Story

    君の温度





    「ちょっと! ちょっと来て、!」
    「クリスタ? 何、どうしたの」

     部屋で数少ない荷物整理をしていたの腕を、突然飛び込んできたクリスタが引っ張った。消極的な彼女にしては珍しい。理由をたずねたものの、いいからとしか言わないクリスタに半ば諦めつつも大人しく従うしかなかった。

    「それで? 何が一体どうなって、こうなったの」

     連れて行かれた先は食堂。まだ夕食の時間は始まったばかりで、いつもならまばらに人が入っている時間帯であったが、ざわざわと人だかりができている。ユミル、アニと合流したクリスタは少し強引にその中心部へと入り込み、騒ぎの原因となっている存在を指し示す。

    「……こういうことなの」

     毎食、配給されるはずのパンとスープ。しかしいつも通りの支給物はそこにはない。並べられていた幾十のパンは床に転がり、スープ入れて運ばれた鍋は見事にひっくり返っている。それを呆然と見つめているのは、頭が悪くて有名なコニーだった。

    「ま、仕方ないんじゃない」

     パンは拾って食べればいい。スープは諦めて水をいつもの倍飲めばいい。しかし、きつい訓練を終えて戻ってきた食べ盛りの男連中にそんなのは通用しない。

    「コニーてめぇ、何しやがる!!」
    「じっ、ジャンがぶつかってきたんだろ!? 俺だけのせいじゃねぇよ!!」

     ジャンがコニーの胸倉を掴んで睨みつけるが、コニーも負けてはいない。どうやらお互いの不注意で起きてしまった事故のようだ。衣服を掴み合い、睨み合う二人。空になった鍋と散らばったパンを前にがっくりと膝をついて項垂れるサシャ。騒ぎを聞きつけてきたエレンやミカサも、食堂の惨状を前に溜息を吐くだけだった。
     クリスタがを連れてきたのは、何も自分の食べ物が無くて困ったからではない(サシャにおいてはそれのみだろうが)。優しいクリスタにとって、空腹時の苛立ち――この殺伐とした空気は居た堪れなくなったのだろう。どうしよう、とか細い声で呟いたクリスタに、内心面倒だと思いながらも大丈夫だと告げる。

    「つまりは二人とも悪いんでしょ? それよりも、まず他に言うべきことがあるんじゃないのかな」
    「……っ!!」
    「……」

     言い争う二人に近づいて発したの言葉に、ばつが悪そうに俯いたのはコニーだった。自分が悪くて、他の人に迷惑がかかっていることを思い出したらしい。頭は悪いが、彼は根は素直な少年である。が、しかしジャンの方は依然としてムスッとしたままである。

    「お前は口を出すんじゃねぇよ……」
    「だって、みんな困ってるから」

     何て似合わない言葉だろうと思う。棒読みすぎる台詞に、ジャンが溜息を吐いて肩を落とす。がジャンにここまで対等に口を利けるのは、彼女がジャンと同郷だからである。

    「ね? コニー」
    「あ、うん……みんな、ごめんな」

     が優しく促すと、コニーは改めて皆に頭を下げた。素直に謝られては、誰も怒ることはできない。しかしフンと鼻を鳴らしてそっぽを向くジャンに、はもう一歩近づく。

    「ほら、ジャンも」
    「……」
    「ごめんなさい、だよ。ジャン」
    「……」
    「ほら、みんなに、ごめんなさい」

     食堂中の視線がジャンに集中する。ジャンの顔には熱が集中し、彼は真っ赤な顔で俯いて、やがて小さく口を動かした。

    「悪かった、な……」
    「違う。ごめんなさい、でしょ」
    「……」
    「ジャン。"ごめんなさい"」
    「うっ、うるせぇぇっ!」
    「あ……ジャン」

     謝ったからいいだろ、とジャンは逃げるように食堂を出て行った。残された訓練兵たちは、各々パンを拾いつつ、仕方ないとコニーを責めたりはしなかった。を呼びに来たクリスタは良かったと胸を撫で下ろしつつ、自分の分のパンをサシャに分けたりといつもながらの女神っぷりを発揮していた。その様子を尻目に、はジャンが出て行った食堂の扉を見つめた。

