Story

    君と視た夢





     昔から、弱虫だチビだ何だとかで殴られたりすることはあった。そんな彼らはいつも決まって「悔しかったらやり返してみろ」なんてお決まりな言葉を口にする。勿論そんな挑発に乗る気は無いし、やり返したことは一度も無い。だからこそ彼らは調子に乗って、その関係が改善することもなかったようにも思うのだけれど。しかしその度に、殴られた頬が腫れ上がる前に、それもお決まりのように駆けつけてくれるヒーローが居た。

    「おい、止めろよ!!」

     自分も性別上は男であるのに、その少年のように果敢にはなれなかった。少年の名前はエレン。正義感が強く、敵わない相手にも必死に喰らいついて行く。いつも自分を助けてくれる強い心の持ち主だった。彼を見るたびに、嬉しい気持ちよりも情けなさが増して行く。そんなこと本人には言えないし、きっと鈍感な彼は気づいてさえいないだろう。

    「大丈夫か、アルミン」
    「……うん、平気」

     面倒なヤツが来たとばかりに興を削がれて立ち去る少年達を追うこともなく、エレンはアルミンを見た。しかし差し伸べられた手を取ることはなく、アルミンは自力で立ち上がる。エレンはそっと手を引っ込めて、またかと呟いた。

    「一度くらい、やり返せばいいのに。アルミンは優しすぎるから、あいつら、つけ上がるんだ」

     そう言って自分のことのように腹を立てているエレンに、アルミンは汚れた頬を腕で拭って苦笑を浮かべた。

    「そう、できれば苦労はしないよ」

     気の強いエレンだから、やり返そうとかいう発想があるのだ。気が弱く力もない自分は、そんなこと考えもしないのだから。だから、

    「よぉ。昨日は邪魔が入ったけど、今日はそうもいかない……ぜっ!」
    「……ッ!!」

     毎日こうやって痛い思いをして生きなければならないのだ。悔しい思いを抱えて、弱肉強食の世界で生きるしかない。
     振り上げられた拳に、次に来るであろう痛みを想像して瞼をきつく閉じた。が、その衝撃はいつまでたっても来ることはなく、アルミンは恐る恐る瞳を開けた。

    「暴力は、いけないこと。それは、幼い子だって知っている常識でしょう」

     少年が振り上げた拳を後ろから掴んでいたのは、自分と然程年の変わらない、少女だった。バッサリと切られた髪はシルエットにして少年と見紛うほどだが、その可愛らしい顔と声にハッと息を呑んだ。

    「大丈夫? いつもあんなことされてるの?」
    「……」

     少女はと名乗った。憲兵団の父親と一緒に、内地より見回りに来たとのことだ。こんな危険の多い最端の町にわざわざやってくるなんて、とアルミンは思ったが口にしなかった。自分を助けてくれた相手への、せめてもの礼儀だったが、それでも心から感謝することはできなかった。男である自分が少女に助けられたという事実に加え、平和な暮らしを、安穏と送っているだろう少女に対して、少なからず嫌悪感を抱いていたからだ。しかしはそんなアルミンの思考など知らず、ただ好奇心に彼の持っている分厚い本を指差した。

    「それ、大事そうに持ってるけど、何なの?」
    「……!」

     まずい。賢いアルミンは直感的にそう思った。憲兵を父に持つ彼女に、外の世界について書かれている書物だなどと馬鹿正直に告げれば、そのような禁書を所持している祖父も自分も捕らえられてしまいかねないと感じたからだ。それ以前に、この本を取り上げられるわけにもいかず、アルミンは必死に言い訳を考えた。考えたが、上手い言い訳が見つからず言葉に詰まってしまう。目を泳がせたアルミンに、は質問を投げかける。

    「もしかして、禁書……?」
    「!?」

     どくり、と心臓が飛び跳ねる。どうしようどうしようと恐怖心が逡巡する。しかし考えたところで策はないのである。「ねぇ」、の投げかけにアルミンは、

    (捕まる……!!)

     咄嗟に思い目を閉じた。先ほどの少年達に殴られる恐怖のように、少女から発せられる言葉は刃物で刺されるような衝撃を想像していたのだから。しかし少女は禁書と知っていながら、父を呼びに行くことも声を上げることもしなかった。

    「わたしにも、見せてくれる?」
    「え……!?」

     発せられたの言葉に、アルミンは驚いて顔を上げた。は自分と同じように、焦がれていたのだ。父や組織の人間の話を盗み聞いて、外の世界に興味を持ってしまっただったが、禁書であるそれを父は自分には見せてはくれなかった。

