Story

    ひとつの希望





    「いやだ」
    「……やだって言われても、僕だって困るんだけど」

     駄々っ子のように頬を膨らませる駐屯兵の彼女に、アルミンは本当に困ったと眉尻を下げた。調査兵団は明日からまた壁外遠征に行く。そのことは恐らく上層部から各兵団にも伝わっているのだろうが、一応はと彼女の待機する地区へと赴いた所存である。自ら遠征のことを伝えに来たアルミンだったが、彼の説明をしばらく黙って聞いていたが開口一番に否定の言葉を発した。しかしながら、嫌と駄々を捏ねられてもそれはアルミンだけの一存ではないのだ。兵士として所属している以上は、上の決定に従うほか無い。それに、今となってはアルミンの頭脳は調査兵団の中にも無くてはならないものとなっているのだ。自分は、昔のような弱い少年ではない。そう感じているからこそ、アルミンはこの壁外遠征には強い目的を持って臨んでいた。
     出来ることなら背中を押して欲しい。待っていて欲しい。そう思うのは身勝手なことだろうか。ただ、彼女の不安もわからないわけではない。一度壁外に出れば、そこには巨人の群れが待っていて。いくら死線を潜ってきたと言っても、アルミンの戦闘技術が向上したわけではない。死んでしまう可能性の方が高いのに、もう会えないかもしれない恋人を行ってらっしゃいと笑顔で送り出すことなんて出来るはずがなかった。

    「帰ってこれたら、真っ先に会いに来るよ」
    「や、やだ……帰ってくるっていつ? 無事かどうかなんてどうやってわかるの!?」

     動揺しているのか、アルミンの腕を掴んだの手指が震えているのに気がついた。華奢な自分よりも多少なりと小さな彼女の手を上から包み込むように握ってから、優しく離してやる。目と目を合わせると、アルミンは優しく微笑む。以前は少女のような容姿は、今でも面影を残してはいるが端整な顔立ちの青年になっていた。この顔に見つめられると、は途端に弱くなるのだ。恐らくアルミンはそれらも全て計算しているに違いない。

    「……絶対、帰ってくるから」
    「ずるい、アルミン、ずるいよ」

     潤んでいた瞳から、耐え切れずに涙が零れた。アルミンは懐から綺麗めなハンカチを取り出すとの目尻に当て、涙を拭った。几帳面にしっかり折りたたまれた布にじんわりと染みが出来る。嗚咽交じりに、それでも引きとめようとしたは、あまり回転の早くない思考回路で必死に言葉を探した。

    「す、すぐ帰……こなかったら、うう、浮気してやるんだからあぁ」
    「……それは、困る以前に、僕も嫌だなあ」

     彼女が本当にそんなことをするなどとは微塵も思ってはいない。いや、もしかしたらなんてことがあるかも知れないが、それでもアルミンはを信じているし、自分が愛されていると言う自覚もあった。以前のアルミンであれば自分の命は軽く見ている節があったが、それはもうない。勿論民に仕える兵士として死を覚悟しているが、命を簡単に投げ打ったりはしない。この場所に帰って来なければ、自分はただの嘘吐きで終わってしまうのだから。

    「好きだよ、。もしも僕がいない間に寂しくて他の人と……なんて考えたくないけど、仕方がないとは思ってる。それは君の自由だ。でも、僕が君を嫌いになることは絶対にないから」

     訓練兵時代から弱虫だった自分を、その頃から好きだったとは言ってくれた。今では彼女の方が泣き虫なのだけれど、だからこそアルミンは成長出来たのだと思っている。もっともっと強くなって、きっと守って見せると。そして、いつかは外の世界に、のことも連れて行きたい。そのための第一歩として、自分は危険を冒してでも壁外に行くべきなのだ。

    「信じて、待っていて欲しい」

     真摯な瞳に、はとうとう観念する。アルミンにそんなことを言われたら、は頭を縦に振るしかないのだ。

    「絶対、帰ってきてね。……浮気なんてしないよ、アルミンが好き」

     ふ、とアルミンの頬が緩む。拭っても拭っても溢れる涙を拭うのはもう止めた。可愛らしい懇願をする恋人に、アルミンは優しく口付けた。



     翌朝、壁外遠征に出発した調査兵団を、各地に配属されている駐屯兵が見送れるはずもなく。は毎日の見回りや業務をこなしながら、ふと空を見上げた。青々とした快晴に、壁向こう、はるか遠くで馬の嘶きと轟音がかすかに聞こえる。は眼を閉じ、昨日のアルミンの姿を思い浮かべた。あのキスが、最後になりませんように。

    「……なんで私、調査兵団にしなかったんだろう」

     馬鹿だなあ、と一人ごちる。しかしは、わかっていないのだ。十番外で座学も実技も並であったが調査兵団として生き残れる確立は、アルミンよりずっと低いと言うことが。そして、もしもが調査兵団として壁外に行くとなれば、きっとアルミンは何を置いてもを優先するに違いないと言うこと。ともすれば、今の強いアルミンはいなかった。弱くて泣き虫な、昔のままだっただろう。
     一緒にいるために共に調査兵になって両方巨人に食われる最期を遂げるより、彼女が彼の最後の希望なのだということを、深く考えることが苦手なは気付いていないのだった。

     ただ、信じている。アルミンが言った言葉を胸に大事にしまって、は彼が五体満足で自分の元へ戻ってくるのをひたすら祈るのだった。

    End.





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