたのに。そんな私の姿を見ても尚、アルミンは動じない。風邪を引くよと、ベッドの上に放り捨てられた私の隊服を手にして、私の肩にかけてくる。アルミンは全部知っていて、気づかないフリをして、私を振り回す。

    「ねえ、いい加減に私を見てよ」

     肩にかかった隊服を右手で落ちないように掴んで、左手はアルミンの頬に添える。アルミンは目を逸らしたりはせずに、私を見つめた。見てるよ、と小さく言ったアルミンに、私は嘘吐きと心の底から思った。

    「私は死ぬほど貴方が好きなのに、貴方はちっとも私に応えてくれない」

     仲の良かった友達は皆巨人に食われて死んだ。いつか私も、貴方もそうなるでしょう。だけど、それは今じゃない。

    「エレンと一緒に、死に急ぐ必要はどこにもないわ」

     好きな人の夢を、私は応援できない。私は心がとても狭いから、自分のことしか考えていないから、貴方を自由にさせてあげることはできない。怪我が治ったからと言って空へ離してしまったら、小鳥は大きな鷹に食べられてしまうもの。
     隊服を椅子の背もたれにかけて、右手でアルミンの肩を掴む。左手は、彼の頬に触れたまま。

    「壊してしまえば、壁外への夢はなくなるかしら?」
    「……!」

     肩を掴む手に、力が入る。爪が食い込むほどのそれに、アルミンの表情が歪む。

    「ねえ、おぼえてる? 私と貴方の、成績」

     アルミンは言葉を発さない。けれど、私の目を真っ直ぐにとらえる彼は、覚えているよ、と言っているようだった。
     私の目に映るこの人は、訓練兵の頃から座学ではトップクラスで、現在もその知識と頭の回転の早さを生かして兵団を危機から何度も救っている。しかしそれだけだ。兵士としては並以下のアルミンは、巨人を前に何の役にも立たない。対人技術では、私の方がずっと、高い成績を残した。

    「私の力でだって、貴方を簡単に組み敷くことができる」

     少し力を込めれば、壊してしまえそうな、痩せた肩。私は、私は、貴方を外へは離したくない。

    「……行かないで」

     願いにも似た言葉が、知らずのうちに漏れる。
     本当は私にも、わかっているのだ。人の決意は、決して誰かに邪魔されて揺らぐものではないのだと。強い目をしたアルミンは、自らの死をも恐れない勇敢な戦士であることを。だから私は、実行することを躊躇った。小鳥の羽を折ることが、できなかった。

    「ごめんね、。僕はずるい人間だから」

     私の左手にアルミンの手が重ねられる。私がとても酷いことをしているのに、アルミンは穏やかに微笑むだけで私を責めたりはしない。それどころか、初めて自分の意見を口にした彼は自分を批判した。

    「好かれている事実に溺れて、君を自由にしてあげられないのは僕も同じだ」

     一度目を伏せて、そしてまた、強い目で私を射抜く。そんな目で見られたら、私は何も言えなくなってしまうとわかってやっているでしょう。

    「それでも僕は、外に行こうと思う」
    「……」
    「君に肩を壊されても、足を折られても。どんなことをしたって、最後まで戦ってみせるよ」

     そう言って、私が何かを口にする前に、アルミンはそっと私の顔を両手で挟みこんで、唇にキスをした。
     いつもはぐらかしてばかりの彼からの、多分最初で最後の返事だった。

    「……っ!」

     甘く痺れるその毒に冒されながら、頭の奥で幼い彼がサヨナラと笑った。

    「」

     唇を放したアルミンが、そっと私の耳元で囁いて、部屋を出て行くのを、私は黙って見送るしか出来なかった。

     ――最後まで、好きでいて。

     鎖で繋ぎとめておくことが出来なかった自由な鳥は、私の手をすり抜けて遠くへと旅立ってしまうのだけれど、それは言うのだ。いつか必ず戻ってくるからと。今よりも大きな鳥になって、私を乗せて空を飛んでくれるのだと。
     その言葉を忘れないよう、私は爪で深く、自分の肩に傷を残した。

    End.





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