    「父さんには言わないわ。だから、わたしに教えて! 外の世界のことを……」

     はいつか、訓練兵に志願した末に憲兵になると思っていた。そうなれば、一般人は立ち入りが禁じられている書庫への入室が可能になる。現実に外の世界に触れることがかなわずとも、想像するくらいなら許されるだろうかと、そう夢を見ていたのだ。しかしアルミンに懇願して初めてそれを見たの瞳はきらきらと輝いていた。また、唯一の友人であるエレン以外にも外の世界へ行くことを賛同してくれる人間が居た事実に、アルミンも嬉しそうに、外の世界への希望を語った。いつか外へ出たいと、冒険したいと、出会ったばかりの少女に話してしまったのだ。
     エレンと語り合った時のように恍惚とした表情で最後まで話し切ってしまったアルミンは、端と自分の失態に気がついた。彼女は最初に「父には言わない」と約束したが、それが真実である保障はどこにもないのだ。もしも内地へ戻った彼女が自分のことを話してしまえば、後に憲兵団がこの町にやってくるに違いないのだ。どうしよう、とぐるぐるとした思考がアルミンを襲う。しかし、そんなアルミンの思いを考えもせず、は頬を朱に染めて言った。「ありがとう」と。

    「このことは、わたし達の秘密ね」
    「!」

     そう言って小指を差し出したに、アルミンは少し悩みながらも自分の小指を絡ませた。純粋な笑顔を向けられて、疑り深い彼には珍しくを信じたいと思っていた。それからはウォール・ローゼ内の実家へと帰って行った。数年後、父の背中を目指して憲兵団を志願する彼女と調査兵団に憧れる自分達は進む道が恐らく違っているだろう。いつか議会やそこらで会うことはあるかも知れないが、それも新兵の内では先ずありえないことなので、それが何年後になるかもわからない。しかしそれでも、

    「じゃあね、アルミン!」

     去って行ったの笑顔を忘れることは、アルミンにはできなかった。



     そんな数年前の記憶をぼんやりと思い返していた。走馬灯とでも言うのだろうか。いや、まだ死に間際ではないのだから走馬灯というのもおかしい話であるが、あまり間違いでは無い。最も危険の多い兵団を自ら志望したのだから、死ぬ確立は他の兵団よりも確実に高い。しかしそれでも自身の夢のため、仲間と供に戦い心臓を捧げることを誓ったのだ。その意思に間違いは決してない。
     調査兵団を志望したのは自分の同期では二十数名だと聞く。しかし訓練兵を卒業したのは自分達だけではない。養成所はこの場所だけではなく、幾つかばらけて設置されているのだ。他にはどんな連中が入団しているのかと、不安に思う中、夜は明けた。顔合わせの際、見覚えのある顔にアルミンは愕然とした。

    「ウォール・ローゼ西・訓練兵104期卒業生の・です」

     肩口まで伸びた髪に、はっきりとした目鼻立ち。凛とした中に可愛さのある声も、全てが昔よりも違っているのに、ひとつだけ変わらないものがあった。

    「また、会えたね」

     微笑んだ彼女の、真っ直ぐな瞳。禁書と知っていて自分を咎めることなく、その上自らも外の世界を焦がれた少女。本物の同志だとアルミンは彼女のことを認めていた。例えが憲兵団への入団を決意したとしても、いつか外の世界の話を出来たら良いと、心から思っていたのだ。だが、は目の前にいる。調査兵団のエンブレムをつけて、同じマントを羽織って。

    「なんで、」

     アルミンの唇が僅かに震えるのを見て、は困ったように笑った。だって、と悪戯を咎められた子供のように純粋な表情で。

    「私も見たかったんだもん。あなたと……アルミンと一緒に、外の世界を」
    「!」

     の成績は、決して悪いものではなかった。父親が憲兵ということもあって、その能力を高く買われてもいた。しかし彼女は、憲兵になる誘いを断って調査兵団への入団を決意した。理由は先に述べたとおり、外の世界に対する憧憬というシンプルなものだった。
     解散となった兵舎前、二人きりで言葉を交わす。あの一度きりの出会いは幼馴染であるエレンやミカサには話したことがなく、二人は少し怪訝な顔をしていたが、「大丈夫だから」というアルミンの言葉を信じて詮索することはなかった。二人の間を静かに風が流れる中、が静かに語りだす。

    「故郷へ戻ってからも、ずっと貴方が忘れられなかった。貴方と話した夢のことが、いつも心のどこかにあって……だから私、家を出たんだ」
    「……」

     素直に喜べるはずもなく、アルミンは呆れたように、もしくは安心したように小さく嘆息した。それに気づいてか気づかずにか、は伸びた髪を邪魔そうに手で払い、すうっと肺に息を溜め込んだ。それから右拳を左胸に当て、直立不動に敬礼姿勢をとる。

    「心臓を捧げよ!」
    「……」

     その様子を黙ってみていたアルミンも、今度はにはっきりと届くような溜息を吐いてから、同じように敬礼をする。そして、彼女の兵士ごっこに付き合うかのように高らかに声を上げるのだ。

    「はっ!」

     幼い頃に見た二人の夢を、実現させるために。その日、少年と少女は戦うことを誓ったのだった。

    End.





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