    「相変わらずだなー、あいつ」
    「エレン」
    「幼馴染ってやっぱ大変だな」

     暢気にそんなことを言うエレンだが、隣でミカサの瞳がキラリと光ったのは気のせいだろうか。大変なのはエレンかミカサか。それとも二人の後ろで微妙な顔をして立っているアルミンだろうか。とりあえず、自分の幼馴染は他の誰でもないジャンである。大変だからとかそう理由ではなくて、もっと別の――

    「わたし、ちょっと行ってくるから。あとはお願いね」
    「え、ちょっ、!」

     二人分のパンと水を持って、は食堂を出た。そしてジャンが歩いて行った方角へ駆け足で向かう。





    「はいこれ、ジャンの分」
    「……なーんで来んだよ、お前は」

     傾きかけた夕日を背に拗ねたように呟くジャンの隣に無断で腰を下ろす。一度抗議しようと口を開きかけたジャンだったが、には通用しないとわかったからか、言葉を発さずに閉口した。

    「昔から、あまり変わらないね」
    「はあ?」
    「ジャンは、変わんない」

     の言葉を聴いたジャンは、腑に落ちない表情で「ガキだって言いたいのかよ」と横目でを睨みつけた。しかし彼女は動じることなく、むしろ嬉しそうに微笑むだけ。

    「嬉しいよ、私は。ジャンが変わらないでいてくれて嬉しい」
    「……っ!?」

     どれだけ強がっても、ジャンはジャンのままだった。彼がミカサに惚れているのも知っている。だからは、ただ彼を見守ることしかしてこなかったのだ。恋慕とかそういった気持ちは持っていないといえば嘘にはなるだろうけれど、にとってジャンの存在は家族にも等しい。ミカサがエレンを家族というように。ただ見守って、ずっと一緒に居られればいいと思ってきたから。

    「みんな怒ってないよ」
    「……あ?」
    「自分が情けないとか、思ってるんでしょ? 本当、素直じゃないから」

     が言うと、ジャンは赤い顔でそっぽを向いて言った。

    「うるせぇ、ほっとけよ」
    「ほっとけないからここに来たのに? エレンもミカサも呆れてたよ」
    「……」

     今度はショックを受けたようで、ジャンはしばらく言葉を発さなかった。かわりに、が持ってきたパンをひとつ取り、齧りつく。

    「くそ……情けねぇ」
    「ほら、やっぱり思ってた」
    「だからうるせぇんだよ、お前は」

     気だるげにジャンが放った言葉に、は声を上げて笑った。何が楽しいのかわからない、とジャンは訝しげな表情を浮かべる。そして、彼女が持ったまま口にすること無いパンに目を落とし、たずねる。

    「……お前は、食わねぇのか」
    「今は、いいや。欲しかったらどうぞ」
    「いい」

     言って、二人はどちらとも無く空を仰ぐ。橙に染まった空を、黒い鳥影が横切っていく。冷えた風が二人の間に吹いて、はぶるると身体を震わせた。

    「……上着も持たずにくんなよ」
    「だってジャンが拗ねて出て行くから」
    「拗ねてねぇよ……」

     呆れた声でジャンが呟く。だけどと抗議の声を上げたへ、無言のまま差し出される手。はジャンの手と顔を交互に見つめて、

    「……戻るぞ」

     少しだけ頬を染めて、そっぽを向いたまま発したジャンの言葉に小さく噴出してからその手をとった。捻くれ者で素直じゃなくて、だけど優しい幼馴染を誇りに思いながら。

    「コニーにも謝らないとね」
    「はぁ? なんで俺が」
    「ジャン?」
    「……わかったよ」

     忘れかけていた感情がわきあがって反発したが、の視線にうっと喉を詰まらせたジャンは、諦めを口にする。
     握った手が暖かいから、まぁいいか。

    End.





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